九日目 横の手
何の気なしに聞いた容姿は髪の長い美人だった。
浮世離れした美貌、とも。
確かに美人ではあるかもしれない。
今まで見た中では、一番人らしくもあった。
だが……。
「招きはしたが、こうも積極的に会いに来てくれるとは嬉しいねぇ、ガキ」
(うえ、キモい!)
両手のひらのぬめりと同じぬめりが右肩に触れると同時に、男とも女ともつかない体格のソレが、やはり男とも女ともつかない声で笑う。
より一層強まる危機感。――を通り越して起こる不快感。
小夜が意識するよりも先に嫌悪の頂点に達した身体が、小さい買い物袋から乱暴に何かを取り出し、千切り、片手に落としては、
「触んな、化け物が!」
肩に置かれた手を振り払いざま、手にしたモノを投げつけた。
「ぐえっ!!?」
慰め程度の灯りしかない狭いテント内に広がる、焦げ茶の粉末は、湿気ったニオイを拭うような香りとなるが、反して、化け物は身を捩って顔面を覆う。
(今だ!)
その隙にテントへ出れば、当然のように由衣と孝希が立ち塞がる――が。
「ごめん!」
予測していれば対処に困ることもない。
テント内でそうしたように、焦げ茶の粉末を二人へ撒けば、中の化け物と同じく顔を覆って身を捩る。しかしそれは一時のこと。
「あ……れ? 私……?」
「俺は……何を……?」
不意に苦しみから解放された様子の二人は、狐につままれたような顔で自分の身体をペタペタ触り、互いを見合う。
(よしっ!)
直前の、常軌を逸した二人の様子とテント内の化け物から、二人が操られていると推測していた小夜。それなら、と化け物を怯ませた粉末――インスタントコーヒーの粉を同じ目的で二人にかけたのだが、思いの外効いたようだ。
人を操る能力など聞いた憶えはないため、完全には安心できないが、とりあえずは二人からの追跡も、二人の安全を考える必要もなくなったと目星をつける。
となれば、次に小夜が求めるべきは自分の身の安全。
(しっかし、インスタント買っといて良かったー。そこまで期待はしてなかったけど、夜になるならって警戒しといて正解だった)
涼むだけでは居心地が悪いと、目についた安売りのインスタントコーヒー。
個別包装されていたことも相まって、使えるかもしれないと買っていたのが、ここまで役に立つとは。
欠点をあげるとするなら、ぬめりの次の感触が、多少ベタベタしていることだろうか。それでも両手で揉んだなら手のぬめりが軽減したため、これはこれで良いのだと結論づけた。
(さて。どうしたものか)
少し息切れを感じたところで、肩越しに振り返る。
テントも恋人たちの姿も見えないところまで来たが、嫌な気分は続いていた。
この感覚は、まだ楽観できないこと、ヤツから逃れたわけではないことを示す。
露――雨の日に現れる、陽を厭う化け物。
(てっきり雨の日以外には現れないと思ったけど、そーいやそうでもなかったっけ。この辺は祭りの熱気で湿度もあるだろうし、ヤツにとってはまずまずってところか。迷惑極まりない話だけど)
思い出したくないが、つい先ほど出くわした露の姿を頭に描く。
陽の中にあっては番傘を広げ、曇りであってもサングラスは欠かせない露。
だが、先ほどの姿には番傘もなければ、いつものサングラスもない。
お陰でばっちり見てしまった黒一色の目玉。
穴が開いているように見えて、僅かな灯りを返していた漆黒は、初めて見るのに一番恐怖を感じる部分であった。
こちらの全てを見透かすような、深い黒。ゾッとするそれは、思い出すだけでもこちらの動きを把握されてしまう危機感をもたらす。
払うように頭を振った小夜は、暮れたばかりの空を見た。
(さすがに朝までは逃げられない……なら)
姫を探すしかない。
ラジオ体操の時間以外で会ったことのない姫を、果たして見つけられるものか。
希望はある。
スーパー前で出逢った子どもたちは、他の場所、時間帯でも姫を見ている。
それに、姫自身も行っていたではないか。
行けたら行く、と。
露を殺す目的を持つ以上、きっと姫もこの周囲にいるはず。
根拠はないが、確信していた。
ただ――問題なのは、それまでに小夜がヤツに掴まらない保証がないこと。
(気を引き締めて行こう)
そう、小夜が決意した矢先。
「――――っ!!?」
出店と出店の間から伸びた手が、少女の腕を掴んで引きずり込む。
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