第4話 王子さまを探して

 道は自分で切り開くものだ。だからザル王子も自分で探す!


「よし!」


 とガッツポーズを決めると、鏡に映りこんだくちびるが今日もアヒルだ。


 自室から廊下に出ると最近入って来たばかりの男性の職員さんが掃除機を回していた。はじめ私はこの人を「田村さん」と記憶していた。それが間違いだと本人から指摘されたのが一昨日。笑うと口が四角になって漢字の「田」に見える。「田の口」だから田口さん。もう間違えないからね。


「おはようございます、田口さん!」


 私は愛光園の誰よりも明るく挨拶をしようと決めている。田口さんはちょっとびっくりしたような顔で腕時計をのぞき込んで、もう行くのかい?と上目遣いでニッコリしてくれる。


 カバンを片手に玄関へ続く階段を身軽に駆け降りる。プリーツスカートがふわっと浮く。その時、足の付け根の方まで風が通り、身体が浮き上がるような気がする。その気分が大好きだ。今日はきっといいことがある。──それが確信できる瞬間だから。


 学校まで歩いて20分。今日は田口さんのことを考えながら歩いた。


 有名国立大学の出身。それも、法学部だなんてすごくない? お父さんもお兄さんも弁護士で、お姉さんはお医者さんなのだそうだ。ドラマに出てきそうなエリートファミリー。そんな彼が児童養護施設で働いている。弁護士さんなんて引く手あまただろうに、どうして施設で働いているんだろう。


「僕ね、できないことが沢山あってね、弁護士なんてとてもじゃないけど……」


 と言葉を濁らせたときも口は「田」になっていた。眼鏡も四角っぽいし、肩の骨が張っているから体形も四角っぽい。全身四角で構成されているから、もっと安定感があっていいはずなのに、この人はどことなく不安定さを感じる。


 心理的に不安定な人。──社会のヒエラルヒーの頂点に立てるような能力を持った人でも、いろいろ悩むことはあるんだなと思った。人生って私たちのような孤児にも、優秀な人にも、裕福な人にも厳しいものなんだね。高1の私にはまだよくわからないけど……。


 桜坂を登って校門を入る。昇降口に生徒はまばらだ。運動場の方からカツーンとボールを打つ音や部員たちの掛け声が聞こえてくる。


 毎朝ホームルーム開始直前に教室に入る私は、今週だけ30分早く出て各運動部の様子を見てまわることにしたのだった。


 私たちの教室は昇降口入ってすぐ右。11HRホームルーム。1年生の1組という意味。ちなみに朝子姉さんは35HRだ。


 教室に入ると、宮田このみさんが窓辺の自席で文庫本を読んでいた。朝日を受けツヤツヤと輝く漆黒の髪が肩のすぐ上まで伸びている。


「へえー、いつもこんなに早いんだ」


 教室に入るなり、机の上にカバンを置き、彼女に近寄って行く。あまり口をきいたことのない子だけど、教室に自分一人でないのが嬉しい。自然と笑みがこぼれる。


「う、うん」


 見られたくない姿を見られたとでも言うように、宮田さんはおずおずとうなずく。生まれたての子犬みたいだと思った。自分を守るすべもまだ知らない、不安げで小さな小さな存在。(それがとんでもない誤解だったということは、明日に明らかになる。女の本性はスカートをまくり上げて見るまでわからないのだ!)


「ねえ、一緒に運動部見学しに行かない?」

「う、運動部?」


 宮田さんは戸惑ったように、長い前髪の下で小さな目をぱちくりさせた。はは……、指先が震えている。かわいい‥‥‥。この瞬間、私は宮田このみさんに今まで感じたことのない愛着を感じてしまった。


 ハハハ……。この子「宮田さん」じゃなくて「このみちゃん」だ。うん、そうそう。「このみちゃん」って呼ぼう。ちっちゃくてコロコロした真っ赤な「木の実」。


 なかなか返事が返って来ないから、ひょっとして私は彼女に悪いことしているのかなと思ってあきらめかけた時、「いいよ」と言って本をパタン閉じた。あたかも何か大きな決心をしたかのように。


 このみちゃんは閉じた本をカバンにおさめる。誰にも見られてはならない秘密を隠すように。(「ように」じゃなくて、本当に秘密だったということも後でわかるようになる。)席を立つとスカートが短い。階段の下からのぞいたらパンツが見えちゃうくらい。


