第26話 牧村伝説

「昔、とは言ってもどのくらい昔のことなのかわからないんだけど、湖のほとりに『牧村』と『本村ほんむら』という村があったんだ。『牧村』は農民と漁師と木こりたちが細々と暮らす貧しい村。対する『本村』は商人の町で住民は豊かに暮らしていたんだ……」


 ジュンくんは語りだした。牧村潤と言えばスポーツ、というのが定番だが、ナレーションもなかなかうまい。声もいいし発音もいい。将来はアナウンサーにでもなったらいいと思う。


「『本村』に住んでいた人はみな『本村さん』で、『牧村』の住人は皆『牧村さん』という時代だった。人口においても生活の豊かさにおいても優位にあったのが『本村』で、貧しい『牧村』の住人を見下していた」


 ある時、「本村」で大火事が発生した。多くの人命と家と財産が焼失した。どこからともなく「本村」に怨みを抱く「牧村」の者が火を放ったという噂が広まった。それまでにもどこかで事件が起こると、「牧村」に濡れ衣が着せられることが度々あった。今回も確たる証拠もないのに「牧村」の数人の若者が奉行所にしょっ引かれた。そしてあろうことか、死罪が言い渡されたのだった。


 村人たちは、なぜ自分たちだけが事あるごとに濡れ衣を着せられるのか考えた。貧しさのせいばかりではないように思われた。


 ある日、村の長老たちが牧ノ頭神社に集まり祭祀を捧げていると、天から拝殿に金の鱗に覆われた龍が下り、こう告げたのだった。


「牧村の娘たちの淫らな行いが氏神様を怒らせた。村中の15歳以上の生娘は一人残らず村から去らせなければならない。3年後に一人の娘が村に戻って来るであろう。もしその娘に穢れがなければ、「牧村」の本家に嫁がせるがよい。娘の腹から生まれる子供には龍神の運勢がともにあるだろう。だがもしその娘がすでに穢れているならば、村は嵐に襲われ、湖の底に沈むであろう」


 折しも桜の満開の季節だった。村中の15歳以上の娘が神社の桜の木の下に集められた。娘たちにはそれぞれに将来を約束した青年がいた。長老は青年たちに村の老女たちがこしらえた編み笠を与えた。青年たちはそれを娘に被せた。


 娘たちは泣く泣く村を後にした。


 3年後、一人の娘が村に戻って来た。どこでどうやって暮らしていたのか、編み笠こそ風雨にさらされ、ほころび、穴があいていたが、娘はきれいな身なりをし、頬は血色がよく、村を出て行った時より肥えていた。一説によると傍らに下女まで侍らせていたと言う。

 

 その娘が生娘であることは、牧村本家の長男により証明された。破瓜の血をしみこませたさらしは神社の桜の大木に掲げられたが、それは翌日、龍の金の鱗に覆われていたという。それを拝んだ村人たちには、夢に龍が現れた。龍の夢は例外なく幸運をもたらした。


 娘は多くの子を産んだ。長じると、みな健康で知恵者で働き者で勇気があった。彼らの耕した畑で収穫された野菜は大きくてうまかった。彼らの捕らえた魚はどれも肥え太り、生きがよく、市場ではよく売れた。武士に取り立てられるツワモノもいた。3年の放浪から戻ってきた処女が「牧村」を繁栄させたのだった。


 ジュンくんの物語を要約するとだいたいこんな感じになるのだった。


「娘に編み笠を被せ、3年間貞操を守らせる。──それが牧村家のしきたりになったわけですか」

「しきたりと言うか……」お母さまが上品にティーカップに口をつけてからいった。「おじいちゃんがね、ほら、貞利博士がね、長いこと忘れ去られていたしきたりを復活させたのよ」


