第20話 私のお尻はゴールじゃない!

「クリスマスイブと言えば、サッカーだよな!」

「だよなぁー!」


 ふだんふさぎがちな園児まで大きな口開けてみんなと声を合わせている。


「愛光園クリスマス記念ハチャメチャサッカー大会で優勝して、ケンタッキー食うんだよな!」

「食うんだよなぁー!」


 みんなの声がガラガラになっている。 いったい何度こんな問答を繰り返しているのだろう。 


 真純ますみたちと軽くお茶してから帰宅すると、施設に園児たちの歓声が溢れかえっていた。きっと中庭に違いない! わたしもはやる心を抑えられず駆け足で玄関から中庭に回ってみると、たちまち汗まみれの子どもたちに囲まれたのだった。


 雪が降り出しそうな寒空の下、みんな額に汗をかいている。血行のよくなった顔がピンク色に火照っている。呼吸が荒い。みんな一様に華奢な肩が上下している。みんながこんなに夢中になって一つのことに取り組むのは本当に久しぶりな気がする。ははは、昇平くんも守くんもジャージが泥だらけ。半袖半ズボンで膝をすりむいている女の子もいる。


「みんなどうしたの。こんな汗だらけになって?」

「サッカーやってたんだ。 サキ姉ちゃんもやろう!」


 20人を超えるヤンチャな園児たちに囲まれる。見ると彼らの後ろにひときわ背の高い人物がいる。指の上でサッカーボールを回しながら、穏やかな笑顔をわたしに向けている。


「ゲ、ゲンジ先輩!」

「よーう、美浜さん!」


 彼と肩を並べて息をハアハア言わせ、寄り添うように立っているのが朝子姉さん。


「サキ、お帰り! みんな、アンタのこと待ってたんだよ!」


「愛光園の子どもたちは男の子も女の子も、みんなサッカーするんだよなー!」


 ゲンジ先輩がだみ声を張り上げると、幼稚園児から中学生まで全員が声を合わせる。


「するんだよなぁー!」


 キャハハハハーと、少年少女の健康な笑顔がはじけ飛ぶ。


「美浜咲もオレたちとサッカーしないといけないんだよなー!」

「いけないんだよなぁー!」


 ゲンジ先輩は愛光園が初めてだというのに、すっかりみんなの親分になっていた。朝子姉さんも幼稚園児や小中学生に混ざって、あんなに嬉しそうに輝いている。よかった。朝子姉さん、ゲンジ先輩と仲よくしているんだ。


 途端にみんなに手を取られ、たっくんにお尻を押された私は、いつのまにか中庭の真ん中に引っ張り出されていた。こうなったら、やるしかないか! サッカーなんて中学生の時以来だ。走りまわるのって大好き。胸が高鳴り体中がむずむずしてきた。


「よーし、手加減しないぞー」


 鞄をミニゴールの脇に立てかける。マフラーを取り、コートを脱ぐとみんながオーとはやし立てた。脱いだものをゴールの上に引っ掛ける。そして、セーラー服姿でにわか仕立てのミニサッカーコートを踏みしめる。下がスカートなのが心もとないけど、かまわない。だってみんな気心知れあった園の子どもたちだから。


 ゲンジ先輩と朝子さんが「悪魔チーム」。その他全員が「サンタクロースチーム」なのだそうだ。チーム名は愛光園で一番幼いゆきちゃんとたっくんがつけたという。


「サキお姉さんと一緒のチームだね」


 スカートを引っ張られ見下ろすと、背中にかわいいウサギの縫いぐるみを括り付けたゆきちゃんがいた。目が合うと両手を差し出す。おんぶの催促だ。


「そうだね。一緒だね!」


 ゆきちゃんを背中におぶると、「きゃははは」とかわいい歓声を上げ首に抱きついてくる。ぽってりとして潤った手。


「よーし、二人で頑張ろう!」

「うん、がんばろう!」


 ピピピーっと、試合再開のホイッスルが鳴る。


 中学生の男の子が蹴るボールはけっこう強い。あんなのがゆきちゃんやたっくんに当たったらたまったものじゃない。私の使命は幼い園児を守ること。とは言いながらも、彼らをほっぽらかしにしてボールを追いかけまわした場面もけっこうあった。


 ボールを蹴り損ねてパンプスがヒューンと飛んでく。それが朝子姉さんの顔に命中して、爆笑がはじける。強いボールに足を取られ、ゆきちゃんをおぶったままスッテーンと前に転んだ。パンツ丸見えで、指差されて笑われた。同じチームの子にぶつかって、弾き飛ばされ、足が絡んですっころび、またパンツ丸見え。そこに思いっきり泥だらけになったボールを当てられ、まっ白なパンツにボールの模様が版画される。何度指さして笑われたら気が済むんだろう。ゆきちゃんにまで笑われた。


 サンタクロースチームは全員で攻撃し全員で守る。キーパーはその時の状況で誰がやってもいい。悪魔チームの方はと言うと、ゲンジ先輩はキーパーのみで、ボールは蹴ったらいけないという規則まである。だから、攻撃は朝子姉さん一人。それがゲンジ先輩が決めたルールだ。