 この子はこんなにおとなしい性格なのに、こんなに文学少女なのに、スカートだけはどうしてこんなに短いのかな? いつも不思議に思っていた。でも「宮田さん」じゃなくて、「木の実ちゃん」なんだと思うと、なんとなくうなずけてしまうのが不思議だ。きっと、スカートの中もちっちゃくて丸い、ころころとした「木の実」なんだ。それをみんなに気づいてほしくてスカートを短くしているんだろう。──そんな奇妙な考えが突如として私の心に浮かんだのだった。


 このみちゃんは小さくてかわいいけど、男の子にモテるタイプではないと思う。自分からはおしゃべりの輪に入って来ようとはしない、どのクラスにでもいるちょっと暗めの目立たない子。でも、このみちゃんは脚がとてもきれい。ふくらはぎと太ももの脂肪の付き具合から、スカートに隠れたお尻がどんなにかわいいか想像することができる。彼女自身はそのことをよく知っているんじゃないかな? 席を立つたびに、短いスカートを引っ張って下着が見えないように配慮している。そんな姿を、クラスのけっこうたくさんの男子たちはチラチラとみている。私も時々チラ見してしまうことがある。


 今日はそんなこのみちゃんがツレだ。本を読んでいたかっただろうに、私なんかにつきあってくれて感謝だ。


 体操着の入れてあるバッグからザルを引っ張り出したとき、ツレがまた目をぱちくりさせた。


 ──ハハハ。やっぱり「木の実」だ。


 私はますますツレがかわいくなってきた。


 何か言いたそうにピクピクさせているくちびるからはなかなか言葉が漏れて来ない。その小さな手を取ると一瞬身構えたが、にっこり微笑みかけてあげると力が抜けて肩がすうっと下がった。


 ──ふふ‥‥‥。「木の実」を手なずけたぞ‥‥‥。


 ふたり手をつないで教室を出た。


 サッカー部は運動場を走り回っているから廊下の窓を開ければよく見える。市内の中学生一律の五分刈りの名残を残す部員たちは一年生だろう。一人一人の顔を観察するが目的の男子はいなかった。念のためパンプスに履き替え、運動場を囲むコンクリートの階段にまで下りてみる。このみちゃんと練習風景が一番よく見える地点に歩いて行く。


 向こうのゴール前で練習しているのはどうやら上級生のようだ。


 目の前では、オレンジ色の円盤型マーカーを等間隔に並べ、その間をドリブルしてゆく。一年生たちのようだ。みんなとても上手だ。どうしてあんな器用なことができるんだろうと不思議に思う。ボールが自分の躰の一部のよう。ふくらはぎと腿に筋肉がカクカクって出っ張っていてたくましい。男子ってすごいよね。私もこのみちゃんも思わず拍手してしまう。



「おーい、美浜さーん!」


 いまドリブルで駆け抜けていったばかりの部員が手を振っている。よく見ると同じクラスの、えーと、誰だったかな‥‥‥。そうそう、中川くんだ。このみちゃんもいるのに、私だけ名前が呼ばれた。彼は制服を着ている姿しか知らなかった。短パンからにょっきり伸びた彼の脚は毛むくじゃらだ。あれがか……。正直、あまり見たくなかった。でも不愛想にはできない。同じクラスだし。


「がんばってねー、中川くーん!」


 大きく手を振り返すと、相手はとても嬉しそうな顔をしてガッツポーズを送ってくれる。


「中川くん、嬉しそうだね」


 このみちゃんが上目遣いに視線を送って来る。


「ははは……、いつも教室で眠っていると思ったら、こんなに朝早くから汗流してるからだね。すごいよね」


「あのね‥‥‥」


 このみちゃんがまた口をもぐもぐさせている。


「なあに?」


 私は幼稚園の先生になったように、優しく微笑みかける。このみちゃんがもうちょっと背が低かったらなでなでしてあげていただろう。


「中川君、サキちゃんのこと、好きだと思う」

「え? どうして?」

「だって、中川君ってね、休み時間いつも視線でサキちゃんのこと追ってるもん。彼、私の隣なのね。だから、わかっちゃう‥‥‥」

「そんなことないよ。このみちゃんの勘違いだって」

「そうかなあ……」


 このみちゃんが首をかしげると、漆黒の前髪も傾く。こけしみたいで可愛い。かわいい女子って大好き。これからはもっと仲よくしよう。


 このみちゃんの勘は当たってると思う。 仲良しの真純ますみ美丘みおかと女子トークで盛り上がっていると、周りから視線が集まてくるのを感じる。まるで虫眼鏡で日光を集めた焦点のように、下着の線や、胸とお尻のふくらみを焦がしてゆく。その執拗さは制服の中まで見えているんじゃないかと怖くなるほどだ。その中には中川君の視線もある。知っている。でも知らないふりをする。