 それはつまりこういうことらしい。


 ミツエさんの前に博士には同い年の夫人があったのだそうだ。貞利博士(当時はまだ博士ではなかったが)は、どこからか「牧村」の伝承を聞き、それを実行に移したのだった。つまり、東京の大学を卒業するにあたり、当時恋仲にあった下宿屋の娘を牧村に連れてきて、神社の満開の桜の木の下に立たせた。そして編み笠を被せ、こう言ったはずだ。「僕と結婚する心づもりなら、貞操を守り、3年後この編み笠を携え、ここに戻ってきてほしい」と。


「それって、とてもかっこよくないですか。というか、そういうのが似合いそうな方ですよね、博士って」


 私が正直な思いを告げると、お母さまは、ほほほ、と上品に笑った。でも、うなずいてはくれなかった。


「菊乃さん……、そう、博士の最初の奥さんは菊乃さんって言ったんだけど、3年後に戻って来たのよ。本当に編み笠をかぶって戻って来たんだって。夫婦はとても仲がよかったらしいわ。村の人たちは口々に、龍神様のご加護のおかげだって言いあったんだって。菊乃さんは4人の息子と3人の娘を残した。お亡くなりになる時、神社の神主さんが金の龍が村に降りて来た夢を見たそうよ」


 その神主さんはかなりのお歳だけど、まだご健在だそうだ。「一度訪問してお話を聞いてみればいいわよ」とお母さまはおっしゃった。


 龍神様って本当にいるんだろうか。超常現象って本当にあるんだろうか。


「長男は、つまり、私の夫の薫は、鍼灸院の医院長をやっている。経営は盤石よ。兄弟は国立大学の教授に市議会議員、東京や大阪に出て成功した者もいれば、嫁いだ先で辣腕を振るい潰れかけていた会社を立て直したというケースもある。社会的影響力の物差しで測るなら、『牧村』は今や完全に『本村』をしのいだと言えるわね」


 そういえば本村源次郎は私にフラれ、牧村潤は私と慕い合っている。高校で一番モテモテの私を仕留めたのは「牧村」なのだ。これも龍神様のおかげなのだろうか。


「うちの主人もね、貞利方式に倣って私にプロポーズしてきたのよ。編み笠なんて時代遅れだと思ったんでしょうね。麦わら帽子だったけど、ふふふ……、今ではストローハットって言うみたいね。そう、指輪じゃなくて、帽子……」


 お母様は、これ以上おかしい話があるだろうかという風にケラケラ笑った。


「その時点で1年間おつきあいしていたの。神社の桜の木の下に呼び出されて、帽子かぶせられて、プロポーズ。そのあと主人はすぐ留学したから1年間会えなかった。伝説も3年。貞利博士も3年。薫と私は短縮して1年。それでも長かったなあ。1年も会えずにいるのって。でも、今はこう思うの。会いたくても会えない思いが愛を育てたんだなって。私は貞操を守り薫と結婚した。そして長男の潤、次男のこうそして三男のみつるを生んだ。みんな健康でイケメンでスポーツマンしょ? 我慢した分、立派な子供に恵まれた」


 実際にはまだお会いしてないけど、ジュンくんの兄弟はすべてイケメンとの噂はかねてから聞いている。


「じゃ、ジュンくんが桜坂で私にザルをかぶせたのも……」


 瞼を閉じると、あの時の桜吹雪が蘇る。そうなのだ。あれこそがジュンくんと私の物語の始まりだったのだ。


「そうだよ。オレも父さんから聞いて『牧村伝説』は知っていた。『牧村』が龍神様に守られているんなら、オレもその恩恵を受けたいと思った。だからサキにザルを被せたんだ」


「でも、ジュンくん、ザルってちょっとひどくない? きれいな編み笠を被せてほしかったな」


 そう言うと、ジュンくんは人差し指を立て、チチチと舌を鳴らした。


「オレさあ、サキがこの高校いるってわかってから、まきこべ神社にすっ飛んで行って恋愛成就のお守りを買ったんだ。一番高いヤツ。いや、『買った』なんて言っちゃいけないな。『授かった』って言わないとね。編笠より高額の投資をしたんだぜ」


