第三譚:飴買い幽霊 其の参
「昔々あるところに、身重の女性がいました。貴女と同じくらいの年で、独り身で。」
「彼女は誰の援助も得られず、ただ一人アパートの個室で出産を控えていたそうです。」
「妊婦検診も受けておらず、手持ちの金銭も付きかけた頃彼女は産気づきました。たった一人のアパートで。」
「彼女は助けを呼ぶこともできず、その場でたった一人で男の子を出産しました。」
「直後に彼女を病魔が襲います。くも膜下出血だったそうです。」
「くも膜下出血とは人生で経験する最も強い苦痛の一つだそうです。人生で経験する最も強い苦痛の一つである出産を経験した直後の彼女はさぞかし苦しんだことでしょう。」
「それでも彼女は最後の力を振り絞り、赤ちゃんを抱きかかえ自分の乳房に赤ちゃんに吸わせた体勢で息を引き取ったそうです。」
「実は彼女とは僕の母親です。異変に気付いた近隣住民がアパートのドアをこじ開けて見たのは、死んだ母親の胸で泣き叫ぶ僕だったそうです。」
あまりにも意外な前田医師の話に娘はただ茫然と聞き入っていた。前田は続けた。
「僕は母の強烈な母性、いや本能というべきかな。それによって産まれることができました。」
「でもね、そのあとは違います。沢山の人から援助を受け、周りの人に助けられ、公的な助成を受けて現在の僕がいます。母親の母性だけでは子供は生きていけません。」
「先ほどの【飴買い幽霊】のお話もそうです。店が閉まっていても水飴を売り続けた田助による共助、そしてお坊さんによる公助、それが無ければ赤ちゃんは生きていけませんでした。」
「あなたは一人ではありません。周りにたくさんの援助があります。それに存分に甘えてください。あなたと赤ちゃんのために。」
「あなたと赤ちゃんを周囲が、社会が支えること、それこそがこの世界が持つべき母性ではないでしょうか?」
若い母親はいつしか前田の手を握り、感動と感謝の意を表していた。前田は素直に若い母親の反応を喜ぶとともに、最後の言葉は次の講演に使えるかもと思案していた。
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