第13話 16歳で婚約?
この瞬間、私とジュンくんは目に見えない絆で固く結び合った実感があった。私だけではない。ジュンくんの目の色にも、奇跡と出会った驚きの色が灯っていた。これは純粋にスピリチュアルな体験だった。
「ああ、神さま‥‥‥」
恍惚の境地から祈りがあふれ出たとき、
バターン!
奥の部屋のドアが勢いよく開いて、甲高い声が響き渡った。
「ジュン
私は首に縄を掛けられ引っ張られるようにして、現実に帰ってきた。
「お? ナミちゃん、来てたの?」
ジュンくんに上体を起こされる。私は膝をそろえて居住まいを正す。両手が膝の上に置かれる。雲の上に座っているようにふらふらと安定感がない。
「うん、きょうジュン
4歳くらいの女の子が片手で目をこすり、もう片手で黄色いクマの縫いぐるみを抱いて立っていた。たった今昼寝から起きたばかりのようだ。ちょうどトトロに出てくるメイちゃんみたいに元気でかわいい女の子。ツインテールがお茶目だ。今日の青空みたいに真っ青なワンピースを着ている。
「だあれ、そのおねえさん?」
目を擦っていた手で私を指し示す。
「ジュン兄のお嫁さんじゃないかい?」
治療室の方から声が聞こえて振り返ると、ミツエさんだった。いつのまにか治療室から出て来て、私たちの前で腰をかがめると、テーブルの上にあった手帳を手に取り、ページをめくりだした。おじいさん鍼灸師も出てきて、ナミちゃんの頭をクシャクシャと撫でると、奥の部屋に入って行った。
「そうだよ。お祖母ちゃんのいうとおり。このオネエさんはね、ジュン兄のオヨメサンなんだよ」
と、ジュンくんの補足。
ちょ、ちょっと、この人たち、何を言ってるんだろう。口を「あ」の形に開いて彼を見上げる。ミツエさんが意味ありげな目つきで私にうなずいている。この人たち、絶対正気じゃない。いや、ちょっと待てよ。正気じゃないのは私の方かも。頬を叩く。生足を引っ搔く。手の甲をひっぱたく。お得意の自傷行為。
「オヨメサン……? けっこんしたのぉ?」
垂れ目のナミちゃんはいっそう垂れ目になって、歩み寄って来る。
「まだだよ。でも……、お嫁さんなんだよ」
「オヨメサン、オヨメサン……」
ナミちゃんが急に走り出す。裸足でパタパタ音をさせて、私の前まで来ると、くるっとお尻を向け膝にぺたんと座った。柔らかそうな髪の毛から甘ったるいにおいが漂って来る。それは私をとても幸せにしてくれる。幸せの一片を手に入れたような気がした。
──じゃあ、キミで決定だ!
──あらあら、本人の意志も聞かないうちに……。
ここを初めて訪れた時の「おじいさん先生」とミツエさんの声が蘇る。
そうか、あの時からジュンくんのオヨメサンになることが決まってたのか。え? 本人の意志? 私の……、私の意志は……。
──オヨメサンでいいっか……。
それが「私の意志」。幸福感に満たされニンマリしてしまう。
ナミちゃんを抱っこして、ジュンくんの隣にぴったり躰を寄せて座っていると、彼のオヨメサンになることが、当然なことのように思われた。とても自然なことに感じられた。そうよ、私の運命の人だもん……。
「結婚しようよ」
ジュンくんが左手でナミちゃんの頭を撫でながら、ちらっと私を見る。
「うん……」
私はうなずく。
そう。うなずいたのだった。
彼と目が合って二人でにっこり微笑みあった。
桜坂での出会い。
体育館前での慌ただしい再会。
保健室事件からおじいさんの鍼灸院。
そして今日、結婚の約束をした。(ん? 約束はしてないか‥‥‥)
この大きな流れにはとてつもない力が感じられる。いや、力というには語弊があるかも。会いたい人、気の合う人、好きな人と一緒にいたいという思いが大きな流れを作り出し、それに身を任せたいと思わせる「魅力」が感じられる。保健室で素っ裸にされた事故を除けば、これまでの歩みは、会いたい人(ジュンくん)、好きな人(ジュンくんとこのみちゃん)、尊敬できる人(鍼灸院のおじいさんとミツエさん)との出会いで紡がれていた。「好き」だからこそ反逆不可能なのだ。最強なのだ。最強だからやはり「力」と言うべきだろうか。
流れの源には誰がいるんだろう。きっと神さまだ。愛の神さま。神さまは聖書を読まなくちゃわからないというものではないと思う。好きな人や尊敬する人と一緒にいて嬉しいと感じるその心は、ご自分で創造された天地をご覧になり「よし」とされた神さまと同じ心なのだ。すなわち、嬉しい時、私たちは神様になれるのだ。創造主と同じ精神的たかぶりとパワーを持つのだ。
神さまが流してくれるしあわせの大河の水の一滴一滴は、好きな人との出会いだ、きっと。それが運命とか宿命とかいうものなのだろう。としたら私は、逆らうことなく流されていきたい。
