ストーカー

下東 良雄

標的

 帰宅ラッシュも少し落ち着きを見せた夜十時半。私は乗ってきた電車から駅のホームに降り立った。この時間になると、ブレザーの制服姿の女子高生は目立つかと思いきや、バイト帰りや塾帰りの子もいて、意外と周囲に埋没している。あのコロナウイルスの騒ぎも随分と落ち着いたけど、リモートワークが根付いたのか、駅に昔ほどの賑わいはない。

 ホームの階段を上がり、改札口へ。駅を一歩出れば、視界にはマンションが乱立している風景が飛び込んでくる。古臭い言い方をすれば「ニュータウン」というやつだ。都心には一本で出れる好立地だけど、微妙に田舎なので物件がお手頃な価格らしく、若い夫婦の転入が増えているらしい。このご時世に賑わいが増えるのは、とても良いことだと思う。


 でも「微妙に田舎」なので、駅からちょっと離れるとひとも分散し、薄暗くて人気ひとけのない雰囲気になる。この道を通らないと家には帰れないのだから仕方ないけれど、私には心配していることがある。ここ最近つけられている気が……いや、つけられているのだ。小太りの中年男性で、今も私から少し離れた後ろを歩いている。いわゆるストーカーだ。


 コツ コツ コツ コツ


 静寂が満ちる夜のニュータウン。マンションの谷間に響く中年男性の足音は、まるでホラー映画の恐怖を煽る効果音のようだ。まだ私とは距離があるのか、それともすぐ後ろにいるのか、振り向いて確かめたいけどすごく怖い。すぐ眼の前にあの中年男性の顔があったらどうしよう。ハァハァと生臭い息を吐きながら、私の匂いを嗅いでいたらどうしよう。


 少し遠回りにはなるけれど、街灯の多い一本奥の道路へと向かうことにした。途中で交差点を左折してしばらく歩き、そっと後ろを振り返る。中年男性の姿は見えたが、こちらには来ずに交差点を直進していった。やはり明るい道路は嫌なのだろう。暗ければ隙をついて私を襲うことだってできるのだから。私はブルッと軽く身震いした。


 やっと私のマンションが見えてきた。時間にして五分から十分くらいの遠回り。自分の身を守るためだから仕方ない。でも、明るい道路はやっぱり安心できる。無理な近道は色々な意味で怪我の元だろう。

 自動ドアが開き、マンションのエントランスへ。建物の出入口はオートロックなので、カバンから鍵を取り出した。ロックを解除しようと、ふと顔を上げると――


 ――目の前のガラスに、あの中年男性の姿が映っていた。

 私のすぐ後ろにいる。


 叫び声を上げそうになるを耐え、慌てて鍵穴に鍵を差し込もうとするが、焦っているのかガチンガチンと、中々差し込むことができない。何度目かで差し込むことができ、そのままひねる。解錠された自動ドアが開き、私はマンションの中に駆け込んだ。急いでエレベーターへ。しかし、エレベーターは最上階で止まっていた。ボタンを何度も何度もカチカチと押してエレベーターを呼ぶが、オレンジ色の階数表示の数字は中々「1」に近付いてこない。このエレベーター、こんなに遅かったっけ?

 ようやくエレベーターが到着。扉が開いたのと同時に駆け込んで振り返ると、あの中年男性が立っていた。


 息を飲む私。たった数秒なのに、何分にも感じる。

 ストーカーに襲われる――


 ――が、中年男性はエレベーターに乗ってこない。

 そして、優しく微笑みながら声を掛けてきた。


「お先にどうぞ」


 驚く私。

 中年男性は、何だか恥ずかしそうに笑っている。


「こんな遅い時間に、キモいオッサンとエレベーター一緒なのは怖いよね。私は次ので行きますので、お先に行ってください」

「す、すみません!」

「いえいえ、お気になさらず」


 私はエレベーターの扉を閉めさせてもらう。扉の窓から頭を下げる私に、男性はにっこり微笑んでくれた。

 男性は、このマンションの住人のようだった。思い違いも甚だしく、随分と失礼な態度を取ってしまった。それでも、あの男性は怒ったりすることなく、私がどんな風に考えているかを思いやり、私を不安にさせないようにこうして優先してくれた。仕事帰りで疲れているはずなのに。私は改めて男性の心遣いに感謝した。


 エレベーターを十階でおり、私もようやく部屋に帰ってきた。何だかすごく疲れてしまった。

 鍵を開けて、玄関の扉をガチャリと開ける。


「ただいまー」


 明かりも点けず、薄暗い部屋に向かって帰宅の挨拶。誰もいないので返事はない。ワンルームの部屋へ続く短い廊下を眺める。私はフッと小さく溜息をついて、部屋に入った。

 部屋の照明をつけて、ベッドに身体を横たえる。うつ伏せになって、枕に顔をうずめる私。


「あぁ……あのひとの匂いがする……」


 ふと視線を横に向けると、小さなネズミのキャラクターのぬいぐるみが飾られていた。目の部分にこっそりと仕掛けておいた隠しカメラの調子は良好。あのひとのすべてを私は知っている。


「明後日まで出張だったわね」


 私はベッドに潜り込む。

 布団をかぶり、あのひとの匂いに包まれて夢見心地な私。


「あぁ、愛してる……愛してるわ! あははははははは!」


 布団の中で喜びを爆発させた私。

 今から駅に戻っても終電は終わっている。

 だから、今夜はこのままお泊りだ。

 それに――




 ――夜道はストーカーが怖いからね。



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ストーカー 下東 良雄 @Helianthus

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