 サッカー部にはザル王子がいないことがわかった。もうここにいる必要はない。


 次は野球部だ。


 グランドを大きく回り、長屋のような倉庫の前を通り、バックネットの裏に着く。


 一体何時から練習を始めたのだろう。もうすでにウオーミングアップは終わり、ベースラニングをしている。スパイクで地面を蹴る姿がかっこいい。舞い上がる砂なんて、青春そのものじゃないか。男の子ってどうしてあんなに速く走れるんだろう。男子運動部ってワンダーランドだ! 私もこのみちゃんもバックネットにカエルのように張りついて見学する。


「ねえ!  ちょっと、そこの女子ふたり!」


 ハッと振り向くと、男子部員と同じ黒の帽子に黒のシャツを着た女子がふたり、私たちの後ろに立っていた。


「女子がそこにいられると部員たちの気が散るの。ほかのところに行ってくれない?」


 迷惑そうな顔。マネージャーらしい。たぶん2年生。二人とも左手に部員たちの練習着と同じ黒のクリップボードを持ち、右手を腰に当てている。一人は細長い顔の眉間にしわを寄せ、もう一人は丸い頬を提灯ちょうちんのように膨らませている。


「あのう、一年生は……?」


 一言訊くだけなのに全身の勇気をかき集めた。声が微妙にふるえる。


「ああ、なんだ。一年生が目当てなのね。彼らはあっち……」


 指さす方向に目をやると、白い帽子に白いシャツを着た男子十人くらいの一群が鉄棒の前に群がっている。


「一年生ならかまわないわ。芝生に腰かけて応援してやってよ。でも、ナンパされないように気をつけてね。あいつら人間の姿してるけど、中身は野獣だから」


 それだけ言うともう関心はないとでも言うように、向こうに行ってしまった。


「行ってみよう!」


 私はすでに一歩踏み出していた。


「サキちゃん、やめとこ……」

「え?」


 このみちゃんが腕にすがりついてきた。丸いふくらみが当たってる。柔らかい。ふふふ、このみちゃんのオッパイだ……。


「野獣だって……。怖くないの、サキちゃんは?」

「怖いわけないじゃん。みんなうちの高校の子だよ。仲間だよ」

「男子って、みんな男なんだよ」


 そんなの言われなくてもわかっている。男子はみんな男だ。あっ……。


 ──そうか。「男」と言うのはのことか……。


 このみちゃんの世界の男子はなのだ。それは限りなくに近い。でも私の世界では男子は男子。決して野獣にはならない。そうか、このみちゃんの世界も理解してあげなくちゃ。ひとつの世界を見ているようで人によって見え方が違うのだから。


「じゃ、このみちゃん、悪いけど、ちょっとだけここにいて。私、一人で行ってすぐここに戻って来るから。どうしても見つけたい人がいるの」


「見つけたい人って?」


「うん、私にとても親切にしてくれた人なの。この高校のたぶん運動部。いなかったらすぐ戻って来るから、ちょっとだけ待ってて」


「サキちゃん!」


 セーラー服の袖を掴まれて振り返る。


「親切な人がいるなら私も行く」

「でも、ちょっと恥ずかしいことしなくちゃいけないかも」

 

 そう。恥ずかしいこと。私は手に持った赤と青のザルを彼女に見せる。と、一陣の風が起こり、このみちゃんは慌てて短いスカートを押さえた。


 1分後、私とこのみちゃんは鉄棒前のこんもり盛り上がった芝生の丘に立っていた。


 目の前では男子たちがうめき声を上げながら懸垂している。5回でダウンの部員もいれば、続けて20回くらいできる部員もいる。明らかに私たちを意識している。チラチラと視線を送ってくる。


 男子ってすごい。躰のつくりが女子とは全然違うんだ。私たちにできないことを男子たちはやすやすとやってのける。私もこのみちゃんも思わず歓声と拍手を送ってしまう。


「ねえ、みんなー。このザルの持ち主、知らない?」


 すべての男子が懸垂が終わり、そろそろキャッチボールに入ろうとした頃、私は真っ赤なザルを頭にかぶり、そしてこのみちゃんにも青のザルをパコンッとかぶせ、声を張り上げる。


「何だよ、それ。お前らのヘルメットかよ!」


 一人の声にみんなが、脚本にでも書かれているかのように、爆笑した。声の野太さに圧倒された。なるほど、コイツら、野獣性を秘めている。ちょっと引きかけた。「かけた」じゃなくて、実際、一歩だけ後退してしまった。


