十日目 郷愁の月

 ふと見た掃き出し窓用と思しき、大きなカーテンから漏れる光。

 遊び通した頭では理解まで及ばず、興味を惹かれた小夜は少しだけ外を見た。

(……つい最近見た光景だ)

 薄闇に白みがかっていく空。

 指し示す朝の訪れの近さに目を瞬かせては、あくびを一つ。

 その合間に部屋の電気が消えたなカーテンが開けられた。

 開けたのはもちろん、家主である姫。

「おー、もうこんな時間かー」

 口調の割に何の感情も持たない声音に、「ねー」と乗る。

「ラジオ体操まで時間はあるが、ちょいと外に出てみるか」

「うん」

 珍しい時間帯の外出。

 姫の提案に小夜は考える間もなく応じた。


「あ、靴……」

 玄関に揃えられた自分の靴に呟けば、後ろから姫が言う。

「うさぎどもが回収したんだろう。ついでに洗浄済みだから履いても大丈夫だぞ」

「洗浄って、そんなに汚かった?」

 少しだけ傷ついた気分で尋ねる小夜に、姫は頭を掻いた。

「いや、そういう意味じゃなくて。思い出させるかも知れねぇから、あんま言いたかないんだが……ほら、ヤツんとこで落としてきただろ? だから」

「ああ、そっか」

 時間を忘れて遊びすぎたせいか、ほんの数時間前のことがやけに遠く思えた。

「ごめん。ありがとう」

 言って靴を履く。

 心なしか、使い込んだ履き心地以外は新品のように見えたので、一段下がった分、いつもより高い位置にある姫に言う。

「あのうさぎたちにも後でありがとうって伝えてくれる?」

「ん? ああ、アイツらか。半生体ではあるが思考や行動は模倣でしかないし、伝えたところであんまり意味はなさそうだが」

「へー。それでも伝えといてよ。助けてくれたんだからさ」

「はいはい」

 姫にしかわからない話は受け流して頼めば、やる気のない返しがされ、

「なあ、小夜」

「うん?」

「前から思っていたんだが……小夜って、あんまり聞いてこないよな。俺が何とか」

「それは……今更?」

「そりゃまあ、そうなんだが……気にならないのか?」

 急な問いかけに目を丸くする。

 姫の問いかけの意図に戸惑ったわけではない。

 ただ、気にする素振りを見せてこなかった自分に、それこそ今更気づいたからだ。

 最初は完全に不審者扱いだったのが、母に話して昔から、同じ姿でそこにいる不審者だと知って、そういうもんだと片付けた。それは子どもの柔軟さのようなものであったかもしれないし、もう一つ、可能性があるとすれば、

「たぶん、気にしたらダメって思ってたのかも。ほら、昔話とかでよくあるじゃない。知りすぎたら良くないことが起こるって。お話の中の知りたがりは大体死にやすいじゃん」

「そうか」

(あと……知られた相手がいなくなっちゃうから、かな)

 遠からず近からず。知らず知らず測っていた、姫との距離感。

 あまり深く考えたことはなかったが、そういうことなのかもしれない。

 とてもしっくりきた自分の答えに頷く小夜は、自分を見る姫の目が、少しばかり揺れ動いたことに気づかないまま。



 想定通り一軒家であった姫の家を出れば、すぐそこに公園があった。

 驚きつつも、まだ誰もいない公園に入っては、新鮮な気持ちで見慣れた遊具を見て回り、刈り込まれた芝生の広場を眺める。

 夏特有の温い風は、適温だった姫の家から出た肌を汗ばませたが、不快感はなかった。静かな公園の中で徐々に明るくなる空を見上げれば、妙な達成感がある。

「あの日もこんな感じだったなー」

 独り言のような声。

 ブランコに座ったところで、聞くともなしに聞こえてきたソレに姫を見上げれば、その更に上、薄まる月に目を細める姿があった。

「俺さー、置いてけぼり食らったんだわ」

「…………」

 突然始まる昔語りに、小夜はただじっと姫を見る。

「同僚で兄弟で――っつっても遠戚って言って良いようなもんだったけど。俺は親友だと思っていて、でもヤツは俺を邪魔だと思っていた……みたいなんだ。俺を置いてった後、故郷と命運を共にしちまったから、本心はわからないが。ただ、面と向かってそう言われた。笑いながら、お前が邪魔だった、悪く思うなよってな」

「そう……」

「もしかしたら、故郷が終わるって知ってたから、助けてくれたって可能性もないこともない。なんせこの世界は、俺にとって凄く居心地が良い場所だったからさ。俺を生かすのに、ここほど最適な環境はないぐらいだ。どんな傷でも負った傍から治るし、痛みもほとんどない。病気知らずで老いも感じない。……でも、やっぱりアイツはもう死んでるから、確かめようがない。故郷に帰る術もないしな」

「帰りたい?」

 言った後で、馬鹿な質問をしたと思った。

 懐かしむ顔は柔らかくて、帰りたくないはずがないとわかっていたのに。

 しかし、姫は首を振った。

「いんや。戻ったところであそこにもう俺の居場所はない。故郷も何もかも終わってしまってだいぶ経っているからな。生き残りも望めない。そういう場所なんだ」

「そっか……」

 それ以外に続けられる言葉はなかった。

 迎えは望めない、置いてけぼりのかぐや姫。

 それでも消えゆく月を愛おしむような姿に、小夜は何も言えず、同じ月を見る。

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