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「この山頂を目指すであろうあの女のコースは、実質三つしかない」


 クロダはそう言って、PCのマップを指さした。


「一つは車道だ。一番わかりやすく、道幅も広い。だが隠れる場所も少なく、見通しがいいため、恐らく女は選択しないだろう」


 クロダはそう言って蛇のように曲がりくねって山頂に繋がる道を指でなぞった。


「とはいえ、意表を突いてここを駆け上がってくる可能性もないではない。よって、ここは俺が見張る。そして、見つけ次第撃ち殺す」


 ヒジカタは部屋の隅に立てかけられたクロダのボルトアクションライフルに目をやった。遠距離用のスコープを装着している。確かに、クロダなら百メートル先からでも外さないだろう。


「次に考えられるのは、登山道だ。無論、一般人が登る用の道なので言うほど険しくもない。木々も多くとっさに隠れやすい。女には好都合だ。選択する可能性が高い」


 クロダは車道からすこし地図をずらし、車道よりももより細かくギザギザと折れ曲がった小道を指さす。


「だが、こちらとしても狙い目ではある。登山道はいくつもあるように見せかけて、山頂直前にはこの一本に集約される。直線距離は五十メートルちょいといったところか。必ずここを通ることがわかっていれば対策しやすい」


 ヒジカタは「まかせろ」と笑った。待ち伏せは得意だ。


 クロダが頷く。その顔は土気色だった。そうとう具合が悪そうだ。血を流しすぎたのだろう。クロダは地図をすっとずらすと、無理に声を張るように言った。


「そして、最後はこの岩場だ」


 クロダは山の反対側、扇状に大きく広がった斜面を指さした。


「かなり急な斜面だが。ゴツゴツした岩肌であるがために登ろうと思えば登れる。また木々がない代わりに岩の隙間から一メートル近い雑草が所々伸び放題に生い茂っている。身を隠しながらすばやく草むらから草むらへ移動することで接近が可能だ。まあ、過酷な道のりにはなるため、通常の神経の人間なら選択しないが・・・・・・」


 あの女ならやりかねない。そう思わせる凄みを、あのトランシーバーの会話でクロダとヒジカタは十分に感じ取っていた。


「そして、決定的な欠点がある。岩場は木々が無いため、いくら草むらに身を隠しても、空からは丸見えだ」


 クロダはタケルを見つめた。


「つまり、タケル。お前の本領発揮だ」


 タケルは、緊張で裏返った声で言った。


「ば、バードを使って見張ればいいんだね」


「そうだ。ヒジカタの側にいながら、遠隔操作でバードを操り、あの女が岩場を進んで来ないか見張るんだ。見つけたらその場でヒジカタに伝えろ。後はやってくれる」


 タケルは思ったより自分の役割に危険がないと思ったのか、少し安堵した顔で「わかった」と頷いた。


「この三つのコース以外は断崖絶壁に近く、登れたものではない。必ずこのうちのどれかを通ってくる。整理するぞ。車道は俺。登山道はヒジカタとタケル。そして岩場はタケルがバードで空から見張る。これで行く」


 タケルが手を上げる。


「そんなバラバラにならなくても、この小屋に立てこもって迎え撃てばいいんじゃないの?」


 クロダは大きく息を吐いた。タケルの意見に怒ったわけではないだろう。純粋に疲れがたまっている様子だった。


「この小屋は木造だ。壁が薄く窓も多い。立てこもるのには適さない。窓から狙撃されるのは面倒だし、火矢でも撃ち込まれたら対応できない。なにより、狭い場所では俺たちの数の有利と射程の広さという利点が消えてしまう。遠目に、確実に狙撃できるポイントで待ち構える方が得策だ」


 相変わらず、理路整然としている。クロダのこういった冷静な分析力とプランニング力をヒジカタは高く買っていた。


 クロダは続けて説明しようとしたが、めまいでもしたのか、口を噤んで目をつぶった。それをヒジカタが引き継ぐ。


「いいか。タケル。戦い。特に銃撃戦は高所にいるやつが圧倒的に有利なんだ。隠れやすく見つけやすく狙いやすい。低所のやつはそう簡単には形勢を逆転できねえ。ただの坂道が天然の城壁になるんだよ」


