六日目 露の断末魔
その日は雨で、ラジオ体操は休み。
しかし姫がいるかもしれないと向かった小学生の小夜は、煙る視界の先のソレを、最初姫と見誤った。傘を差していたせいで視野が狭まっていたせいもあるだろうが、もっとしっかり見ていれば全く違うとわかったのに。
斯くして辿り着いた先にいたのは、雨の中、傘も差さずに佇む異形。
雨にてらてら濡れた黒髪。白くも豪奢な和装は公園の草地を覆うほどに長い。濡れるのも厭わず上げられた頬に伸びる裂け目は、赤い肉と人にない牙を覗かせていた。
(ひっ!)
喉に張りついた悲鳴は外に漏れなかったはずだが、死角の小夜の反応に気づいたタイミングで、その頭がぐるりとこちらを向く。
目元は、不釣り合いなサングラスで見えないが、そこに映る小夜の姿が、そのままソレの視界に自分がいることを知らしめた。
「おやぁ? 珍しい……こんな雨の日に、こんな小ぃちゃいガキが一匹で」
笑んでいるようにも見える巨大な口から、粘り着くような声が発せられた。
(うっ……)
途端、小夜は身の毛がよだつのを感じた。
ただし、恐怖からではない。
全ての感情を飛び越えて表出するのは、耐えがたい不快感。
生理的嫌悪。
これ以上ここに、コイツの視界にいたくない。
その思いだけで踵を返して走り出すが、次に振るはずだった腕に何かが絡みつく。
「離せ!!」
振り払うべく再びソレの方を向いた小夜。
腕を覆うように絡みついているのが、ソレの巨大な手、太く長い指と知り、自分の力でどうこうできるものではないと判断するが、勝る気色悪さが諦めを許さない。
ともすれば、腕が引きちぎれても良いとばかりに引っ張る。
しかし、掴まれた腕は緩く見える拘束の割にビクともせず、代わりにソレの顔が近づいてきた。
「来るな、化け物!!」
半狂乱のていで叫び、広げた傘をソレの前に突きだそうとした。
とにかく、ソレの目に映りたくない一心だった。
だが、
「うっ!?」
下から伸びた何かに傘を持つ手が取られ、軽く弾かれる。傘が地に落ちる前に、足元が揺らぎ、片膝を着いた足に地面から絡みつく感触。
「な、なにっ!?」
突然のことに混乱した小夜は、傘を持っていた手と片膝をついた足、それぞれに目を向けて戦慄した。
手には細い無数の白い手のようなモノが絡みついており、足には影に似た帯が巻き付いている。共通しているのは、そのどちらもが、小夜の腕を今も捕らえている手と同様の、不快極まりないぬめりを帯びている点。
全てはソレの為したこと。
そう理解するまでを待っていたかのように、生温かい息が小夜の頭にかかった。
「逃げることはないだろう? せっかくこうして出逢えたんだ。時間の許す限り、じっくり語り合おうではないか。なぁ? この雨が降り止むまで。あるいは――」
粘着性のあるモノが這いずる音がした。
見ずともわかる、喜色満面、不協和音の舌舐めずり。
「お前の身体が冷えきり崩れ、斃れるまで」
「っ!!」
蒼白の頬に零れる涙はなかった。
全てが急で、何もかもが不快で、頭だけが熱い。
願ったのは解放。
果たされないと理解してもなお願い、
「ひひひひひひひひひ……。久しぶりに邪魔のない戯れだわ。忌まわしい陽が在るのは惜しいがぁ……この場はワシとお前のみ。望んだとて助けは得られぬよ」
ソレは小夜の必死の思いを柔らかくもぬめる声音で嘲る。
「さぁて。まずは何から教えてやろうか」
雨の冷たさを遠ざける、熱い吐息が小夜の頭に吹きつけられる。
これから自分がどうなるのか。
考えるのもおぞましく、回らない頭は俯いたまま。
不意に、見つめる先の地面が泡立ち、そこに無数の顔が現れれば瞠目し、
「とりあえず、お前の死に様からだろう」
「!」
つまらなそうな声が聞こえた。
よく知ったそれに自分を取り戻した小夜が、顔を上げたなら。
ソレの――化け物の首が目の前で、文字通り飛んだ。
「小夜!」
呼ばれ、その方向に走り出す。
伸ばした腕の先の身体にしがみつき、ただぎゅっと抱きしめる。
その一時は、何も考えないように。
化け物のことも、ソレを小夜の目の前で殺したと思しき姫のことも、何も――。
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