閑話 昔々

 シャワーを浴びた男は髪をおざなりに拭きつつ、倒れ込むようにソファへ座る。

 そのまま頭を逸らして逆さに見る先には、巨大な卵型の容器が三つ。

 胎児のように丸まった人影の内、損傷の酷い一つを眺めた。

 服はすでに元の形を取り戻しているが、直接害を受けた部分は修復が遅い。

 失われた部位はもちろんのこと、腐敗の進んでいた部位、中身に沿って裂かれた部位、膿んだ水疱が絶えず表出していた箇所も、容器に満ちた液体の働きを拒むように泡立ち続けている。

 それでもじわじわと元の色を取り戻すのが見て取れたなら、ほっと息をつく。

「正常値ニ戻リマシタ」

「ん」

 癖のある発音に、男は後ろの卵から前へと顔を戻し、差し出された棒を受け取る。

 指揮棒のようなソレを眺めては、傍に控える翁面へ告げた。

「引き続き待機」

 返事はない。

 ただ、溶けるように消えた翁面を見もせず、手にした棒を放る。

 すると、翁面と同じように宙で消えた。

「しっかし……本当にココは俺に都合の良いトコだよなー。まともな戦闘なんざ久々だってぇのに、鈍ってもいないし、碌に疲れもしない。……ダルい」

 独り言も宙に溶ける。

 ため息をつき、ソファに横になっては、またため息。

 思い出すのはついこの間のような昔のこと。

 今日と同じように、卵型の容器に入れた子どものこと。

 あの時より酷い状態にさせてしまったそもそもの原因のこと。

「……全部、俺のせいだなー」

 子どもが子どもの時はまだ良かった。

 きっとあの子どもも他と同じく、時を経ては離れていくと思っていたから。

 気楽だった――だが。

 久しぶりに見たその姿に声をかけてしまったのは、迂闊という他ない。

 もっと迂闊だったのは、日々殲滅対象としていた相手が目の色を変えるまで、その成長を見誤っていたことだろうか。

 鎮痛薬を口に入れた際、触れた柔らかさは子どもの薄っぺらさにはなかった。

 だからと騒ぐ心はとうの昔に乾いたままで、ため息だけが出た。

(もう、潮時だろう……けど)

 腕を置いて目を塞ぐ。

 通り過ぎるのは、子どもの姿。

 特別何か能力があったわけでもない、ただの子ども。

 それでも、笑いかけてきたり抱きついてきたり、他の子どもにはない動きで、誰よりも親しげに話しかけてきた子ども。

 名乗りはしたが「姫」とあまりない呼び方をされては驚き、しかし、だからこそ記憶に残ってしまっていた、特別な子。

「俺が選ぶべきで、決めるべきだってわかってはいるんだが……絶対、怒るよなー」

 心の中で「すまん」と謝る。

 やっぱり怒られるのは御免だから、選んで貰おう。

 卑怯だとはわかっていても、怒られることを口実にしていると重々承知はしていても。自分からはたぶん、きっと、絶対――選べない。

 腕を持ち上げ、天井へ手を向ける。

 合わせて収まる小鉢に身体を起こし、一粒手に取る。

 今まで誰にも使ったことのない、この薬。

 子どもは――彼女は、どう応えるだろうか。

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