 タケルは一応納得したらしく、「なるほど」と頷いた。


 クロダが持ち直して、声を張る。


「女の足だ。まっすぐ山を登って来たとしても、あと一時間はかかる。それまでに各自準備をする」


 クロダはパン!と手を鳴らして叫んだ。


「Get ready for the fight! 戦いに備えろ!」


 そのクロダの一言で、三人の男たちは一斉に動き出した。








 ヒジカタという男の根本は一人のガンマニアである。


 単に金を稼ぐために人を殺める仕事に従事しているクロダと比べ、ヒジカタは娯楽として仕事をしている側面が大きかった。定型文を使うなら、趣味を仕事にしたと言ってもいい。


 とはいえ享楽的な異常殺人鬼というわけではないとヒジカタ自身は自己分析していた。ヒジカタは突き詰めてしまえば一人のガンマニアだ。ヒジカタはまだ幼い頃から銃という存在に心引かれていた。子どもの頃はありとあらゆるモデルガンを集めていじくり回してすごした。そうしていると、本物の銃に触ってみたくなる。まともな人間なら、それでもモデルガン収集で満足する。もしくは海外旅行で射撃体験を申し込むぐらいが関の山だろう。


 だが、ヒジカタはまともではなかった。裕福な血筋であることも都合良く作用し、海外の大学進学を機会に外国籍をとり、自分だけの本物の銃を堂々と所持するようになった。


そして、銃を触っていると、自然と撃ってみたくなる。当然の心理だろう。ヒジカタは毎日のように射撃場に通った。


 そしてヒジカタは動かない的を撃つのにすぐに飽いた。


 次に狩猟を始めた。貯金をすり減らしてまで狩りに明け暮れた。


 そして、ヒジカタは動物を撃つのにも飽いた。


 ヒジカタが動物ではない「動く的」を求めて紛争地帯を巡り始めるのにそう時間はかからなかった。


そこで出会ったクロダに、日本に帰ろうと提案したのは意外な事にヒジカタの方からだった。


 紛争地帯での仕事も悪くは無かった。明らかに格下の相手を仲間とともに嬲り殺すのがヒジカタの主な仕事だったからだ。敵は大抵非武装だったし、ほとんどの場合は逃げ回る相手を背中から撃った。だが、時には危険を多少なりとも伴う仕事もあるはあった。ヒジカタは別にやるかやられるかの戦争がしたかったわけではない。したいのは「的当て」だ。無駄なリスクは減らしたかった。


 そんな時、日本の裏のビジネスで、楽な仕事があると聞いたのだ。逃げ惑う人間を殺してその様を撮影するだけの簡単な仕事。ヒジカタにはとてもいい話だった。ヒジカタは的になってくれる人間がいれば何でも良かったのだ。リスクがより低く大金が稼げるならと、誘われたクロダとしても断る理由がなかった。




「なあ。タケルよ」


 ヒジカタは愛銃を肩にかけ、大きなコンテナを両手で抱えながら山道を歩いていた。


 話しかけられたタケルは同じくコンテナを抱え、重さにひいひい言いながら必死にヒジカタの後を追ってきていた。背には手作りの大きな盾を亀のように背負っている。


「歴史上、最も人を殺した銃がなんだか知ってるか」


 タケルは息も絶え絶えに答えた。


「し、知ってるよ。AKでしょ」


 流石にその程度のうんちくはあるのか。中途半端な学歴を鼻にかけているだけはある。


「ああそうだ。AK-47。カラシニコフ。その耐久性、構造の単純さ、安価な値段。世界中にコピー品が出回った。何人がそのせいで死んだか、わからんらしいぜ。まだ今も死に続けてるからな」


 ヒジカタは明るい調子で続けた。


「じゃあ。第二問だ。俺が傭兵として行ってたとある国でな、悪魔の兵器と呼ばれてた代物がある。なにかわかるか」


 タケルは突然始まったクイズに戸惑いながらも答えた。


「か、核兵器とか?」


 ヒジカタはにやりと笑って「地雷だよ」とタケルを振り返った。


「どこに埋まってるのかわからねえ。踏んだらおしまい。世界中に今も一億個以上の地雷が埋まってるんだとよ。正確な数はもちろんわからねえ。埋めた本人たちもどこに何個埋めたかわからなくなる代物だからな」


