九日目 変化の目眩まし

 小夜を下に捉えた露は、楽しげに言う。

「商人のところに逃げ込んだだろう? わかるさ。途中でニオイが消えたからねぇ。あんなにばっさり途絶えちゃ、逆に知らせるようなものだぁ。まぁ、商人の居場所を特定するのには少々手こずったがぁ」

 近づいてくる様子はない。

 だが、小夜の足は縫いつけられたように動かなくなっていた。少しでも動けば、それを合図に露が仕掛けてくる――容易に想像できる行動に、緊張から震える喉を鳴らすことすら難しい。

 いっそ先に動かれたなら、弾かれた勢いで逃げ出せるのに。

 そんな小夜の心情を見通しているかのように、動きのない露の語りは続く。

「しかし、だぁ。あの商人が、わざわざ匿う真似までしてやったお前を、何の情報も与えず野放しにするとは思えん。となればぁ……聞いたのだろう? あやつの特性を。生命の賑わい――今を生きるモノの姿を不老の己と重ね合わせることで、朽ちかけの精神を保っていると」

 そこまでは聞いていない。

 初耳だった。

 不老であることは、白黒写真にも写り込んだ姿から察していたが、精神が朽ちかけているという話は聞いたことがなかった。ただ、いつも光のない、死んだ魚のような目をしていたため、露の言葉には説得力があるような気がした。

 ――コイツの言葉を誠として受け入れるのは、姫のことでも、心底癪だが。

 どの道反応できない小夜に、露は言う。

「だから、お前はここに来る。この木は、夜になれば虫がウジャウジャ来るからなぁ。お前らガキどもはあの虫が大好物なのだろう? 捕り物に参加せずとも、場所くらいは知っていよう。そう思って来てみれば、ホレ、思った通り」

 人よりも大きく、青白い指先が小夜を差す。

「!」

 これにより身体を大きく跳ねさせた小夜だが、元より眼前、今更差されたことでここまで驚くことはないだろう。小夜が驚いたのは、開いていたはずの露との距離が、あともう少しで露の手の届く範囲まで縮まっていたせいだ。

(動いてないのに、なんで!?)

 混乱した頭が下を見る。と、ここに来て足元が徐々に動いていることに気づく。湿気混じりの地面は、露へ流れ続けている。

(しまった!)

 目の前で行われた露の変化。いつもの豪奢な着物と共に変わる容姿から、大きさまでいつも通り変わっていると思っていたのだが、知らず近づいていることを悟らせないための偽装だった――。

 気づいたと同時にポケットに手を突っ込もうとした小夜。

 インスタントコーヒーを求めた動きだが、

「遅いなぁ」

「ぎゃっ!?」

 思いの外近い声に青ざめるよりも早く、ポケットの中に自分のものではない何かが潜り込み、内側から布を裂く。

 鋭い動きはインスタントコーヒーの袋も割いたのか、一瞬だけ小夜の鼻にニオイが届いたものの、下に落ちては地面に沈んでいった。

 無意識にもう片方の手が、もう片方のポケットへ動く。

「くっ!」

 しかしこれも、下から伸びるいつかの白い小さな手の群れに阻まれては、ポケットの中にするりと何か――露の指が入り込み、軽く裂いた。

「やれやれ。何度も同じ手が通用すると思われるのは癪だねぇ」

 土に呑まれる袋を忌々しげに見、「臭い」と一言。

 小夜の両ポケットを割いた指を土の中に一度沈めては、「クケケケケ」と笑う。

「まあいい。宛てが外れたのはお前も同じだろうからねぇ? ここに来ればあやつに会えると思ったのだろう? だがぁ……残念ながら、ワシがここにいる時点でそれは無理だぁ。何せ、ワシはお前のようなガキはもちろん、虫どもも逃げ惑うほどには穢れておるからなぁ。すまんな。ここを知られている時点でお前の詰みだ、お小夜」

「っ!!」

 未だかつて呼ばれただけで、ここまで不快な自分の名前があっただろうか。

 いや、ない。

 その意味するところにどうしても浮かぶ、露の所業を恥と言いながら、小夜の――姫の手助けをしないというUMAの話に、小夜の顔から血の気が引いていく。

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