スナイプ・ハント:インディゴブルーを追え
柚希ハル
第一章
第1話 鴫追う刑事
噂話は信じない方だ。
ソースも分からないような情報を信じるのは、いささか間抜けに思う。
刑事という仕事柄もあり、確証のあること以外は信じられない。
特に、都市伝説なんて以ての外だ。
あのトンネルは昔事故で死んだ女の霊が出る、だとか。
夕暮れ時にあの森に入ると一生出てこれなくなる、だとか。
どれもこれも、過去の教訓が捻じ曲がり、或いは単に人を怖がらせるがためにできた、真実味のない作り話だ。
だが、最近聞く都市伝説は一味違う。
幽霊なんかは出てこない。
実在しそうで、しないだろうと皆んなが高を括るような話。
『スパイ組織が日本に存在するらしい』
こんな都市伝説だ。
「ったく、都市伝説であってほしいもんだよ」
狩野がこの話を持ち出すと、上司の長谷はいつも面倒くさそうに煙草を加えながらボヤく。
「第一、平和主義掲げてる国にスパイ組織なんてあってみろ。どこの情報集めて何すんだよ」
「そりゃあ、CIAやM機関のような規模の働きは今の日本に必要ないと思いますけど、産業スパイって言葉もあるくらいですし、今の情報化社会じゃビジネスとして情報をやりとりする組織があっても……」
「イマイチだな。危険性を感じねぇ」
何度か聞いたやりとりだ。
「でもここ最近で起きてる事件。何かと裏がありそうな気がするんです。特に、2ヶ月前のサラリーマン射殺事件」
「確かにありゃあ不自然だ。狙撃場所は綺麗サッパリ、犯人の手がかりさえ見つからないまま、捜査は打ち切り。死んだサラリーマンの身元も有耶無耶だったしな」
「まだありますよ。その三週間後に川で発見された不審遺体。あれだって身体中傷だらけだったっていうのに、その理由も遺体の身元も分からないままです」
やれやれといった風に、長谷が煙草をふかす。煙臭さと店内のカレーの匂いが相まって鼻がむず痒い。
「んで、今日は射殺事件の方だったか?」
「そうです」
狩野は答え、煙草の匂いを消すようにカレーを一口運んだ。
「そんで、現場の監視カメラに映ってたつう、そいつが何でスパイ組織に繋がるんだよ?」
「それは……」
狩野が口ごもった時、タイミングよく長谷の注文したカツカレーが運ばれてきた。
「はいどうぞ~。お客さん、何やら面白そうなお話ですねぇ。日本にスパイ組織があるって?」
唐突に話に割って入ってきたのは、この店の店長らしき人物だった。剽軽な笑みを浮かべ、愛想よく笑っている。
「あ、いや……」
声がデカすぎた、と気付き狩野は取り繕ろうと横目で長谷を見る。しかし長谷は臆することなく話題を広げた。
「いや何、昔っから根付いてる都市伝説みてぇなもんだと俺は思ってんだけどな。若造はこういう話をすーぐ信じたがるもんでね」
「ほーう、とすると何か疑わしいことでも起きたとか?」
「そりゃあ詳しい捜査情報は話せねぇなぁ」
長谷が苦笑いを浮かべたところで、おや、と店長が大袈裟に目を見開いた。
「お客さん刑事さんでしたか!てっきり世間話好きなサラリーマンかと思ってましたよ」
こんな厳つい風貌の社員は珍しいだろうに。
狩野が内心ツッコんだのを見透かしたように、店長はクスリと笑って頭を掻いた。
「ほら、ここ大学の近くでしょう?だからお客さんも大学生がほとんどで。どうもスーツ姿を見ると就活生か新入社員にしか見えないんですよねぇ。お兄さんも若いし」
「……こう見えても今年で三十三です」
今度ばかりは心底驚いたらしい。店長が笑い混じりに再び目を見開いた。極度の童顔は自覚済みだ。
拗ねてそっぽを向いた狩野の背中を励ますように長谷が叩いた。
「永遠に期待の新人名乗れんじゃねぇか」
「せめて期待の若手にしてくれます?」
ニシシ、と黄色くなった歯を見せて笑う長谷に狩野はため息を零した。
「で、話を戻すと……詳しい事は言えませんが最近不可解な事件が多いんです。僕らの見えないところで何かが動いてるような気がして。スパイとは断定しなくても大きな犯罪組織が存在すると思うんです」
あまり大きな声では話せないことだ。狩野は声を落として店長と長谷にだけ聞こえるようにした。幸い店内は元気な大学生で賑わっている。
「なるほど……それが期待の新人の推理ですね?」
だから新人じゃなくて、とツッコむ前に店長が後ろを向いた。
「うちの新人の話も聞いてみましょうか」
店長に話しかけられ、唯一の店員が皿洗いをする手を止めた。
「聞こえてたかい?」
スッと顔を上げた彼は新人らしい若さで、しかも端整な顔立ちである。
「スパイ組織がどうのって話ですよね?ちなみに言うと俺も新人じゃなくて若手です」
同志だったな、と長谷が隣で呟いた。
すると彼はその切れ長の目をこちらに向け、ニコリと微笑んだ。
「夢ある話だけど、俺はないと思います。だってスパイって主に戦争で活躍するものですよね?海外で外交目的なら分かるけど、国内ではいても意味ないかなって」
それだけ言って、彼はまた手元の作業に戻ってしまった。
見た目の若さにしてはしっかりとした意見である……でも。
「だってよ。俺は兄ちゃんの意見に一票だな」
「別にスパイの仕事が対外に限られているわけではありませんから。それに組織の関係者だっ……」
おい、と一転した低い声で牽制される。ここがアウトラインらしい。
「……すみません」
「まま、こんな騒がしい店内じゃ誰も気にしませんよ。私も都合良く物忘れするタイプなんで」
店長の陽気さに救われる。そういえばこの人も年齢が読めないな、と思ったところで店長が顔を二人に近付けた。
「ところでお二方はスナイプハントという言葉をご存知ですかな?」
ニヤリと笑う店長は長谷より年上には見えない。だが長谷と似たオーラを纏っているようにも見える。長年生きた貫禄だろうか。
知らねぇなぁ、と興味深そうに身を乗り出す長谷の隣で狩野も首を振る。
「アメリカのジョークですよ。
スナイプ、日本語では鴫のことですね。アメリカじゃ、上司が新人に対してよく言うそうです。
スナイプハント、『シギを捕まえて来い』ってね。
でもシギなんてそういる鳥ではありません。それでも新人は必死になってシギを探します。
そうやって、いるはずのないシギを躍起になって探す滑稽な新人を笑って見る、っていうのが定番らしいですよ」
フフフ……と怪しく笑う店長は、どうやら冗談好きらしい。
「刑事さんも、この新人のような目に合わないといいですねぇ……」
「おいおい、冗談はよしてくれよ店長さんよォ。俺はもう新人なんて懲り懲りだぜ?」
軽く笑い飛ばす長谷とは反対に、なぜか店長の言うことに素直に笑えない狩野だった。
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