九日目 贄の役目
そう口にした直後の行商人の顔の造りは、明確には描けない。
しかし、言ってはいけないことを言ってしまった、という空気は感じ取れて、何故と問い詰めたなら、とても気まずそうに彼は言った。
「奴さんがサケを気に入っているから、贄にしようとしてんだ」
最初、何を言っているのか理解が及ばなかった。
行商人が小夜の名を「サケ」と言ったからではない。
内容を理解したくない頭が、回転を遅らせた。
掠れた声で「え?」と音が漏れたなら、一度言葉にして吹っ切れたのか、行商人がとてもわかりやすく、更に意味不明であって欲しかった詳細を言う。
「奴さんの贄、巫女、花嫁……とにかく、そういう役目をサケに与えたがっているから、奴さんが現れても姫に居場所が伝わることはない」
気持ち悪いことを言わないで欲しい。
思わず手を止めたなら、「手伝いを止めたら匿えなくなる!」と大慌てで言われ、のろのろと出店の設営を続けていく。が、顔から引いた血の気は中々戻らず、小刻みな震えも止まらない。
「な、なんで……? どうして、今……?」
露に気に入られている――。
それ自体は、歓迎した覚えはないが、昔から聞いてきた話だ。
なのに、今頃になって何故、そんな方向に話が発展したのか。
至極もっともと言える小夜の戸惑いに、今日一番の気まずそうな空気を纏った行商人は、やはり今日一番言いにくそうな口調で言った。
「それはその……背丈はあまり変わりはしないものの、経年的に成長著しい部位が……あー、その、なんだ、に、肉付きが奴さん好みに育ったから、かな!」
「…………」
半ばヤケクソに明るく言い切った行商人。
対し、絶望しかない小夜は、それでも手を動かし続け――。
(冗談じゃない!!)
怖気の走る呼び名に喚起された、即刻封じていた記憶。
走馬灯のように巡ったそれに断固拒否を叩きつけ、小夜は身を翻そうとする。
「ぐっ!」
だが、地面から伸びる無数の白い手に片腕を掴まれていては進めず、
「こ、の! 離せ! この、野郎!!」
少しでも露から離れるべく身体を倒しては、靴でもって白い手を蹴り続ける。
――だから、絶対奴さんには捕まるな。アレは死を恐れない。
頭の中で警鐘のように、打って変わった真剣な声音で行商人が言う。
――死を恐れないヤツの贄に、眷属になれば……死に、終わりがなくなる。
一度でも露に捕らえられたなら、どんな目に遭わされ、惨たらしく死のうとも、再びその掌中に戻され、繰り返し繰り返し、握り潰される。壊される。ただ露の無聊を慰める玩具として、延々と。
いつしか涙が浮かび、悔しさが滲む。
無駄と知りつつも、足に痛みを覚えても、諦めきれずに蹴り続ける。
これすら余興とニヤニヤ嗤う、化け物から逃げるために。
と、不意に白い手から解放された。
「ぎゃっ!?」
急すぎるそれに受け身も取れず、斜めになっていた身体は泥濘んだ地に落ちる。
何故、と過るまもなく小夜は手足をばたつかせ、一刻も早く離れようとする。
――その、足に。
「いっっ!!」
何かが滑り、続く鋭い痛みに堪えきれず、太ももを両手で押さえ倒れ込んだ。
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