 隣りでこのみちゃんが顔をまっ赤にしている。風が吹いて短いスカートをなびかせると、部員たちが一斉に「うおー」とどよめき立った。見えちゃったのかもしれない。このみちゃんはザルをかぶったままスカート、というか、短いからそれはそのまま女の子の恥ずかしい部分周辺なのだけど、そこを押さえ、ますます顔を赤くしている。その恰好、お遊戯の最中にお漏らししちゃった幼児のようだ。早くけりをつけないと、彼女、羞恥心がつのって倒れちゃうかも。


「このザル貸してくれた人とデートしたいの!」


 その一言であたりはシーンと静まった。そして次の瞬間にはお約束事のごとく騒然となる。核爆弾が炸裂したような騒動だ。


「おい、誰だよあのコ?」「かわいいなあ!」「ミハマサキだよ」「うっそー! オマエ、美浜咲、知らねえのかよ⁈」「1年生!」「ああ、あのコがサキかよ?」「かっわいい!」「貧乳っぽくねえか」「バージンかよ?」「んなわけねーだろが!」「オトコいるって!」「いや、処女だ!」「保証する!」……


 放射能を含んだ、いや、性欲がみなぎった猛毒キノコ雲がモワーンと立ち昇る。さっき彼らを「仲間だ」と言った自分は大きな過ちを犯していたことにようやく気づく。


「おーい、オマエら、よく考えろよ!」


 一年生のリーダーらしき男子が前に進み出て部員たちに問いかける。


 静寂。


「野球部が恋愛禁止なことは知ってるなア⁈ 甲子園出場に青春をかけるヤツは美浜咲はあきらめろ! 美浜咲と一発ヤりたいなんて思ってるヤツは野球部から除名だ! いいか、二つに一つだ。天秤にかけてよく考えろ! 俺なら……」


「俺ならぁ⁈」「どっちだ⁈」「野球とるのかよ⁈」「どっちなんだよ⁈」「野球よりオンナだろ、オマエは⁈」「もったいぶるんじゃねーよー!」


 あちこちから上がった雄叫びが一人を問い詰める。校舎に反響して木霊のように返って来る。自分自身への問いかけとして返って来る。


「俺なら……、野球部をやめて美浜咲を取る! だが……、あのザルはオレのじゃねー……。チクショー!」


「チクショー!」「オレの女神ぃー!」「ヤりてーよー」「うー、サキー!」


 うずくまった野獣どもがこぶしで地面を叩き一斉にうなり声を上げる。遠くに見える校舎の窓が開き、先生たちが胡散うさん臭い表情でこっちの様子をうかがっている。


「ひどい! 一発……なんて、そんなこと言ってないのに……」


 誰も私のこと聞いてない。


 一人の手が挙がる。同じクラスの木坂くんだ。彼は前に進み出て部員たちに向かって立つ。


「俺、美浜咲と同じクラスです! 前から彼女に憧れてました。あのザルは俺のじゃない。でも、俺、ここで美浜咲にデートを申し込みます!」


 そこで彼は軍隊式に回れ右をして私と向かい合う。


「サキさん、俺、野球部破門になってもいい。甲子園へ行きたくて湖南高校に来ました。でも、サキさんのためならあきらめられる! 美浜咲さん! 俺とつきあってください!」


 腰を九十度に折ってから上げた目の真剣さに私はおしっこを漏らしそうになった。よくあるように、その場の雰囲気を盛り上げるためにとった道化的行動でないことは明らかだ。まずい。この男、本当に私のバージンを狙っている。


「バカやろー。オマエなんかが美浜さんとデートしたら、彼女が穢れちまうだろ⁈ 俺は許さん!」


 やはり同じクラスの渡辺くんが木坂くんに掴みかかる。そこにほかの男子が割り込み、別の男子も殴り込みで参戦する。はやし立てるオトコに止めようとするオトコ……。攻めに回るオトコに防御に甘んじるオトコ。オトコにオトコ。オトコとオトコ。興奮のあまり目を血走らせてバットで殴りかかって来るオトコ。オトコオトコオトコ……。このカオスはもはや収拾することが不可能だ。なぜなら彼らはオトコだから。


