第36話 桜坂のカップル
「ジュンくん、ほらほら、つかまえて、つかまえて! あー、すり抜けちゃったじゃない!」
「おい、サキ、それよりこっちの木だ! ほら、たくさん散ってくる」
私たちはやはり桜坂にいた。湖南高校正門に続く坂道。一年前の今日、私とジュンくんはここで出会ったのだった。
坂の上を眺めても下を眺めても、細かいピンク色がひらひらと空間を埋め尽くしている。朝日がこんなに燦燦と注いでいるのに。大空はこんなに青く澄んでいるのに。遠くの湖もこんなに輝いているのに。桜坂だけはピンク色に煙っているのだった。
「サキってさあ、去年の今日もここで同じことやってなかった? 朝子さんと!」
「うん、やってた、やってた! 夢中になって桜の花びら追ってたよ!」
振り返ると、ジュンくんの肩越しにこのみちゃんが、そのさらに向こう、正門の真ん前では愛理が、やはり散り降る花びらを追っているのが見える。
「オレもさあ、去年と同じ日に、去年と同じ女の子を見つめているんだ!」
「それって‥‥‥、私?」
「そう! 美浜咲! かわいくて、おちゃめで、おっちょこちょいの美浜咲!」
去年と同じ学生服姿のジュンくんに見つめられ、頬が火照って来る。まるで生まれて初めて男の子に見つめられたように。私も去年と同じセーラー服。あの時は真新しかったけど、今日はいくらクリーニングしたばかりとは言え、ちょっとだけよれて、抜けないシミもある。
「オレたちって、進歩ないよなぁ」
「進歩なら‥‥‥あるよ。ほら!」
私は桜の花がたまった真っ赤なザルを差し出す。両手で慈しむように。
「同じことやってたけど、去年よりはお利口さんになってるでしょ?」
「ザルか?」
「そう。ザル! 最初から持って来てるモン!」
そうだな、と言ってジュンくんも手に持った青いザルに視線を落とす。私よりたくさんの花びらが集まっていた。去年ジュンくんが私と朝子姉さんに被せてくれたかぶせてくれた赤と青のザルを、感慨を込めて見つめる。
「進歩なら、ここにも‥‥‥」
恥ずかしくてうつむく。ちょっと声が震えたかも。舞い散る桜のように。
「どこ?」
ジュンくんのその声は、いまさら言わなくてもわかってるよ、という感じで、ちょっと意地悪だった。
お腹にそっと手をあてる。スカートのプリーツを感じる。自分のお腹なのにすごく大胆な行動に思われる。嬉しさと恥ずかしさで彼を正視できない。やはり……うつむいてしまう。
「去年の今日はまっさらな処女だった。今年は‥‥‥、もう半分‥‥‥処女じゃ、ない、よ‥‥‥」
な、なんて恥ずかしいことを言ってるんだろう、私って。額越しに彼を見上げると、いつも端正に整っている彼の顔もこの時ばかりはだらーんと伸びている。手が伸びてきて優しく肩を抱かれた。
桜を見上げて私たちの脇を通り過ぎていく近所のおばさんが、クスッと笑った。
「そうだな‥‥‥。ということは、オレも半分童貞じゃないってこと?」
「ジュンくんは、入れてないじゃない。だから、まだ……、童貞……」
人差し指で彼の胸をくいっと押す。
ま、またしても、露骨な表現を使ってしまった。「入れてない」だなんて。「童貞」だなんて……。頬が火照ってしょうがない。チラッと彼を見てすぐにうつむく。ごくっと唾をのむ。鼻血が出そうなほどのぼせている。
「でも、サキの手でオレ‥‥‥」
「イっちゃった‥‥‥もん、ね?」
「だから、オレも童貞、半分だけ卒業」
「もう……」