 ヒジカタは足を止めた。「ここらがいいな」そう言ってドサリとコンテナを置く。


「ここに、悪魔をしかける」


「は?」


 タケルが自らが抱えたコンテナを見つめて狼狽する。


「え? これ、地雷なの?」


 ヒジカタは笑った。


「安心しな。流石に日本の山中に火薬仕掛けたりしねえよ。それに、そんなことしたらお客さんが興ざめだろ。これは戦争じゃねえ。」


 そう言ってヒジカタは側頭部につけた小型カメラをコツコツ指で叩いた。


「あくまでも狩りなんだから」








 クロダは茂みの中に身体を完全に入れ、腹ばいの状態でライフルスコープをのぞき込んでいた。8倍率に設定したスコープの先には、砂利が敷き詰められた車道がある。


 一本道。両側は岩の天然の壁。このコースを選び、ここまで進んでしまったらもう逃げ場はない。


 距離はクロダが隠れている高所の茂みから約八十メートル。クロダなら外さない距離だった。


 クロダは殺すことで生きてきた。そこに楽しさも快感もない。快楽殺人嗜好のベンケイともヨシツネとも根本から考え方が異なる。「動く的当て」感覚で人間を狙うヒジカタとも違った。いかに効率的に確実に人を殺すか。それを突き詰めることで金を稼いできたし、クロダにはその才能があった。


 時折思う。他の道もあったのではないかと。確かに妙な才覚はあったが、別にそれを伸ばさずとも、もっと陽の当たる生き方があったのではないかと。だが、結果としてクロダはこの道に一歩踏み入れてしまったし、この世界はその一歩踏み入れた足を引き抜くことを決して許してはくれなかった。ずぶずぶと前に進むしか選択肢は無かったのである。


 車道を覗く視界がぼやけた。ちらほらと振ってきた雪がスコープに落ちたのかと思ったが、すぐに気づく。自分の目の問題だ。


 疲労がピークに達していた。ここ二日間、ほぼ徹夜である。一時も気が休まらなかった。気分は勿論、優れなかった。心なしか動機も激しい。まあ、その極度に緊張している精神状態には心当たりがあった。


 何者なんだ。あの女。


 このマンハント、人間狩りは、正直もっと命の値段の安い国でやる方が簡単だ。適当に内乱でも起こっている国の、戸籍も無いような奴らを攫って、どこか外国の敷地に閉じ込めて追いかけ回せばいい。


 だが、それでは売れない。


 この平和な国、日本でやることに意味があるのだ。国民全員が平和ぼけしている。知らず知らずのうちに弱者を搾取することに慣れ、見えもしない。気づきもしない。そんな日本人が突然命を狙われ追いかけ回される。自らの運命を信じられずの泣き叫び、逃げ惑う。その様を見るために金持ちたちは金を出すのだ。


 この山を狩り場にすることを上に提案したのはクロダだ。もともと自殺が多い場所ではあったが、クロダたちが自殺スポットだという噂を大々的に流した事で、まともな登山客は激減した。反比例するように、クロダの読み通り、死んでも消えても誰も探さないような獲物が次から次へと転がり込んできた。彼らは自殺するつもりでこの山に来たにも関わらず、いざ殺されるとわかると必死に逃げ惑った。その矛盾がマニアたちに大いに受けた。


 クロダは何人も殺した。その中には当然のように女性も含まれた。罪悪感を全く覚えなかったわけではない。だが、仕事は仕事と割り切ることがクロダには出来た。それが才能があるということなのだ。そして仕事として淡々と弱者を殺してきたクロダだからわかった。


 あの女は異常だ。


 あれはどう見繕っても弱者などではない。


 始め、タケルが送ってきた映像を見たときはなんとも思わなかった。ただの自殺志願者の女。どこにでもいる、くたびれた目をした女だった。むしろちゃんと取れ高があるぐらい逃げ回ってくれるのか不安だったぐらいだ。


