第2話 王子様の姿がちらついて

ザルの効果は覿面てきめんだった。私たちはあれから数え切れないほどの花びらを集めることに成功した。


「でも、あの男の子、どうしてザルなんて持ってたんだろうね? それも二つよ」


 桜の花びらを散らした厚紙に当て布を被せながら、着古したルームウエア姿のお姉さんがぼそりとつぶやいた。


 児童養護施設愛光園のリビングルームの一画。


 「リビング」とカタカナ語で呼びながらも、実際は薄汚れた畳敷きの部屋だ。職員さんが一人やっと入れる狭小な台所つき。部屋の一画でお人形さんをおんぶしたゆきちゃんがたっくんと絵本を重ねお城を作っている。そこから対角線になる隅で座卓を広げ、私と朝子姉さんはしおりづくりに取り組んでいる。畳の上には厚紙やハサミやらが散らかっている。


「ほんと。ふつうザルなんて持ち歩かないよね」


 それも男子なのだ。目の前に重ねられた赤と青のそれに目をやり首をひねった。


 当て布の上にアイロンを押し付けると、やがて青っぽい香りが立ち登ってくる。春の濃縮エキスを胸いっぱいに吸い込む。


「名前、いておけばよかった」


 くちびるから無意識にひとりごとが転がり落ちる。


「え? あの生意気な男子の?」


 あ、とあわてて口に手を当てるが時すでに遅し。聞かれてしまった、ひとりごとを。顔が熱くなってくるのをごまかすために、アイロンに体重をのせ、ぎゅっと押しつける。


「ふふふ……。どうせ、『牧村』か『本村もとむら』か『大類おおるい』でしょ? うちのクラスも『牧村』と『本村』が3人ずつ、『大類』さんは2人」


 大きな湖の湖畔に位置する私たちの田舎町は昔から移動人口が少なかったせいか、同姓が多い。町の北部から山間部にかけては『牧村』、町の中心から南部にかけては『本村もとむら』が勢力を誇っている。『大類』も35人クラスに必ず1人か2人はいる。どの姓も元をたどればきっと一人の先祖にたどり着くのだろう。親族同士は結束が強いと聞いている。


「いやだ、そんな田舎っぽい名前。もっと高貴で気品があるのがいいよ。そうだなあ‥‥‥、『小早川こばやかわ』とかさあ『東雲しののめ』とか……。あ、『朝比奈あさひな』もいいかも……。へへへ……」


 お姉さんに借りて読むレディコミで登場したイケメンの苗字を連ねる。


「ムリムリ。こんな片田舎にそんな高貴なお家なんてあるはずないじゃん。みんな農民か木こりか漁師だったんだから」


 お姉さんは何にでも詳しい。教科でも郷土の知識でも。そして知識は少女っぽいロマンを真正面から否定する。


「せめて下の名前がカッコよければいいのに……」

「たとえば?」

「たとえば……、そうだなあ……」


 しおりにラミネートフィルムを被せながら考える。考えるというより思い出す。レディコミに登場するイケてる男子の名前を。


「『ジュン』とか『コウ』とか『ショウ』とか……。サラッと流れるような名前……」


 目を上げるとお姉さんのいたずらっぽい視線とぶつかった。


「ほらほら。サキには『初恋』と『王子様』が似合う……」

「初恋なんかじゃないったら!」


 怒っているのに、お姉さんの顔は緩むだけ緩んでいる。そう、お姉さんは私のムー顔が大好きなのだ。


「そうムキになるところが怪しいなあ……」


 お姉さんの指先でほっぺたをツンツン突かれる。


「不感症呼ばわりされた男なんかに誰が……」


 くちびるをゆがめ、憎まれ顔でチェッと舌を鳴らす。


「サキの初恋かあ……」


 朝子姉さんが遠い目をした。


 不思議だった。色紙いろがみに花びらを散らしていると、その向こうにあの男子の笑顔が浮かんでくるのだった。「王子様、かな?」とちょっとだけ思った。でも、「初恋」というものにありそうな胸のときめきもなかったし、キュンと絞られるような感覚も張り裂けるような痛みもなかった。でも、なんとなく会いたいというのが正直なところ。


「サキおねえちゃん、なのぉ?」


 絵本を重ねる遊びのに飽きたのか、ゆきちゃんが私の背中に抱きついてきた。幼児の手はしっとりと潤い、幼稚園の年中さんなのにまだミルクの匂いがする。ハサミや定規を幼児の手の届かないところに押しやる。


「ゆきちゃん、初恋、知ってるの?」


 振り向くと幼児のつぶらな瞳が5センチ先にあった。ぷっくりとしておいしそうなくちびる。なんだか、とても幸せな気分になって来る。この子の躰が私の中にプニュプニュって溶け込んできたらいいのに、と思う。


「うん、しってるよ」私のうなじに頬をすり寄せて来る。ぺちょっとして気持ちいい。「おひめしゃまのことだよ」


 私も朝子姉さんもほっこりした視線を交わす。いいなあと思う。暖かいなあと思う。この子が本当の妹だったらどんなに幸せだろう。


 ──こんなかわいい子がどうして両親と住めないんだろう‥‥‥。


 そう思うと、鼻の奥がじんじんしてきて、鼻の奥が熱くなってくる。あわてて言葉を押し出す。


「そ、そうだね。でも、私はね、お姫様じゃないから、『はつこい』にはなれないのよ」

「へえー、そうなんだ。しらなかった」


 ゆきちゃんは私の背中からポテンと飛び降りると、「はちゅこい、はちゅこい」とつぶやきながら、またたっくんと遊び始めた。


 そういえば、私がこぼした花びらが彼の制服にくっついていた。あれをくっつけたまま家に帰ったのだろうか。今度会った時もそれがついていたら、どんなにいいだろう。その花びら一枚で恋に落ちるかも。そしたらゆきちゃんの言うとおり「おひめしゃま」になれるだろうか。


 ──春風のようだったな……。


 そう。風には形がない。人に爽やかな印象だけ残して走り去っていくものなのだ。


 ──いやいや……、


 と、貴公子の目がトローンと垂れ、鼻の下がダラーンと長くなり、顔じゅうあぶらでギトギトとテカリだし、スケベおやじに豹変した瞬間が脳裏をよぎる。そう、春一番は女の子のセーラー服の下に許可もなく入り込んで来るし、ミニスカートをまくって行ったりと、イヤらしいいたずらもするのもなのだ。


 ──あなたの正体はどっちなの?


 くちびるを突き出し、プクっと頬をふくらました。脇に置いてあった赤いザルを取り頭にかぶったら、カポッと音がして、ゆきちゃんとたっくんが笑った。




 

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