まだ、16年しか生きてなくてあまりよくわからないけど、きっとみんなこうやって人生の大海を渡っていくんだろうと思う。迷ったときは流れに身を任せてみる。愛する人、好きなこと、やりたいことに素直になってみる。それは神さまが作られた流れだから、人を決して不幸には導かない。
流れに飲み込まれるのはラッキーなことだ。だって、流れがなかったら、頭がおかしくなるくらい多くの選択肢から一つだけを選ばなければならないから。たいして頭の良くない私には、いつも正しい選択ができるという自信はない。
流れというのは細い道と同じだ。分かれ道に差し掛かるたびに右に行くか左に行くか決めればいい。いや、決めるまでもないかもしれない。流れに乗って自分でも知らないうちにどちらかに押し流されていく。そこには葛藤も矛盾も緊張も責任もない。いいじゃないか、流されていけば。どの方向へどう流されても「人生」であることには変わりない。流されることで神さまの意志がわかることもあるだろう。人の選択よりも神さまの意志の方が絶対に正しい。
私を捨てた両親は何もかも自分で決めなくてはいられない、我の強い人だったのかもしれない。神さまの大河に流されることを不本意に思ったのかもしれない。だから、自分で道を選択した。その結果、複雑な事情が発生して子どもを捨てざるを得なくなった。
親はそうだったかもしれない。親は反逆者だったかもしれない。自意識が強すぎたのかもしれない。それで不幸になったのかもしれない。だが、それは親の人生。親の道。親の結果だ。私には関係ない。なぜなら、別の命だから。別の人格だから。
赤ん坊は例外なく大河の中に産み落とされる。その子にふさわしい出会いが与えられ、使命が与えられる。好きな人、好きな仕事だから、それに従うことが幸福への道だ。出会いを大切にし、与えられた仕事を真心を込めて遂行すればよいのだ。
捨てられたことを私は恨まない。親がわたしを捨てたのは親の人生の中で起きたこと。私の人生には関係がない。生まれた時から私には私の河がある。私の人生に与えられたことは、私の好きな人との出会い。私の尊敬する人との出会い。そしてそのうち、好きな仕事との出会いがあるだろう。それはまるごと私の人生だ。親には関係ない。この世に生まれたことだけを感謝すればいいのだ。
親のなした悪に私は関係がない。
私が流されていく先にはきっと幸せがあるはず。だって、悪人も悪意もないんだから。今起こっていることも、これから起こることもすべては善なんだ。
そう信じよう!
養護施設には特定の宗教はない。でも信仰なら幼い頃からあったような気がする。私をいい方へ、いい方へと導いてくれる神さまを漠然と信じてきたような気がする。
人生、必ずよい方へ向かうという、根拠のない自信があったような気がする。
高校一年生で婚約。
いいじゃないか!
高級ホテルの最上階のレストランでプロポーズされ「Yes」か「No」か選択を迫られるわけではない。「仲良くしようよ」「うん、いいよ」。そんなノリでいい。眉間にしわを寄せて真剣に考えることもないと思う。ジュンくんは悪い人ではないと思う。それで新郎の資格は十分だ。あとは、私とジュンくんが幸せになるように、互いに知り合い、歩み寄り、理解し合い、将来の家庭生活にそなえればいい。結婚相手に必然性はないのだから。
理想の伴侶は見つけるものじゃない。お互いの誠実と努力によりつくるものだと、私は信じている。その過程は机に勉強するより価値があると思う。だって、人生そのものの勉強だから。
高校卒業まですべきことをまとめてみた。
ひとつ。
勉強は、私がジュンくんに魅力的な女性に見えるように教養をつけることが目的。入試のための勉強じゃない。女性として輝きを磨くための勉強をするつもり。本をたくさん読もう。ジュンくんが海外赴任になったら彼をしっかり支えられるように英語も勉強しておこう。
ふたつ。
健康管理。そして、からだ作り。ジュンくんとふたり、いつまで幸せでいられるように健康な躰をつくろう。健康な赤ちゃんを生めるように生理の日は無理しない。排卵日も無理しない。でも、ぐうたらしていてもダメ。悪い男から貞操を守るために、ジュンくんに空手を教えてもらう。
みっつ。
性感帯を開発しよう。だって、夫婦生活のクオリティーを上げるのにセックスは重要ポイントだ。彼が私の不感症を指摘したということは、それを直してほしいということじゃないだろうか。いいよ、ジュンくん。あなたの性欲をしっかり受け入れられる妻になるから。ジュンくんを絶頂に導き、私自身も深いオルガズムに達することができるように、
ということで、──今この瞬間から私の新しい人生がスタート!
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