第25話 ジュンくんの初恋だったの?
突如としてシャッターが下り、快感の流入が遮断された。私は、ジュンくんを押しのけ、助手席に向け身を乗り出す。
じっと愛理の目をのぞき込む。
「愛理……だったの……?」
「あら、何のことかしら?」
とぼけているのは明白だ。私がのぞき込むとその目はわずかに揺らいだものの、そうよ、それがどうかしたの?と開き直っているではないか。今頃気づくなんてアンタってバカじゃない?と言われているような気もする。
「目隠しされ……、ほ、保健室で……、縛られて……、あの時の人って……」
一節ごとにカラカラに乾いた喉につばを送り込みながらいう。
「フフフ……、そっか、バレちゃったんだ」
舌をペロッと出した。
悪びれる様子もなかった。というか、ばれることを待っていたような表情さえしている。
私の方も羞恥心も怒りも軽蔑もなかった。ただただあっけに取られ言葉を継げなかった。
養護教員のフミカは私のサイズを図るためだと言っていた。私にぴったりのランジェリーをつくるのだと言っていた。女のカラダは女のカラダで測るのだと。
「あ、愛理さんってね、幼い頃から才能があったの。ほら……、何て言ったらいいのかしらねえ……」
二人の険悪な雰囲気を見るに見かねて、お母さまが割って入った。
「……触りさえすれば、同じものを再生する能力。アイリってね、粘土でロダンの彫刻のレプリカだってできちゃうんだから」
「ううん」愛理はアニメ声でかぶりを振った。「いやーだ、ナツホさーん、ロダンはねぇ、アイリにはムズカしいですぅー!」
決定的だった。このアニメ声。保健室で「かわいい!」って言われた時と同じ声だ。
「中学に上がることからお洋服に興味を持つようになってね。その子の躰を触れば被服素材でピッタリの服を作ることもできるのよ。牧村の血筋は時々こういう天才児が生まれるのよ。でも、愛理さん、自分のそんな才能にちょっとうぬぼれていたんじゃないかしら。女の子に目隠しをして躰をいじりまくるなんて」
お母様は愛理の膝を軽く叩いた。私の前だからそうせざるを得なかったのだろう。痛くもない叩き方だったが、お母さまが愛理を叱ってくださったことで一応、私のメンツは保たれている。愛理がそこでやっと「ごめんなさい」と謝罪した。
本来なら、謝罪したからと言って赦されることではないと思う。だって、「サイズを測る」以上のことをされたのだから。
乳房を揉まれ、ショーツの中にも手を突っ込まれた。大陰唇を開かれ、小陰唇に指を這わされた。クリトリスも剥かれ、膣の中にも指が食い込んで来たのではなかったか。私の一番大切な所を。ジュンくんにだけ捧げたい所に彼女は泥だらけの土足で入って来たのだった。犯そうとしたのだった。
ヘアだって抜かれたではないか。一体何の目的で? まさか「美浜咲のアンダーヘアだよ」なんて、男の子たちにに見せびらかしたり、売ったりしているんじゃないだろうか。疑いだしたらきりがない。次から次へと変態的想像が湧いてくる。
でもさあ……。
でも、愛理は謝ったのよ。頭を下げて。だから許してあげたい。
その件はもう解決にしたいの。
話題を変えようと思った。
「あの、ジュンくんのお母さまは愛理さんのことさん付けでお呼びしますよね? 愛理さんもお母様のことを『夏帆さん』ってお呼びする……」
「ああ、それね……。愛理さんは私の義理の妹になるわけ」
「義理の……、ということはジュンくんのお父さんの妹さん」
「ええ、そういうことね……。まあちょっと複雑なんだけど……」
要するに、貞利博士の最初の奥さんが亡くなった後、ミツエさんが後妻として嫁いできた。愛理は博士とミツエさんの間にできた娘なのだそうだ。
「ということは、愛理さんはジュンくんにとって、えーと……」
父母も祖父母も兄妹もいない私は、親族関係を言葉で表すのが苦手だ。するとジュンくんがすかさず、
「叔母さんなんだ。オレの叔母さん。同い年だけど、愛理は叔母さんなんだ。そうだよな、愛理? オマエ、オレの叔母さんなんだよな?」
ジュンくんに肩をつつかれた愛理さんは素早く振り向いた。
「うっるさいわねえ、オバサン、オバサンってぇー。もう、このクソガキィー!」
そうか、それで納得。一つ解決。この勢いでもう一つ解決してみよう。
「あの……、じゃあ、保健室のフミカ先生って……」
「ああ、フミカはね、ジュンにとっては『はとこ』かな? 要するにおじいさんどうしが兄弟なのよ。ああ、宮田このみもそんな感じよ。貞利博士の妹さんの血筋になるのね」
なんだ! 要するにみんな牧村の血で繋がっているんだ。
いや、待てよ……。ジュンくんも愛理もこのみちゃんもフミカも血がつながっているなら、そして同じ高校に通っているなら……。
記憶は保健室事件の翌日に飛んで行った。貞利博士に鍼治療をしてもらったときのこと。腰の治療の後、仰向けになれと言われ、胸元と下腹部を中心に何本もの鍼が刺されたこと。性感帯の開発だとミツエさんが言ってたこと。どうしてあの時、患者本人が不調を訴えたわけでもないのに性感帯開発をされたのだろう。
え? まさか、愛理さんからの情報、つまり私が不感症だという情報が博士とミツエさんにも……?