ジュンくんの腕をつねった。そして額を彼の胸にこつんと当てた。「入れてない」の次は「イっちゃった」だなんて。私たちの会話は露骨さを極めていく。二人の距離が縮まるほど会話も行為も露骨だ。今晩、完全に処女と童貞を捨てちゃったら、私たちの会話はどんな卑猥になることだろう。想像しただけで‥‥‥、うふん、湿ってきてしまう。
「去年はこれで
話題を逸らした方がいいかな、と思っての一言だったが、
「で、今年は? 集めた花びらで何するんだっけ?」
「え‥‥‥、それ、言わせる? 私に?」
元に戻され、私はつまった。
顔が熱くなる。ジュンくんを見上げると、彼も耳の下を掻きながら、視線を浮かせた。
「ジュンくんの希望なんだからね」
「そ、そうだったよな‥‥‥」
何をすっとぼけてるんだろう。彼って時々そういう所がある。自分から言い出したくせに。
「桜の花びらでだなんて乙女チックだよね、ジュンくんって‥‥‥」
予想外の形容詞を張り付けられて、彼、戸惑っている。フフフ、かわいい。
「お、男はなあ‥‥‥ロマンを追求するんだよ。徹底的に‥‥‥」
「追求しすぎて、少女漫画になってるし……」
その時暖かな風が吹いて、一斉に花びらが舞いだした。桜坂がもわーっと淡いピンクに染まる。
「おお、来た来た。ほら、サキ、もっともっと集めようぜ!」
同時に走り出そうとして、真正面からぶつかった。そう。なぜか真正面から衝突したのだ。
二つのザルから花びらが数枚ひらひらと散り落ちた。
「あっ、もう、ジュンくんたら」
「当たっちゃったか‥‥‥」
「左胸」
そう、去年と同じところ。それも‥‥‥
「ち、乳首の‥‥‥、真上、に‥‥‥」
顔がますます熱くなる。もう何度も触られ、揉まれたところなのに。それでも当たってしまったことが恥ずかしいのだった。乙女とは常に恥じらうものなのだ。
「痛かったか? ご、ごめん、な‥‥‥」
彼も恥ずかしいらしい。顔を赤らめている。あんなに揉んでおきながら。あんなに吸っておきながら。舐めておきながら‥‥‥。この期に及んで何を恥ずかしがることがあるの?
「痛くなんかなかったよ‥‥‥」と、うつむいた状態で私。
「そ、そう‥‥‥?」
私のことが可愛くて可愛くてしょうがないと言った目つきで見られているのが感じられる。
「とても‥‥‥、気持ちよかったよ‥‥‥。だって……、ジュンくんにあんなに愛してもらった乳首の‥‥‥真上‥‥‥だもん」
それも進歩だよな、とジュンくんは言った。そして、私の胸を左右一回ずつモミ、モミっとやって、顔を赤くした。私も、進歩だよ、と胸を突き出した。もう一回ずつ揉んでくれないかな、と期待した。それは肩透かしに会ったけど。
ジュンくんが花びらを追って坂を降りてゆく。坂の上、正門の方からは、このみちゃんと愛理が降りて来る。何を話しているのか、ふたりでキャッキャとたわむれている。3学期になって急接近した二人の手には緑色のザル。けっこう集まってる雰囲気だ。
「地べたに落ちたのはダメだぞー!」
ジュンくんがこちらを振り返って手を振った。
「わかってるよー! 清潔なヤツね! サキのアソコに入っても平気なヤツね!」
愛理が手を振り返した。
さっきのおばさんがまたこっちを振り向いて、首を傾げた。
「サキはどこかに座っててもいいのに」
「へいき、へいき!」
このみちゃんが私の腰にそっと手をあて、いたわってくれる。このみちゃんは、「初めて」の翌日の女の子のことをよく知ってるのだろう。下腹部にちょっと違和感が残っているけど、痛くはない。走らなければ大丈夫。今日は本番。昨日より数倍大きなものを受け入れるんだから、弱音を吐いてなんかいられない。
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