 とんでもない。あっという間に二人やられた。しかも女は、肩を撃たれ、雨の中を追いかけ回され、この寒さの中、二日間隠れ潜んだ上でだ。


 そしてあろうことか、俺たちまで殺そうとしている。


 兎なんてとんでもない。なんて擬態だ。


 翁の蛇の話が否応も無く思い出される。


『やつらは噛まなかっただけなのだよ。戦わなかっただけじゃ。やつらが戦おうと覚悟を決め、噛みつかれ時、人はようやくそのことに気づくのじゃ』


 クロダは自分の左肩を見た。


 包帯に血が滲んでいる。それどころか、上のシャツにまで染み込み始めていた。


 血が止まらない。


 ヒジカタの処置は完璧だったはずだ。やはり大きな血管が傷ついていたのだろうか。


 体調が悪い。上着の上からレインコートを着ているのに寒くてたまらない。悪寒がする。


「・・・・・・Fuck.」


 クロダは頭を振った。余計な事を考えるな。考えるのは、あの女の頭を撃ち抜いてからでいい。


 クロダは気合いを入れ直し、スコープを覗き直した。




 その時だった。山の反対側から、銃声が響いた。








「それ、なんて銃っすか」


 登山道と岩場、どちらにもすぐ駆けつけられるように山頂付近の分かれ道の木陰に黙って身を潜めていたヒジカタとタケルだが、タケルが沈黙に耐えかねたように言った。


「ウィンチェスター」


 ヒジカタは愛銃のウィンチェスターM94の右側面の開口部に30インチのライフル弾を押し込みながら答えた。


「どうやって撃つんすか」


 ヒジカタは片方の眉を上げた。だがすぐに苦笑した。ガンマニアの自分からしたら当然の知識でも、一般人からしたら興味すらわかない。これは全ての趣味に共通することだ。だからヒジカタは説明してやった。


「この持ち手のところがレバーになってるんだよ」


 そう言ってガチャリとレバーアクションをして見せる。


「西部劇で見たことあるだろ」


「ああ。あれっすね。クルッて手の中で回転させるやつ」


 ヒジカタは鼻で笑った。


「スピンコックか? あんなのアニメや映画の中だけだ。実際にやったら途中で暴発して自分の身体に当たるのが関の山さ」


 タケルは「そうっすか」と呟きながら、操作していたコントローラーに目線を戻した。ゲーム機で遊んでいるように見えるが、そのコントローラーに備えられた画面には、岩場の斜面の上空からの映像が映し出されていた。


 ヒジカタは首を伸ばして岩場の方向に目をやった。上空に大きく旋回する鳥の姿が見える。いや、正確には鳥ではない。鳥を模したドローン。通称バード。


「よくできてるなあ。あれ」


 ヒジカタは呟いた。盾の時とは違い、本音だった。遠目に見ると本物の鳥にしか見えない。


「じっくり見られると、全く翼動いてないんでバレそうなもんですけどね。背中のプロペラで飛んでますから。まあ、オートモードで旋回してる分にはけっこう似てるでしょ」


「どうだ。女は来てるか」


 タケルは目を細めてコントローラーの画面を凝視した。


「多分、まだ」


「多分って何だよ」


「この画面、画質が悪いんすよ。だから小屋のデスクトップパソコンの方がよかったのに」


「しょうがねえだろ。無線機使えねえんだから」


「周波数を変えたらいいじゃないですか。8チャンネルぐらいありましたよね」


「相手はトランシーバ―二つ持ってんだぞ。山勘で合わせられる可能性がある」


「用心深いなあ」


 そこで会話が途切れた。ヒジカタは腰から拳銃を取り出した。小ぶりのリボルバーだ。シリンダーを開けて弾を確認する。8発。予備の弾はない。


 ウィンチェスターがある。出番はないだろうが、念のためだ。


「・・・・・・あの、翁ってじいさん。なんなんすか」


 タケルがまたしゃべり出した。


 おしゃべりなやつだ。黙ってろ、とはヒジカタは言わなかった。戦闘を目前に控えた人間の中には緊張に耐えきれずに饒舌になってしまうタイプが一定数いる。タケルもそうなのだろう。


「あのじじい、なんであんな大金持ってるんですか」


 タケルが胡乱げな目つきをしていた。金が絡むと人格が変わるらしい。


 ヒジカタはため息をついた。こいつ、さっき銃を向けられてちびりかけていたのを忘れたのか。喉元過ぎれば熱さ忘れて失敗を繰り返すタイプなのだろう。


「噂だがな。翁は人を殺すことしか興味がないから、報酬をもらってもほとんど使わないらしい。それがたまりにたまってあのリュックだそうだ」


「なんでそんなもん持ち歩いてるんですか。盗ってくれって言ってるようなもんすよ」


 ヒジカタはペッと唾を地面に吐いた。


「だからだよ」


 タケルが首を傾げてヒジカタを見る。その呑気な顔にヒジカタは言った。


「銃を撃つ機会をずっと探してるんだよ」


 タケルの顔色がすっと青ざめた。ようやく先ほどの出来事を思い出したらしい。


「『心撃ちの翁』。そう呼ばれてる。真打ちじゃないぞ。心臓を撃つで心撃ちだ。スラッグ弾一発で心臓をぶちぬく。見事なもんらしいぜ」


 タケルはぶるりと身震いすると、コントローラーに目を戻した。


 やれやれとヒジカタは肩を回した。


「世間話は終わりだ。いつ女が来るか・・・・・・」


 画面を見つめるタケルが、「あ」と呟いた。


 タケルが顔を上げる。目を見開いたヒジカタと目が合った。


 タケルは言った。




「来ました」


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