ばらばらだった事象にようやく一本の糸が通された。
私は大きくため息をつき、座席の背もたれに深く寄りかかった。
車は地下駐車場に降りてゆく。地下二階まで下り、そこから4人でエレベーターに乗る。音も振動もない箱は私たちをマンションの最上階に届ける。扉が開いたら、そこはもう大理石の玄関。大きなシャンデリアが視界に飛び込んで来る。
リビングに通された。ベランダからは私たちの町の夜景だけでなく、遠く湖の向こうの
「あの時は、本当にごめんね。こわかったでしょ?」
隣の愛理が私の手を取って謝ってきた。再度の謝罪だ。心から悪いことをしたと思っているらしい。愛理だって女だから自分がどんなにいけないことをしたのか理解したのだろう。
確かに目隠しをされ身体をいじりまわされた時の気分は二度と思い出したくない。でも別に彼女のことを怒っているわけではない。ほかのオンナなら怒ったかもしれない。軽蔑したかもしれない。でも、愛理には否定的な感情が持てない。
愛理がお母さまとジュンくんの様子をチラリと見る。すると、一つ咳払いをして話し出した。
「ジュンがね、初恋の子、やっと見つけたって言って、すごく喜んでたの。でね、私、どうしても二人を結び付けてやりたくなっちゃったの。どうしてそんな思いが湧いてきたのか不思議なんだけど。憑きものにつかれたようにね」
そこへジュンくんの補足説明が入る。
「牧村の家ではね、男子が生まれると配偶者探しは叔母が責任を持ってたんだ。まあ、昔の話だから、そんなことにこだわる人は今ではほとんどいないんだけどさあ。オレも、親父の兄妹が多いからその人数分叔母がいる。でも、オレの嫁探しのことなんて誰も気に留めてないよ。なのに不思議なことに愛理だけは小さい時からそれにこだわりを持っていた。中学の時なんて愛理の親友と無理やりくっつけられそうになった。それがもとでオレの大親友と殴り合いの喧嘩になったこともある。その時以来、オレは女恐怖症だよ」
なるほど。それで桜坂で初めて会った日、「オンナ恐怖症」だとか「平和主義者」だとか言ってたのか。疑問が一つ解けていくたびに心が軽くなっていく。
愛理が話を本線に戻す。
「そうなの。なぜか、ジュンの将来のお嫁さんは私が探す、みたいな変な責任を感じてたの。きっと昔の牧村の叔母さんたちの霊が憑いてるんじゃないかしら」
愛理は両肩を手で払う仕草をすると、ジュンくんのお母さんがフフフと笑った。かわいいと思った。
「だから、サキってどんな躰しているんだろうって、すっごく関心があったの。あ、誤解しないでね。私がサキの躰をどうこうしたいということじゃなくて、あくまでもジュンのセックスの対象としての躰だからね。一度結び合ったら絶対離れられない躰にしてやろう。性感帯を思いっきり花開かせてやろう。そしてほかのどんな女より美しく飾ってあげようと思ったの。思いっきりエロいランジェリーを作って。でも、ちょっと調子に乗りすぎちゃったみたいね……。ごめんなさい」
三度目の謝罪だった。うつむいた彼女の顔は長い髪の毛に隠れて見えなかったけど、背筋はピンと伸び、しっかり揃えられた膝のうえに両手が行儀よく置かれていた。その姿勢が彼女なりの誠意だ。愛理ってとても素直な子なんだ。
私はちょっと無理して笑顔を張り付け、「いいよ、もう」と手を振った。そしてジュンくんに向けて今一番気になっていることを訊いた。
「私がジュンくんの初恋? 『やっと見つけた』って‥‥‥、私たち、桜坂で出会う前にどこかで会ってたっけ?」
記憶のどこを探ってみてもジュンくんと会った記憶はない。初恋だったと言われてすごく嬉しいけど、私は混乱していた。一体どこで会ったんだろう?
