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あずさは草むらの中にいた。岩の斜面の上を睨み付ける。
どこかにいるはずだ。斜面の上のどこかで、敵は自分を待ち受けている。
大丈夫。この角度なら見つからない。大丈夫だ。
あずさはそう自分に言い聞かせながら、ぎゅっと弓を握りしめた。
「まる見えっすね」
タケルは興奮しながらヒジカタにコントローラ―の画面を見せた。確かに、草むらの中に隠れる女の姿が映っていた。斜面の上を警戒して草むらの中に潜んでいるつもりなのだろうが、まさか上空から見られているとは思っていないのであろう。髪の毛の一部と、背中から肩が草むらの後ろからはみ出していた。
「よくやった」
ヒジカタはバシリとタケルの肩を叩いた。
「回り込むぞ」
ヒジカタはそう言うと、登山道の方に駆けだした。タケルが慌てて追う。
「ここで待ち伏せるんじゃないんすか?」
ヒジカタはウィンチェスターを確認しながら登山道を駆け降りる。
「確実にやる。登山道を降りて後ろから岩場に回り込むんだ」
登山道は岩場の隣を沿うように位置する林の中を通っている。登山道を一定距離を下まで降りて横にそれれば、岩場の、ちょうど女の背後に出るはずであった。
「いいか。バードで女を見張り続けろ。動き始めたらすぐに・・・・・・っておい!」
ヒジカタはタケルを突き飛ばした。モニターに気をとられていたタケルは登山道の土の上に派手に転倒する。
「何すんだよ!」
悪態をつくタケルの頭をヒジカタははたいた。
「お前が仕掛けたんだろうが。場所ぐらい覚えとけ」
タケルは足下を見て縮み上がった。タケルが踏み出そうとしていた地面は落ち葉が不自然に盛られていた。
「お前が踏んだら意味がねえ。避けながら行くぞ」
二人は慎重に自らが仕掛けてトラップをの間を縫うように進んだ。ヒジカタは舌打ちした。焦れったい。流石に調子に乗って仕掛けすぎたか。
ようやく地雷原を抜けたところで、再度タケルにモニターを確認させる。
「大丈夫。まだ同じ場所にいる。多分僕たちが降りてくるのを待ってるんだ」
タケルの、素人の推測ではあったが、あり得るなとヒジカタは思った。あの女も高所が攻めにくいことはわかっているだろうから、こちらがしびれを切らすのを待っているのだろう。
だが、自分の位置がこうも正確に掴まれているとは夢にも思っていないだろう。山頂ばかりを意識している女は、まさか背後から狙われるとは思うまい。
「ここからは声を出すな」
ヒジカタが小声でそう言うと、タケルは盾を構えた。そして言う。
「お、俺にも、銃を貸してください」
「・・・・・・」
ヒジカタはそのタケルの言葉を一蹴しようかとも思ったが、じっとタケルの目を見た後、腰からリボルバー拳銃を引き抜いて渡した。
「俺が合図するまで絶対に撃つな」
タケルはまさか本当にもらえるとは思っていなかったのだろう。手に収まった黒い銃を見つめて生唾を飲み込んだ。
「慣れてないやつは味方を撃ちがちだ。前に出ろ。拳銃なら片手に盾を構えたまま撃てるだろう」
「う、うん」
「ダブルアクションだからお前でも扱える」
「だ、だぶ?」
素人が。ヒジカタは内心苛つきながら「引き金を引くだけで撃てるってことだよ」と押し殺した声で言い、タケルの背を押した。
「行け。俺が許可するまで絶対に撃つなよ」
登山道の一本道が終わるタイミングで、横の林にそれた。道なき道を数分かき分けると、岩場の最下層に出た。ゴツゴツした岩場。岩の隙間を縫うようにして、所々にヒジカタの背丈もあるような草が生い茂っている。岩場中に点在するこの茂みのどこかに、女は潜んでいる。
「あの茂みっすね」
タケルがそう囁いて見つめる先、バードが上空で小さく円を描いている茂みがあった。
草から飛び出す、女の黒髪が見えた。
「・・・・・・行け。音を立てるな」
タケルが盾と拳銃を構え、身体を低く這うような態勢でそろそろと斜面を登る。
女までの距離、二十メートル。
「・・・・・・まだっすか」
「まだだ。射程距離に入るまで近づく。確実に仕留めるんだ」
岩山とは言え、隙間にたまった砂や小石がわずかな音を立てる。タケルの呼吸が荒い。まるで走り終えた犬のようだ。ヒジカタはこの呼吸音が聞こえてしまうのではないかとはらはらした。しかし、女はまだ女は気がつかない。
女から十五メートルほどの所まで近づいた。背中が見える。
よし。もう少しだ。ぎりぎりまで近づいて確実に・・・・・・
ヒジカタがそう思ったその時だった。
タケルが叫んだ。
「死ねえええええええ!」
何を思ったのか銃を持った腕を突き出し、発砲した。二発続けざまに。