 なぜ野球部が恋愛ご法度なのか納得がいった。私とこのみちゃんは同時に肩をすくめ、ほーっとため息をつく。


 向こうからさっきの二人のマネージャーがこっちに走って来るのが見えた。怒りと動揺で顔をまっ赤にしているのが遠くからでも見える。そろそろ退散時だ。


「サキちゃんが探している人、この中にいそう?」

「ううん、いないみたい」

「行こうか」

「うん、もうすぐ始まる時間だしね」


 私とこのみちゃんは、修羅場と化した鉄棒前から去る。頭に赤と青のザルをかぶったまま。マネージャーが走って来る反対方向へ、グラウンドを大回りして昇降口に向かう。


 その時、突風が巻き起こりグラウンドに砂ぼこりの竜巻ができる。私はあわててスカートを押さえた。このみちゃんの短いスカートがものの見事にまくれあがる。折り畳み式の傘のように。


「こ、この‥‥‥、このみちゃん…‥‥」


 目を疑った。同時に身体が凍りついた。


 無口で控えめなこのみちゃんが。教科書と純文学しか知らないこのみちゃんが……、デリケートゾーンのかろうじて隠れる横紐スキャンティ? 半透明の白のシルクが女の複雑な地形に食い込み、形と色を浮き立てている。さっき野球部員の目の前にこれがさらされたってわけ? この紐が? この地形が? 透けて黒々しているのが? それでオトコたちが狂乱したってわけ? 


 女の子って、スカートの中が怖い!


「ねえ、サキちゃんも極秘サークルに入らない?」


 このみちゃんがうつむき加減に上体をかしげて、ほーっとため息をついた。 目の前では生徒たちが続々と正門に入って来る。その流れを合流する手前で私たちは足を止めていた。


「極秘……なの?」

「うん、ほかの女の子には内緒。男子にも絶対に知られたくないサークル」

「な、何それ?」

「セクシー……下着……愛・好・会」


 さっきまでおどおどしていた視線が力を得、私の瞳を射抜く。ウルトラマンのレーザー光線のように。


「下着? セ、セクシーなヤツ?」

「そう。会員、もっと増やしたくて……。サキちゃんが入ってくれたらほかの女子もたくさん入ってくれるかなって……」


 のけ反りそうになった。文学少女の彼女がセクシー? いつも窓辺で一人本を読んでいるか、ぼーっと空と校庭を眺めている彼女がシ・タ・ギ? 

 

 でも、理解できる気がする。羞恥心が強くて内向的な彼女だからこそ、その日の気分に合った美しい下着をつけて自らを解放する。──多くの女性がやっていることじゃないか。純文学だけの青春なんて息が詰まってしまうし。


「会員って今何人くらい?」


このみちゃんは初夏の澄んだ青空に向け細い指を一本立てた。


指につられて上空を見上げると一片の雲が浮いている。それがショーツの形に見えたのは、すでにエッチモードに切り替わっていた証拠かも。


 このみちゃんが、ぷっと噴出した。


「一人ってことだから」


 あ、そうか。上を見ろってことじゃなくて。


「と言うことは……」

「そう、私、ひとりだけ」


私は、こくりと頷いた。ちょっと考えるふりをした。でも、その時もう答えは決まっていたと思う。だって、ウルトラマンのレーザービームだし、断りでもしようものなら、ねちねちと陰湿に報復されそうな気がしたから。


セクシー下着が別にいやらしいわけじゃない。それを愉しむ大人はたくさんいるし、彼女らがみんな淫乱な性格をしているわけでもない。ごくごく普通の女性がそれを愉しんでいるのだ。どうせスカートに隠れて周りの人には見えない部分じゃないか。一番怖いのは断ってこのみちゃんを傷つけてしまうこと。なら……、


「いいよ!」


 パーンと花火が上がった。今校庭に降り注いでいる朝日よりも明るくて清々しい笑顔だ。窓辺のこのみちゃんがなんて明るい笑顔をするんだろう。赤ちゃんのように無垢な笑顔。


「でも、ほら、私、養護施設だし、お小遣いあまりないから下着たくさん買ったりはできないと思うけど……」

「ううん、それは必要ないの。お金は全然かからないよ。スポンサーがいるから」


 このみちゃんの抑揚のある早口、初めて聞く。軽快な音楽のよう。


「スポンサー?」


 声が裏返った。バックに怪しげな人がいるんじゃないだろうか。「サ」の形をくちびるに残したまま固まった。


「そう。私たちはそれを身につけて愉しんだらいいの。たまには見せ合いっこしたりね……」


 目をパチパチ高速まばたきさせるこのみちゃん。


「見せ合いっこ?」


 ということは、スカートをまくってショーツの見せ合いっこ? 


 始業のチャイムが鳴る。様々な疑問が渦を巻いているのに「行こう」と手を取られた。ふたりは手をつないで昇降口に走って行く。何か、とんでもない青春ドラマが始まる予感がした。

 


 





 

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