「あの時は、オレもサキも小6だった」ジュンくんが語り出した。「オレは名前を教えなかったけど、キミたちは女の子どうし呼び合っていたから、キミの名前は知っていた。──ミハマ・サキ」
ああ、あの時の‥‥‥。確かに小学校6年生だった。神社の夏祭りでの出来事。
ひょろりと背の高い男の子はいくら名前を訊いても教えてくれなかった。一番知りたいことを教えてくれない。意地悪な子だと思った。どうしてダメなのかって訊いたら、呪いをかけられるからだと言われた。「ヘンな子」と首をかしげたのを覚えている。
「キミの友達はきれいな浴衣を着ていた。よく笑ってとても愛そうがよかったなあ。かわいい部類に入るんだろうけど、どこにもいる女の子って感じで大して興味は湧かなかった」
佳穂ちゃんは確かにちょっと軽い子だった。男の子には特に愛想が良かった。中学に入ってから学期ごとに違うカレシとつきあってたみたいだけど。
「それに対してキミは学校の体操服のようなシャツとデニムのショートパンツ。友達とは正反対でオレが冗談を言っても、キュッとくちびるを結んでなかなか笑おうとしなかった。オレはキミの心を開こうと一生懸命だったんだ。何を言っても笑わなかったけど、オレがすくってやった金魚を指差して『金魚、好き?』って訊いたら、キミはうんうんと何度もうなずいて笑ったんだ。とても愛らしい笑顔だった。前歯が大きくて真っ白で、笑窪もかわいくて、笑い声がちょっと低めで艶があるんだ。それがオレの初恋の瞬間だった」
そうか、あの時私はTシャツだったっけ? 金魚すくいのことだけは克明に記憶に残っているけど、服装のことは忘却の彼方だ。少年とは結構いろいろなことを話したように記憶している。ジュンくんが私の心を開こうと一生懸命話かけてくれたから、自分でもたくさん話したように錯覚していたのだろう。同じ体験でも人によって随分違う捕らえられ方がされているんだなと思った。
頬にキスした件は、彼の記憶ではどうなっているのだろう。
「あの時私、神社の階段で転びそうになって‥‥‥」
「そうそう、あの時オレがサキを抱きとめてやったんだっけ。あの時流行っていたドラマと全く同じ展開だったから、三人ですっごく盛り上がっちゃったよな!」
「それで私にキスしたんだよね、ジュンくん?」
そう言って目をのぞき込むと、彼は言葉を切って天井に目をやった。記憶を確かめるときの癖だ。
「‥‥‥してねえって、そんなこと」
「したよ。ここんとこ‥‥‥」そう言って私は頬を指差しジュンくんに見せた。「チューって音たててさあ」
「ばっか! それはあのドラマの中の話だろ⁈ キミの友達がキスしろって囃し立てたけど、オレそんな不良じゃねえし」
「そ、そうだよね。キスなんて‥‥‥しなかった、よ、ね‥‥‥ははは……」
記憶違いだったのだろうか。あの日の後、きっと佳穂ちゃんに「キスしたらよかったのに」とか言われたのかもしれない。あるいは、私も少年に少なからず好意を持っていたから、キスの場面を想像しただけだったのかもしれない。それらが干渉していびつな記憶が出来上がったのか。
窓の向こうの湖畔の夜景が一斉に瞬いた気がした。
今日はやっぱりクリスマスイブなんだ! あの時の少年がジュンくんだったってことがわかったことが、私にはすっごいサプライズだ!
「でさあ、あの日の‥‥‥、ほら、桜坂でキミとあった日の三日ぐらい前だったかな。オレ、挨拶に行ったんだよね。いや、行かされたと言った方が正しいんだけど。山本先生に。ほら、数学の。父さんの幼なじみ兼患者さんだったから」
「……」
私は首を横に振った。知らない先生だ。私たちのクラスの数学は波多野先生だ。
「その時、山本先生の机の上に合格者名簿があってさあ、同じ中学のヤツらの名前なんかもあって、ぼんやり見てたんだよね。そしたら‥‥‥発見しちゃったんだ。『美浜咲』。
その日以降、彼は毎日に手にザルをもって桜坂を何度も何度も上り下りしていた。二三日中に私が必ずあの桜坂を上ってくるはずだとの確信があったのだそうだ。「確信の根拠は?」と訊いたら、ニカーッと笑顔を広げ「勘だ」と答えた。
そうそう、小6のあの時も少年はこんなふうに口を思いっきり横に広げニカーッと笑っていたっけ。ああ、ジュンくんだったんだ。ほんとうにジュンくんだったんだ!
「でも、なんでザルなの? 私の気を引くんなら、チョコレートとか、アクセサリーとか、ほかのものがいろいろありそうだけど‥‥‥」
「伝説なんだ」
目が点になった。私の呆気を取られた表情を見て愛理がクスッと笑った。
「で、伝説?」
声が裏返る。くちびるが「つ」の形でかたまる。愛理が耐えきれずプッと吹いた。私ってそんな変な顔したのかしら。
「うん、『牧村伝説』。‥‥‥っていうか、伝統か、な?」
ジュンくんが首を
「じゃ、キミにも話しておくよ、『牧村伝説』。これでキミが高校入学してから今日のことまで少しは納得がいくんじゃないかと思う」
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