九日目 卵の記憶
目元を覆っていた布が少しだけずり落ちた。
限られた範囲ではあるが視覚を取り戻した小夜は、しかし、ぼんやりとした目で見るともなく見つめるのみ。見ている先を理解しようとする気にもなれずにいた。
(なんか……変。疲れた……のも、違う感じ……)
最初は姫の登場により、助かったという安堵からくる反動かと思った。直前まで緊張と極限の恐怖を感じていたのだから、疲労感がどっと押し寄せてきたのだと。
だが、元凶から遠ざかった今、喜びすら遠いと感じたなら、疲労感からそうなっていたのではないと気づいた。
回転のやけに遅い頭で考え浮かぶのは、小夜を見た時の行商人の様子。
(もしかして……私……凄く、ヤバい状態……?)
宙に浮かせるに任せた身体を意識する。
露の指に無理矢理絡みつかれた手や無数の白い手に掴まれた箇所、地に呑まれた膝から下、穿たれ持ち上げられていた足全体――。それら全てに感覚らしい感覚がない。いや、正確には、小夜を包む布の感触はあるのだが、小夜の意思で動かせる気配がないのだ。
(ヤバそう……)
自覚したところで焦りさえ遠い。
ただ、一方でこの奇妙な状況を懐かしいと感じていることにも気づいた。
(こんなのを懐かしいと思うなんて……変)
実は頭もやられているのではないか、そんな風に思っていれば、姫が振り向く。
「小夜、起きてるか?」
「うん……ずっと起きてた」
小さく頭を動かして答える。
これに頷き返した姫は、小夜の視界の中で一度後ろを向くと、そこに置いてあったのか、誰かが持ってきたのか、色とりどりの粒が入った小鉢を持ってきた。その中の一粒を抓んでは、膜をすり抜けて小夜の唇に宛がう。
「これを噛んでいてくれ。噛めないようなら舐めているだけでもいい」
「ん」
特に不審も抱かず口に入れる。
薄い飴でコーティングされたグミのような甘い味わいが広がる。
(口の中は大丈夫みたい)
それでも全体的に動きの悪い身体から、ゆっくり噛んでいれば、ほっとしたような顔の姫が視界の下に消えた。続くのは――機械の作動音。
(ん……? なんだろう。全部、懐かしい感じ……このグミっぽいのも、この機械みたいな音も……)
もごもごもぐもぐ。
噛んでいればその内思い出す、そんな想像で考えを巡らせるが何も浮かばず。
程なく、
「少し窮屈かもしれないが、我慢してくれ。時間はそこまでかからないだろうから」
「うん……」
よくはわからない。
ただ、悪いことにはならないという確信だけで頷いたなら、布に包まれた身体が人一人入る大きさの、卵型の容器に入れられた。容器にはとろみのある液体が満ちていたが、どういう仕組みなのか、小夜が入っても溢れることなく容器に留まり、顔を浸しても息苦しさを感じない。
ぼんやり不思議に思っている内に液体越し、くぐもる姫の声が届く。
「悪い。毛皮を剥がす必要があるんだ。ソレを噛んでいても多少は痛むだろう」
「うん――っ!!?」
包まれていたのは布ではなく毛皮だったのか、そう思う間もなく、走る激痛。
今まで何もなかった分、唐突な感覚に襲われた小夜はそのまま意識を飛ばした。
幸い、露わになった己の四肢は、瞠目しても記憶に残ることなく――……。
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