第五譚:座敷童 其の参

 ただ母親には一つ心配事があった。二月ほど前父親と一緒に街のいちへ絹糸を売りに行った長男晋作の様子がどうにもおかしい。もうすぐ十八歳になる晋作はそろそろ嫁を迎える時期であったので、恋煩いなのかと母親は勘ぐる。賢いが思い詰めやすい晋作が心配でたまらない母親であった。


 母親の心配は的中しており、晋作は市で隣り合わせた馬喰ばくろうが連れた女に一目惚れしていた。なにしろ山に籠ってばかりで、碌に女性と触れ合ったこともない晋作である。経験の無いその感情に心を搔き乱されていた。


 一度しかあったことのない、名前も素性もわからない女に晋作はすっかりのぼせ上っていた。寝ても覚めても考えるのはあの女のことばかり、晋作は次の市が立つ日を文字通り恋に焦がれて待っていた。


 あくる月父親と晋作は連れ立って市へと向かった。晋作はもう一度あの女に会えるかも知れぬと人知れず胸を高鳴らせていた。どんな形で出会うことになるかも知らずに。


 市場についた晋作たち親子はやたらと盛り上がるいつもとは違う雰囲気に圧倒された。なにやら祝い事が催されているらしい。晋作は何事かと人混みに割って入った。


 見れば人混みの中心であの馬喰と、晋作の想い人が皆に祝福されながら祝言しゅうげんを挙げているではないか。晋作はあまりの絶望に打ちひしがれて、そのまま市場を離れて近くの川に身を投げてしまった。


 何も知らない母親は吾作を家に残し、一人家を離れて小川へ水汲みに出ていた。女の力では桶二つ分の水しか運べず、小川と家との数往復を余儀なくされていた。水の入った重い桶を二つ担ぎ上げた時、母親は腰を抜かすほどに驚いた。いつもの赤子が着るような腹掛けではなく、きちんと着物を来た吾作が空の桶を抱えて立っているではないか。


「母様、お手伝いさせてください。」


 初めて吾作の言葉を聞いた母親は驚きを隠せずとうとう腰を抜かしながら言った。


「吾作おまえ、言葉が話せるようになったのかい。」

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