第4話

「あの、あなたの名前はなんですか?」

 男は僅かな時間考え、答えた。

「ガイラだ」

「ガイラさんですか。私はロフシーです」

 そこで二人の会話は途切れた。無言で長身の男と、小柄な少女は生命の姿が見えない荒野をただ歩く。左右を高い岩壁にはさまれ、それが途切れそうな様子もない。道の先はまだ見えなかった。

 風はさほど強くはないが、細かい土が入らないようにロフシーは布で鼻と口を覆っている。その布は彼女の頭から全身を覆うものであった。

「…………」

 ロフシーは数歩前を歩くガイラの背中を見る。

 彼の服装は最初に見た裾が破れた粗末なものではなかった。体型に合った仕立ての良い服。広がった袖や裾に銀糸で刺繍がされた上着は、貴族でもなければ持てない高級品に見える。前を開けてそれを羽織った姿は、高貴さと荒さを兼ね備えた色気があった。

「何を見ている」

 ロフシーの視線に気づいたガイラが顔だけを後ろへ向けた。

「えっと、その腕輪を見てました」

「これがどうした」

 ガイラの左手首には、精緻な装飾がされた金の腕輪があった。幅は指三本ほどで、丸い緑色の宝石が一つ埋め込まれている。

「それって金ですよね? それにすごくキレイな細工。お母さんが作ったやつみたい……」

「お前の母親は職人だったのか」

「はい。お母さんの細工は本当にすごくて、いろんな所から注文が来たんです。ちょっと前に亡くなっちゃったんですけど……」

「そうか」

 会話が再び途切れ、無言で二人は歩き続ける。

「あの、この道ってどこまで続いてるんでしょう」

「さあな」

「ガイラさんは、どうしてあんな場所にいたんですか?」

「…………」

 無言になったガイラを見て、ロフシーは彼が怒ったのかと不安になった。ちらりと見るが怒っているような感じはしない。

 ガイラはあの場所に両腕を拘束されていた。罪人が刑罰にためにそうされていたのだろうかと思いはしたが、ロフシーにはなぜか彼がそんな人間には思えなかった。

 ガイラがふいに足を止めた。

「休憩だ。そこに座るといい」

「えっ」

 ガイラが指を向けた場所には、ロフシーが腰をおろすのによい高さの岩があった。ガイラは別の岩へ座る。

 ロフシーは確かに歩き続けて疲れていたので素直に休憩することにした。岩へ座ると、腰の水袋から水を飲む。節約しなければならないので少しだけだ。

 水袋の残りを確認していると、ガイラがこちらを見ている視線に気づいた。そこでガイラが、水袋を持っていないかもしれないと思いつく。見たところ、彼は何も荷物を持っていない。

「あのっ、水をどうぞ!」

「必要ない」

「で、でも飲まないと。まだいっぱい残ってるから大丈夫です」

「お前こそ水をもっと飲め。中身は気にするな。そこにある」

「そこに?」

 ガイラが指さした先には、岩壁の割れ目から、小指よりも細い水が流れ落ちていた。

「水だ!」

 ロフシーは驚いて駆け寄る。この荒野で水を得るには、大きな幸運が必要だ。荒野に川は存在せず、かつて川であった枯れた谷と溝が点在するだけ。湧き水もある日急に枯れてしまうことは珍しくない。村や集落には井戸や泉があるが、貴重だからこそ見ず知らずの他人には簡単に分け与えない。あとは一年に一度降るかどうかの雨を待つしかないのだ。

 水を指先につけてなめる。変な味はしないので、おそらく飲んでも大丈夫な水だ。臭いもない。

 ロフシーは水袋の中身をのどを鳴らして飲む。少しだけしぼんだ水袋に、湧き水を注いだ。再び限界まで膨らんだ水袋を見て、ロフシーは嬉しそうに笑う。その姿をガイラは無表情で見つめていた。

「ガイラさん、水がいっぱいですよ! えっ……」

 振り向いたロフシーの顔が、満面の笑みから急に変化する。

「どうした」

「あの……道が」

 見ると先程までは果てが見えなかった道が、目の前で途切れてしまっていた。左右をどこまでも遮っていた岩壁は唐突に消え、道の終わりには広大な岩と土ぼこりの荒野が広がっている。

「そんな、さっきまでこんなの無かったはずなのに……」

「なるほどな」

 困惑するロフシーとは違い、ガイラは何かを得心した様子で腕を組む。

「行くぞ」

「えっ、あ、はいっ」

 ロフシーは駆け足でガイラの背中を追った。

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