素人の片手撃ちが当たるはずもない。女の背中の数メートル先に弾が着弾して石が砕け散った。
まずい。振り返られる。撃ち合いになる。
「どけええ!」
ヒジカタはタケルの側頭部に肘打ちを食らわせると、身体を前に出し、ウィンチェスターを瞬時に構えた。照準が合うか合わないかギリギリのタイミングで引き金を引く。女の背中が揺れた。
当たった。
ヒジカタは瞬時にレバーを操作してガチャリと薬莢を吐き出し、すかさず次弾撃ち込んだ。命中。女の身体がぐらりと揺れて傾き、草むらから帽子を被った頭が垣間見えた。
ガチャリ。薬莢が飛ぶ。
その頭を狙い、もう一発。
乾いた銃声とともに、女の身体が横倒れに倒れた。
「・・・・・・終わったぞ」
ヒジカタは立ち上がった。タケルも慌てて立ち上がる。
「す、すげえ。あっという間に3発も! すごいっすよヒジカタさん!」
タケルの肘打ちされた頬は赤くなり、唇から血が出ていたが、興奮が勝ったのだろう。タケルは大いにはしゃいでいた。
もう一発殴りてえぐらいだ。そうヒジカタは思ったが、まあ、結果オーライである。ヒジカタは岩肌を登り、女の死体を確認した。
そして、愕然とした。
ヒジカタの弾は確かに当たっていた。女のリクルートスーツには銃弾の穴が二つ開いていたし、束ねられた黒髪が飛び出したキャップ帽にも撃ち抜かれた穴が確認出来た。
だが、リクルートスーツの中身は木の枝だった。木の枝が紐で組み合わされたただの骨組みだった。女性もののキャップには長い黒髪が挟んであったが、その頭はただの風呂敷だった。ヒジカタが撃ち抜いた穴から落ち葉がこぼれ落ちていた。
かかしだ。
ちくしょう。だまされた。あと数メートル接近していれば看破できただろう雑な仕掛けだった。
「え、なんすかこれ? え?」背後に追いついたタケルが混乱の声を上げる。
くそ、女は? 女はどこだ!
ヒジカタが歯ぎしりをしながら顔を上げた瞬間だった。
上方、十メートル。一際大きな岩の上に、弓を構える女と目が合った。
ヒジカタはとっさに左腕を突き出した。刹那、その手の平に突き刺さった矢の矢じりが手の甲を貫いてヒジカタの喉元に迫り、あと数センチのところで動きを止めた。
ヒジカタは背中から背後の岩肌に倒れ込む。危うく斜面を転落する所だった。
「え? え?」
「タケルう! 盾だああ!」
タケルが慌てて上方に向かって盾を構える。直後、その盾に一本の矢が突き刺さってびいいんと音を立てた。
「うわああ!」
タケルが悲鳴を上げる。ヒジカタはうなり声を上げながら左の手の平を貫通した矢を力尽くで引き抜いた。赤い血があたりの岩肌に飛び散った。
ヒジカタはタケルの肩に置くようにしてウィンチェスターを構えた。次の矢を構える女の頭に照準を合わせる。
引き金を引く。轟音とともに片手で支えたライフルが跳ね上がった。女は瞬時に身を引いたようで弾は中空を切り、遥か後方の岩壁を砕いた。
耳元で銃を発砲されたタケルが悲鳴を上げて片手で耳を押さえる。
ヒジカタは次の弾を装填するため、レバーを操作しようとしたが、片手では上手く出来ない。タケルの肩でバランスをとり、自分の胸に銃床を押さえつけるようにしてようやくレバーアクションを終える。照準を合わせようとした瞬間、女が瞬時に岩の上に現れて矢を放った。慌てて頭を下げたヒジカタの後頭部すれすれを矢が通過する。怒声を上げて構え直し、引き金を引いた時にはもう女は身体を引っ込めていた。女が身を隠すのと乗り出すのを繰り返す岩は、ヒジカタの背丈を超すような巨岩だった。斜面の上に位置する巨岩は、下からでは角度的に狙いにくいことこの上ない。
ちくしょう。高所をとられた。
ヒジカタは次弾のレバー操作をあきらめて、ウィンチェスターライフルを足下に放った。そして、タケルの耳を押さえる手にリボルバー拳銃が握られているのを見て、それをもぎ取る。
とられたものは取り返すしかない。
「行け。前進だ」
「は、はあ?」
銃をとられ、手作りの盾だけになったタケルが涙目でヒジカタを見る。抗議の目だった。ヒジカタはその顔に拳銃を突きつけた。
「進めって言ってんだよおお!」
タケルは悲鳴を上げ、慌てて前方に身体を向ける。
盾を両手で構えると、タケルは震える足で岩肌を登り始めた。
ドス! 新たな矢が盾に突き刺さる。タケルが短く何かを叫んだ。ヒジカタはタケルの背にピタリと身体を寄せ、盾の死角に入る。ヒジカタはそこで一つの違和感に気がついた。
あの女、なぜ銃を使わない。
さっきのタケルとの会話を思い出した。タケルは銃の基礎的な知識を何も知らなかった。
そうか。あの女、銃を手に入れたはいいものの、撃ち方がわからないのか。