ジュンくんは胸を張って手のひらでパンと叩いた。お母さまが、「それでこそ牧村の息子」とでも言うように大袈裟にうなずく。


「それを制服の内ポケットに入れて毎日毎日桜坂をぶらついていたんだ。『サキ、早く来い、早く来い』って念じながらね」


「虎視眈々と獲物を狙っていたんじゃないの? 舌なめずりしながら?」


 嫌味を言ったら、ジュンくんに髪の毛をくしゃくしゃにされた。カラスの巣になった頭を指差して愛理がケラケラ笑っている。


「でさあ、サキはどうだったの?」愛理が身を乗り出してきた。「5か月間放っておかれたんでしょ。『結婚しよう』って言われてから。その間どういう心情を辿って来たのかなと思って‥‥‥」


 思い返せば、不思議な5か月間だった。「結婚しよう」と言われ、「うん」と承諾してしまい、そのあとずっとジュンくんには会えなかったのに、なぜか愛は強まっていったのだった。


「私もお母さまと同じなんです。どうして電話もしてくれないのかな。同じ校舎にいるのにどうして会いに来てくれないのかな。愛理さんとつきあっているって噂まであって、とても不安になったときもありました。とても寂しくて‥‥‥、捨てられちゃったのかなって、落ち込むこともあって‥‥‥。私って、生まれてすぐ母親に捨てられたんです。好きな人ができても捨てられ‥‥‥、私って捨てられ続ける人生なのかなって‥‥‥」


 図らずも涙が溢れてきた。悔しい思いと悲しい思いで胸が震える。すかさず愛理さんとお母さまが寄り添ってきて、背中をさすってくれる。その瞬間、私はとても幸せなんだと思った。だって、自分の思いを受け止めてくれる人がいるんだから。慰めてくれる人がいるんだから。私は大きく深呼吸をして、続けた。だって大切なこと、まだ言ってないし。


「‥‥‥『結婚しよう』って言われたことから始まった苦悩だったけど、その言葉があったから乗り越えて来られたと思ってます。だって、『結婚しよう』なんて、すっごく強烈な言葉じゃないですか。ジュンくんに世界でたった一人選ばれたってことだし、ジュンくんが私に人生をかけてくれたってことだし‥‥‥。とにかく、その言葉一つを信じてきました。たった5ヶ月だけど。貞利博士の3年間、お父さまの1年間に比べるととてもとても短い期間だけど‥‥‥」


 お母さまも泣いていた。会いたいのに会えなかった時のことを思いだしていらっしゃるのだろう。この思いは私とお母さまの共有財産だ。大切な財産を共有している限り、嫁と姑はうまくいく。きっと、うまくいく!


「私たち、小6の時、牧ノ頭神社で会ってたんです。ジュンくんはずっと覚えていてくれたんだけど、私は記憶の片隅に残っているくらいで、そこにスポットを当てたことはほとんどなかったんです。今こうして『牧村伝説』のお話を聞いてみると、あの時から『牧村』の氏神様に導かれていたんだって感じてるんです」


 ジュンくんがズズズと洟を啜りあげて、言った。


「サキには5カ月だったかもしれない。でも、オレにとっては5年近い歳月だったんだ。小6で初恋に落ちて、それ以来会いたくても会えなかった。高校に入ってやっとその子を見つけた。すぐにでも告白してつきあいたかったけど、牧村の末裔まつえいとして、花嫁候補には編み笠を被せ、3年間待たなければならない。そんなことオレにはできないと思った。父さんと母さんは1年間だったと聞いて、じゃ、オレは半年ぐらいでいいかなって……。オレ、今すぐにでもサキと結婚したい」


 ジュンくんがお母さまに訴えかけると、お母さまは大きくうなずいた。愛理も胸の前で手を握り、わくわくと成り行きを見守っている。


「わかったわ。結婚しなさい。じゃ、ジュンと最高のセックスを楽しんでもらうために、サキさん、あなたの躰、開発させてもらうわ。美浜咲の性感開発プロジェクト、いよいよ最終段階よ。さあ、こちらへ……」


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