九日目 二つの卵
ピピピピピ……
どこかで聞いた憶えのある機械音にゆっくり目を開ける。
(目覚まし? いや、これは……キッチンタイマー?)
そう思えばお腹が空いている気がして、顔を上げたなら変色したぼやけた視界。何と驚く間もなくカシュッと音がしては、変色した視界から引き剥がされて、半分になった卵のような容器が、中身の液体を見せながら目の前に倒れた。
倒れても零れない液体は、先ほどまでの視界の色に似ている。
よくわからない液体の中にいた。
寝起きの回らない頭ですぐに理解できたのはそれだけ。
「ここは……?」
とりあえず、苦しくもなく、濡れた感触も残らない、不思議な液体は不思議の一言で片付け、卵型の容器から抜け出す。
(あ、立てた。……ん? そりゃまあ、立てるでしょう。足があるんだから)
立ち上がってから自分の足を見て、不意にほっとする感覚に戸惑う。
それでもその場で二、三度足踏みし、靴がないことに気づいた。
「えーっと、私、何してたんだっけ?」
確か外にいて、靴を履いていて、脱いだ記憶はなくて……。
探るように前髪を握りしめる。
(なんだっけ。もの凄く思い出したくはない気だけはするんだけど)
「それに……ここ、誰ん家?」
口に出して気づく、見たことのない内装。
同じような卵型の容器が他に二つ並ぶ居間には一般家庭にあるような調度品があり、広さは一軒家の造りを思わせるが、記憶にはこんな間取り――。
(ううん。あるかもしれない。ここに来たこと。……昔……小学生の時……)
「ここは……姫ん家?」
浮かんだ姿に呟く。
――と。
「おお、起きたか」
「姫……」
振り向けば卵型の容器向こうから、カップを二つを持った男が近づく。
差し出されたカップを受け取ったなら、芳ばしい香りに安堵の息が漏れた。
「コーヒーだ」
「悪いな。牛乳は切らしてて。砂糖ならあるんだが」
「いらない。ブラックがいい」
「そうか。成長したなぁ」
姫はしみじみそう言うと、近くのソファへ座るよう促してきた。
二人がけのソファのどこに腰を下ろすのが正解か。
他に椅子らしき物もないことから少しだけ悩めば、姫が肘かけに座ったので、そこから一つ空ける位置に腰かけた。
――姫相手に気を遣ってしまった。
なんとなく居心地が悪い自分の指摘には、隣同士で座ると喋りにくいんだからしょうがないでしょ、と理由を伝えつつ、
「ねえ姫。私って、前にここ、来たことあるよね」
「んー……どうだったかなー」
「でさ、前に来た時は、ミルクコーヒーにして貰ったよね。苦いからって」
「小夜、お前……思い出したのか?」
(やっぱりそうか。姫の口振りから当てずっぽうのつもりだったけど……そっか)
横からの視線を感じながら熱いコーヒーを啜る。
姫の反応を得た小夜は、ある程度までを思い出していた。
その昔、露と初めて遭ったあの後、ここに連れてこられて、理由はわからないが先ほどの卵型の容器に入れられたこと。それからコーヒーを勧められて、ミルクと砂糖を入れてくれないと嫌だと駄々をこねたこと。
そして――今日また、卵型の容器に入れられるまでのことを鮮明に。
(……うっ)
遅れてやってきた恐怖に大きく身体を震わせる。
絶体絶命からおざなりになっていた感情がまとめて押し寄せ、喉が大きく鳴った。
(今はもう、大丈夫だから)
脱したのだと自分に言い聞かせるべく、コーヒーを飲み干すことに専念する。
「っぷは……あーったまった!」
半ば自棄気味に宣言してやれば、より強く自分の無事を実感できた気がした。
そこへ差し出される、携帯電話。
「あれ? 私の携帯じゃん。なんで姫が?」
「行商人のとこに置いていったんだろ? 丁度いいから届けて貰ったんだ」
「そうなんだ。ありがとう……う?」
受け取ろうとしたなら避けられた。
不思議に見上げたなら、携帯電話を振った姫が面倒そうに言った。
「丁度いいついでに頼んでいいか? あの二人はまだちょっとかかりそうだから」
「あの二人……?」
顎で示され、振り返った先には二つの卵型の容器。
(私が入っていたやつがない。いつの間に片付けたんだろう?……って!?)
「由衣と孝希!?」
足りない卵型容器よりも、残る二つの中に入れられた姿に、ぎょっと目を剥く。
そんな小夜へ姫は重ねて言った。
「このままじゃ家族が心配するだろうから、適当な言い訳つきで連絡頼む」
「う、うん。わかった……」
実のところ、言うほどわかってはいない。
だが、姫が悪いようにするとは思わず、携帯電話の画面を点灯させたなら、母からの着信履歴を目にした。
きっと、朔良が帰ったとか、そういう連絡なのだろうと当たりをつけてから、折り返す前に姫へ尋ねた。
「確認なんだけど、私もここに残った方がいいよね?」
「それはもちろん……いや、そうしてくれると助かる」
姫の言葉に頷いた小夜は、そのまま母へ電話を繋いだ。
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