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 日が昇りきり、朝という静謐な時間が終わりかけようとしている山道を、赤いバスが登ってきた。


『命はかけがえのないものです』と大きく書かれた看板が立つ停留所にバスが停車する。


 扉が開き、一人に女性運転手が段ボール箱を持って降りてきた。中には食料品や日用品が詰められていた。それを停留所のベンチの下に隠すように置く。


 女性運転手は疲れた顔をしていた。浮かない表情でため息をつくと、彼女はバスのテロップを登り、運転席に座った。ボタンを操作し、自動ドアを閉める。


 その時、その隙間に滑り込むように、一人の女がバスに乗り込んだ。


 運転手はぎょっとして女を見て、続いて驚愕の表情を浮かべた。


 髪が短くなっていた。服が替わっていた。でも、その顔を忘れるはずがなかった。3日前、運転手がこのバスでこの地に送り届け、そしてその日の夕方、助けを求めるこの女の目の前でドアを閉めたのだ。


忘れるはずが、なかった。


「あなたは、必要物資の運搬も兼ねているんですね」


 あずさはそう言ってちらりと女がベンチの下に置いた段ボール箱に目をやった。


 考えてみれば、タケルが車を持っていなかったのは、主義でもなんでもなく、組織が交通手段を与えていなかったのだろう。撮影スタッフが森から逃げ出さないために。翁も本来の仕事は殺し屋たちの見張り役だった。山と森に閉じ込められていたのは、彼らも同じだったのだ。


 そして、もう一人。


 あずさは怯えた表情の女性に目をやった。


「お、お願い。降りてちょうだい」


 運転手はあずさに懇願した。


「脅されてるの。私があなたを逃がしたら、家族になにをされるかわからない。お願いよ。私には、助けられないの」


 なるほどね。そういうパターンもあるのか。


 全くもって、度しがたい奴らだ。


「大丈夫です。助けてもらわなくても。全員死にましたから」


 運転手はぽかんと口を開けた。


「山の殺人鬼共は全員殺して、その上の人とも話をつけました」


 あずさは森を振り返った。


「あなたはお役御免です。もう、ここも、ただの森に戻ります」


 運転手はそこでようやく、彼女が古びた皮のリュックを背負っていること、そして、その手に水平二連式散弾銃が握られていることに気がついた。


「わ、私を、殺すの?」


 女性運転手の震える声にあずさは眉を上げた。


「ん? あなた、私と戦うつもりなんですか? それなら相手になりますけど」


 女性はぶんぶんとかぶりを振った。


「そう。じゃあ、お願いします」


 そう言うと、あずさはリュックに手を突っ込み、一枚の古びた一万円札を引き抜くと、料金ボックスの上に置いた。


「おつりはいりません」


 あずさはバスの中程の席に座り込んだ。ふうっと息を吐く。


 バスがゆっくりとUターンをし、山を下り始めた。窓の外の木々が後ろに流れていく。


 途中、場違いに黒光りするバンが、三台も連なるようにして登っていくのとすれ違った。運転手は「ひっ」と声を上げて肩をすくめたが、あずさは動じなかった。現に、その三台の完全な黒窓の車たちはバスに構うことなくすれ違い、森に直行していった。


 脚本家の男が言っていた、回収係だろう。


 バスが斜面を下る。街に向かって降りていく。


 あずさはふと、後ろを振り返った。


 霞がかった空気の中、そびえ立つ霊山がぬらりと浮かんでいた。




「えっと、お、お客さん」


 あずさへの呼び方を迷ったらしい運転手は結局、そうあずさに声をかけた。


「ど、どこまで行かれます?」


 あずさは山から目線を外し、前を向いた。


「そうですね。始めの、私が乗り込んだバス停まで、乗らせていただきます」


 あずさは座席にもたれ、すっと目を閉じた。


「家に、帰るの」




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