九日目 うさぎのお手前

 物騒な得物を手にした五羽のうさぎと禍々しい姿へ変貌を遂げた露。

 好戦的なうさぎたちは率先して露本体に刃物を向け、対する露は周囲までをも自分の身体のように使い、潰し払おうとする。

 さながら昔見た怪獣映画ようだ。

 黒い帯が巨木のように突き上がれば、紙一重で避けたうさぎがこれを断とうと腕を振り上げ、その姿勢目がけて白い手が伸びたなら、別のうさぎが援護する。

 めまぐるしい攻防と連携が、息つく間もなく展開していく。

 しかし、小夜はただ静かに眺めるのみ。

 うさぎが勝てば喜ばしく、露が勝てば再び恐怖に襲われると知りながらも、感情が追いついてこない。どこか遠い出来事のように見つめるだけだ。

「あ、いたいた」

 そこへ届く、知った声。

 あっさりと目の前の応酬からそちらへ視線を移せば、代わりに「うわっ、なんだあれ」と感情豊かにドン引く行商人の姿があった。

「チャラおじ……」

「お、おお、佐々木……ってお前、大丈夫……なのか?」

 呼べばすぐにこちらを向いた行商人だが、目が合ったと思った瞬間、その顔色がみるみる悪くなっていく。

 名前よりも気になる問いかけに、小夜の目がのろのろと自分の身体へ向けられた。

 行商人にあんな顔をさせる状態が気になる。

 が、視認するよりも先に大きく温かな手に隠された。

「姫……?」

「あまり動くな。落ちるぞ」

 確かに。

 小夜の身体は今、未知の力によって宙に浮いている。

 力の出処は姫とわかっていても、その姫から「落ちる」と言われたなら、動くのは得策ではない。

(でも……どうして浮いたままなんだろう?)

 不思議に思いながらも出来る限り小さく頷いたなら、そっと手が離された。

 なんともなしに惜しく思う。

 そんな小夜に柔らかく笑んだ姫は、行商人に言った。

「それより、届けてくれたか?」

「あ、ああ。言われたとおり、言われたところに届けたよ。あっちはあっちでだいぶ深刻そうだったけど、こっちよりは」

「そうか。助かった」

 続く言葉を遮るような姫の謝辞に、一瞬だけ息を詰めた行商人は首を振った。

「……いいけどよ」

 そうしてもう一度ちらっと小夜を見てから、一進一退の攻防の方を向いて言う。

「で、こっから先はどうすんだ? 決着までは、まだまだかかりそうだが」

「決着まで待つ必要はないさ。どう足掻こうが、うさぎの勝ちは決まっている。露は何度死んでも懲りない面倒なヤツではあるが、死が前提にある以上、そこまで強いわけでもないからな」

「……強くはない、か」

 苦虫を噛みつぶしたような顔が行商人に浮かんでいるのは、見なくてもわかった。

 いまいち実感の伴わない感覚に陥っている小夜とて、同じ気持ちだ。

 あれだけ苦労して逃げたり、そのための助言を残したり、対処に苦慮していたというのに、姫にかかればその程度で済むのか。

 物言いたげな二人の視線に気づいた様子もない姫は、「だが」とため息をついた。

「ここを去るにはもう少しだけ、ヤツの意識をうさぎどもに向けさせる必要がある。行商人の声がした瞬間、本当に一瞬だけだが、ヤツの目の一つがこっちを見た。まだ、こちらに気を取られる程度には余裕がある証拠だ」

 姫の言葉を受け、行商人に続いて露を見ようとした小夜。

 しかし、その前に包まる布が姫によって伸ばされ、塞がれる。

「小夜はこれ以上見ない方が良い。今、ヤツには無数の目が点在している。俺や行商人はともかく、小夜があの中の一つにでも目を合わせれば、仮に余裕がなくなっていたとしても、ヤツは確実に無理矢理何かを仕掛けてくるだろう。それに俺が気づけない場合が一番怖い」

「……うん」

 この場で一番余裕があるはずの姫が、一番怖いという自分の異変。

 今も近くに在る露の脅威には構えつつも、くすぐったい気持ちが先立つ。


 そうしてしばらくは、遠くに戦いの音を聞きつつ、ふわふわ浮いていたなら、

「そろそろ行こうか」

 姫の声と動きに続くのは、浮かぶ小夜の姿のみ。

 隠された視界の外で、別れの音は拙いと見送るだけの行商人に小夜は気づかず。

 もちろん、目という目を潰され、足という足を断たれた化け物のことも、目的を忘れて変貌する姿に、絶えず応戦する五羽のうさぎの勇姿も、知ることはなく――。

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