「タケル。行けるぞ。楽勝だ」
「はあ? どこが!」
タケルが「何言ってるんだこいつ」とでも言いたげな目でヒジカタを睨み付ける。
「よく考えてみろ。あの女の矢はお前の盾を貫けない。このままにじり寄れば俺たちの勝ちだ」
タケルははっとしたように自らが作成した盾を見つめた。
ドスリとまた一本矢が突き刺さったが、確かに盾はびくりともしない。
「ほんとだ・・・・・・はは。ほんとだ!」
タケルの顔がにわかに歪んだ。
「効かねえ! そんな矢、全然効かねえぞ!」
タケルは急に声色を変えたかと思うと、ずんずん斜面を登り始めた。
次々と矢が盾に突き刺さる。しかし、もうタケルは全く怯まなかった。戦闘における極度のプレッシャーで人格が入れ替わったかのようだった。あるいは、単に相手の弱みを見つけると途端に勢いづく性格というだけなのかもしれなかった。
「おらおら! どうしたどうした!」
ヒジカタは屈みながら後を追い、ほくそ笑んだ。右手で拳銃を握りしめる。よし、このままあの女が登っている岩までたどりつけば俺の勝ちだ。
「どうしたくそ女ああ! 俺の盾を貫いてみろよこらあ! できるもんなら・・・・・・」
次の瞬間、ヒジカタは生暖かい液体を頭上からバシャリと浴びた。被ったと言っても言い量だった。続けて鼓膜を通して脳が轟音を認識する。
一瞬何が起こったのかわからずに固まったヒジカタの目の前で、タケルが膝をついた。両手で構えた盾にはビール缶ほどの大きさの穴が開き、タケルの首から上が吹き飛んでいた。
スラッグ弾か。
ヒジカタはとっさにタケルの首無し死体を突き飛ばして走り出した。銃声とともに後方の、先ほどまでヒジカタがしゃがんでいた場所の岩肌がはじけ飛ぶ。
くそ。あの女、銃を使えなかったんじゃない。使わなかったんだ。
弓しか使えない振りをして、俺たちが射程範囲に近づくのを待っていやがったんだ。俺たちを確実に仕留めるために。
ヒジカタは走った。女の上下二連式散弾銃は装弾数が二発しかない。さっき二発撃った。チャンスは今しかない。
間一髪だった。ヒジカタが岩の根元に飛びついて死角にはいったのとほぼ同時に、弾の装填を終えた女の銃が背後の岩肌を撃ち砕いた。
女が岩の下に張り付いたヒジカタに気づき、回り込もうと岩を側面から滑り降りる音が聞こえた。
なめんじゃねえ。
ヒジカタは逆の側面から岩を駆け上った。斜面を蹴り上げ、血が噴き出す左手で岩にしがみつき、岩の上によじ登る。
ヒジカタが岩を登り終え、側面から足を引っ込めようとしたところで下方から銃声が轟いた。ヒジカタの左足に散弾の一発がめり込む。鮮血が散った。
くそ。弾の種類を変えてやがる。
ヒジカタは岩の上で背中を岩にこすりつけるように回転させると、女がいるであろう方向にリボルバーをがむしゃらに撃ち込んだ。一発。二発。三発。四発。
どさりと、女が倒れこむ音が響いた。
やったか。
ヒジカタは即座に腹ばいの体勢になった。女が倒れているであろう方向にリボルバーを構える。そしていつでも引き金を引ける体勢で、じりじりと岩の際に身体をにじり寄せた。数秒間息を整える。そしてばっと、勢いよく身体をせり出させ、岩の下に拳銃を向けた。
いない。どこだ。
慌てて目線を走らせると、前方に女の後ろ姿があった。、銃を杖のようにして足をかばいながら走っている。肩のリュックが揺れていた。林を目指しているようだ。
登山道に逃げ込むつもりか。ヒジカタは岩の上から発砲した。弾は女をわずかにそれ、林の木々の一本に当たった。女も林に入ると同時に振り返り、猟銃を撃った。ヒジカタはそれをに転がるようにして回避する。女もあくまで威嚇のつもりだったのだろう。その隙に林に入って行った。
逃がすかよ。
ヒジカタは岩を飛び降りると、女を追って走り出した。
あずさは登山道を走った。左足を引きずり、右手で持った猟銃を杖のようにして銃床で地面を突く。走りを止めないまま、左足の太ももを押さえていた手を一旦離し、傷をさっと確認する。
大丈夫。かすり傷だ。問題ない。
コースをずれて、身を隠して、あの男を迎え撃とう。あずさは走りながら登山道の側に目をやった。両側ともに林になってはいるが、斜面も険しく木々もうっそうとしていて、そう簡単にコースから外れることは出来そうになかった。それでもなんとか入り込めそうな獣道でもないかとあずさは林に視線を集中させた。
だから、気がつかなかった。まるで何かを隠すように、足下の地面に落ち葉が不自然に集められていることを。
ガチャン!
悪魔のような金属音が山道に響いた。
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