第10話 恋愛と何なのか?

糺は理想の彼氏を思い注射針廃棄をすすんで行った。

彼女の場合廃棄作業に落ち度はない。

院内でも彼女なら安心と評判は上がる。それと同時に倭の懲戒解雇が現実味を帯びていく。



男性は女性に聖女を求める。

その根本は肉愛だ。

だが、女性は一人の人間としてみていて欲しいと願う。

それが女性冒涜から始まった恋愛である。



倭は性欲が満たされると糺のもとに戻る日を続けた。

彼にとって女性は性の対象であり、その先、子供に恵まれようと彼自身がなくならない限り続くと思っている。

だからこそ言葉は彼にはない。

一方、糺はあくまでセックスは恋愛から結婚を経る道程の一部分でしかなく、子供作りの為でもない。

二人が愛情を一生感じ合いそして終えることができれば愛することをやり遂げたことになると考えていた。



「もういい加減、何かお話でも倭の方からしてくれてもいいと思うけど。」と糺には倭に対する不満が悶々と積み重なっていった。






隠花共立病院会議室内に院長、人事部長、看護師長、そして院内感染管理者が顔を揃えた。


「やっぱり駄目かねあの男は。」


「申し訳ありません、私の教育が稚拙なばかりに。」


「福多部管理のせいではありません、あの男は看護師という命を預かる仕事に対して自分の性欲のことしか考えない社会脱落者です。」


「そうか。人事部長、だそうだ。後は頼んだぞ。」


「はい、しっかりと処分いたします。」


会議は短く簡潔にが医療関係者の鉄則だ。

とうとう倭は懲戒解雇という人生の挫折に向き合う事になった。





女性にとっての堕胎は、身体の一部の切除だとする意見が過去にあった。

妊娠により母親の身体に生命危機が迫った場合、お腹にいる間は別の生命とは言えないとするものだ。

この意見は徹底的に叩かれることになる。

しかし、そもそもセックスは何のためなのか?という質問に堂々と答えを言えるものがこの世にいるのだろうか?

肉体同士の関係を人間の繁殖と考えるとするならば、そこに恋愛というものは存在するのだろうか?

家族を食べさせるために身体を売る行為は愛情と言えないのか?

彼女以外、彼氏意外に身体を許すことが愛を放棄することになるのか?

繁殖と快楽のセックスに違いはあるのか?





糺は倭の懲戒解雇が現実のものとなり、自分の彼氏は運命の人では無かったのかも知れないと思った。

現在の晩婚化は恋愛が要因の1つとされている。

核家族化により個人主義に走る人が多くなりそれが見合いから恋愛結婚へとシフトチェンジを促してきた。

それはまた恋愛結婚が主流になればなるほど妥協が無くなり相手の選択肢が狭まり恋愛できない人を多く生む結果ともなる。

無理して結婚しなくてもという考えが若者の晩婚化に拍車をかけているという現実が今日となったのだ。





糺は倭の今迄の女遍歴を同僚の看護師から聞いた。

驚愕でしかなかった。

無口で女性に声などかけそうもないそう思って信頼していた糺は倭が同僚の看護師に手当たり次第に関係を迫っていた現実を受け入れることができずにいた。


「もしかしたら外でも、いえ、カルロでもそうやって…。」


何も信じることができなくなった。

糺にとっての倭のイメージ像が発破により倒壊するビル群のように次々と壊れていった。


愛というものが自分の虚像とするならば結婚とは一体何なか?…。


糺は倭とは別の人生を歩んでいたことを改めて思い知った。

しかし・・・。


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