「おねえちゃん、にげて、にげて!」


 たっくんに警告され、私は逃げ回る。


「ちょっと、みんな、ゴールは向こうでしょ。どうして私ばかり狙うのよ⁈」


 後ろから飛んできたボールが、私のお尻にパシーンと当たる。ポテンと落ちて力なく転がる。たっくんとゆきちゃんが手をつないでケラケラ笑っている。


「痛いったら! みんな、私のお尻はゴールじゃないの! キャッ! 痛い!」


 朝子姉さんが腹を捩って笑っている。ゴールの前で手持無沙汰なゲンジ先輩も外国人のように腕を広げてヘラヘラ笑っている。


 私は逃げる。逃げても逃げてもボールが飛んできて、狙いすましたように私の丸いお尻に当たるのだ。憎たらしい中坊ども。覚えてろよ~!


 私が散々だったぶん、園の子どもたちは小学生も中学生も、男の子も女の子もキラキラ輝いている。よかった。みんなの笑顔が嬉しい。


 中学生男子の力強いシュートをゲンジ先輩は完璧に遮断した。「そういう時はなあ、上体でこうやってフェイントをかける。で、こっちの方向へ蹴るんだ」「足の角度はこうだ」といちいち指導までしてくれる。「すっげーシュート蹴れるんだなあ!」「お! オマエ、あとで名前教えろ! 湖南高校サッカー部に来い!」と激励の言葉までついてくるから、みんな、特に男子は、大はしゃぎだ。



「ゲンジがボランティアでここに来たいって言うから、園長先生に訊いてみたのね。そしたらすぐ許可してくださって……」


 ゲームの合間に朝子姉さんが息を弾ませて言った。久しぶりに見るお姉さんの笑顔。実は秋に就職が決まってから、お姉さんはちょっと精神的に不安定だったのだ。私の部屋に来てぼーっとしてたり、夜中に私の布団に入って来て赤ん坊のように胸を触ってきたりして。その彼女が今日は生き生きと輝いている。それもゲンジ先輩のお蔭だ。


 見上げると3階の窓から園長先生が私たちを見下ろしてニコニコしていた。「美里みさと先生ぇー」と手を振ると、私だけでなく園のみんなに「おーい!」と手を振ってくれた。


「ゲンジ先輩、園児たちのお父さんみたいね。すごく頼もしいし、カッコいいよ」

「へへへ……、そ、そうかなあ」

「そうだよ、ゼッタイ! 子供たちの気持ち、すごくわかってくれているもん」

「ふふふ、ありがとう……」


 別にお姉さんのことを褒めたわけではない。それなのに、彼女は久しぶりの激しい運動で紅潮した頬をさらに紅潮させて、はずかしそうにうなずいた。それはまごうことなき恋する乙女の表情だった。


 結果は1対0で「サンタクロースチーム」の勝利。その1点はなんとたっくんが決めたのだった。


「だって、ゆきちゃんのコチョコチョ攻撃がくつぐったくて、俺、動けなかったんだよ。そうだよな、ゆきちゃん⁈」



 ゲンジ先輩がゆきちゃんを抱き上げひょいと肩に載せる。あどけない笑顔のゆきちゃんには、肩車が初めてだったのだろう。この時ばかりは顔を引きつらせていた。


 ゴールを決めたちっちゃなヒーローもみんなに胴上げされた。だが、生まれて初めて空中に放り出されたたっくんは恐怖で泣き出してしまった。やれやれ、力の加減がまだわからない少年少女なのだ。


 子供たちが続々と玄関に入って行く。私はゴールに引っ掛けたコートを羽織り、鞄を手に取った。ふと中庭の隅に目をやる。朝子姉さんがゲンジ先輩のジャージについた汚れをはたいてあげている。胸もお腹も背中も脚も、そしてお尻も。とても仲睦まじそうだ。すると「オマエも泥、落とせよ」と言って、ゲンジ先輩もお姉さんの太腿やお尻に着いた泥をはたいてやっている。パンパンと乾いた音がここまで届く。


 よかった、と思った。お姉さんとゲンジ先輩うまくいってるんだ。それも、かなり。さもなければボランティアで愛光園に来たいなんて言わないだろうし。このまま二人の仲がいい方向に進展してくれればいいと願った。ふたりとも3カ月後は教育の場から巣立つのだ。


 私もセーラー服が、芝生と泥とボールの跡で悲惨な状態になった。さっき中学生の女の子たちにお尻を叩いてもらってボールの跡はだいぶ薄らいだ。でも紺色のスカートのその部分だけ薄汚れている。どうせいいか。明日から学校ないし、クリーニング出すんだし……。私はアツアツの二人を中庭に残し、こっそりと玄関に回る。


「ジュンくん……。ジュンくんたらぁ……。クリスマスだよ。ジュンくーん」


 お尻の泥をはたいてもらいたい人の名前がくちびるからホロホロとこぼれ落ちた。





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