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 山の中をけたたましい電子音が反響した。数秒間にわたって続いたその音に、ヒジカタは歓喜した。


 あの女、かかりやがった。


 ヒジカタとタケルが登山道に無尽蔵に設置したトラバサミには、全てブザーが仕掛けられていた。作動した瞬間、それを仕掛け人に教えてくれるのだ。


 ヒジカタはリボルバーのシリンダーを取り出し、残弾数を確認した。


 あと一発。


 十分だ。ヒジカタは笑った。トラバサミにかかった兎など。一発で十二分だ。


 ヒジカタは極上の「動く的」を撃ち抜く瞬間を想像しながら、意気揚々と山道を駆け上がった。








 あずさは止まりそうになった呼吸のリズムを、大きく息を吐くことで取り戻した。


 あ、あぶない。


 足下で作動したトラバサミはあずさの足首・・・・・・ではなく、杖代わりに突いていた猟銃の銃床を挟み込んでいた。銃の木製のストックに鋼鉄の牙がミシミシとめり込んでいる。これを足で踏んでいたらどうなっていたか。想像もしたくなかった。


 だが、ぎりぎりの幸運を喜んでいる場合ではなかった。頼りの武器の散弾銃を鉄の化け物にがっしり掴まえられてしまったのだ。トラバサミの外し方をあずさは知らなかった。騒々しいブザーも鳴ったことだし、すぐに敵が来るだろう。


 どうする。








 地雷原に到着したヒジカタが目にした光景は正直予想外だった。


てっきり女の足にがっつり食い込んでいると思っていたトラバサミは上下二連式散弾銃の銃床に食い込んでいた。


 そして女はと言うと、その猟銃を未練がましく引っ張っていたのである。


 実に間抜けな光景であった。


 女がヒジカタの存在に気がつき、顔を向ける。そこにすかさず、ヒジカタは弾を撃ち込んだ。不意を突いた。仕留めた。そう思った。


 だが、違った。女は予想していたのであろう。ぱっと銃身を離した勢いで背後に転がって弾を回避した。そして起き上がると同時に肩にかけていた弓を構える。驚くほどの速度で矢をつがえる。


 しかし、ヒジカタは焦らなかった。林に逃げ込んでいく後ろ姿を見た時から気がついていたのだ。


 弓が、女の木製の弓が、中程でぱっくりと割れていた。


 銃撃戦のさなかで流れ弾、もしくは弾丸で弾かれた岩の破片が直撃したのであろう。辛うじて原型はとどめているものの、とてもじゃないが弓として機能するものではなくなっていた。女は構えて初めて気がついたようで、呆然と壊れた弓を見つめた。


 ヒジカタも弾を撃ち尽くしたリボルバーを見つめる。


「さて。これでお互い、飛び道具は無くなったわけだ」


 ヒジカタは女のショックを受けた顔に満足しつつ、リボルバーを地面に放ると、ゆっくりと近づいていった。


 女は流石にここまで生き抜いてきただけあり、切り替えが早かった。即座に折りたたみナイフをさっと取り出し、構えた。ヒジカタを鋭く睨み付ける。今にも突っ込んで来そうだ。


「おいおい。気を付けろよ。お前は今、地雷原にいるんだぜ」


 ヒジカタの笑いを含んだその声に、女の動きがぴたりと止まる。慌てた様子で足下を見回す。


 ヒジカタとタケルはトラバサミを急ごしらえで設置したので、冷静に観察すれば落ち葉の膨らみ方などで場所の見当はつくだろう。だが、戦闘中にそこまで冷静になれるものではない。


 この一帯に隠したトラバサミは全部で八個。だが、数を知っているのはヒジカタだけ。女はあと何個隠してあるのかも見当がつかないだろう。


 対して、ヒジカタは落ち着き払っていた。大体の設置場所を把握しているので当たり前だ。


 ぴょんぴょんと飛びながら地雷原に入る。その際、何も仕掛けられていない場所の上でもあえて飛び上がることで、女の目を混乱させる。


 目論見通り、女は安全な踏み場に確証が持てず、ナイフを持ったまま一歩も動けずに目を右往左往とさせていた。


 だがやがて、女はヒジカタをまっすぐ睨み付け、ナイフを腰だめに構えた。


 なるほど。俺が近づいてくるのを待って、引きつけて、一撃に全てをかけるつもりか。


 かっこいいねえ。


 だが、ヒジカタは女の方には向かわなかった。女を挑発するように飛び回りながら、あずさが放置した猟銃の方に向かう。


 ヒジカタの意図がわかったのだろう。女の目が見開かれた。


 ヒジカタはその表情を横目に、猟銃の前でしゃがみ込む。見せつけるようにして猟銃のトラバサミのスプリングを解除した。


 女が唾を飲み込む音が聞こえた。


「なんだよ。ほしいなら取りに来いよ」


 ヒジカタはゆっくりとあえて時間をかけて女に猟銃を向けた。銃床に頬を当てて、構える。


 トラバサミの隠された脅威の前に、女は移動できない。つまり攻撃は勿論、回避すら出来ないのだ。


 女が絶望の表情を浮かべる。


 その顔を見て、ヒジカタはこれ以上無い愉悦を感じた。


 これだから、的撃ちはやめられないんだ。


 ヒジカタは、引き金を引いた。


 爆音が鳴り響いた。


 文字通り、爆音であった。








 ヒジカタは尻餅をついたまま、呆然としていた。


 鳴り響くブザー音で我に返る。


 あれ? 何が起こった?


 頬を生暖かいものが伝った。顎から滴ったそれは、ヒジカタのシャツに落ちて赤い染みを作った。


 視界が半分しかない。


 え? 俺の右目、潰れてる?


 ヒジカタは両手を後ろに突き、両足を投げ出して座り込んでいた。自分の膝の上に転がった上下二連式散弾銃を見る。銃身が勝手に折れ、煙が出ていた。


 何が起こった。暴発? なぜだ。


 ポトリ。宙を舞っていたのだろうか。一枚の金属片が地面に落ちた。ヒジカタと女の間に転がる。ぐにゃりと奇妙に折れ曲がっていたものの、辛うじて円形であることが、あったことが、見て取れた。


「ポケットに入れてたそれが、まさかジャストフィットするとは思わなかったわ」


 女が落ち着いた声で呟いた。


「・・・・・・正直、暴発するかは運任せだったけど、想像以上に上手くいった」


 その言葉でヒジカタは理解した。


 こいつ、銃を奪われることを予想して、薬室にあのコインを詰めやがったのか。


 弾詰まりからの事故。火薬のエネルギーが逃げ場を失ったことによる、銃の暴発。


 本来、弾詰まり程度でここまでの事故が起こるとは思えない。上下二連式散弾銃は堅牢な造りであることに定評があるし、物が詰まった程度の爆発では銃身の留め金は外れないのではないのか。


 だが、実際に起きた。理由はわからない。ベンケイ自作の弾の火薬量に問題があったのかも知れないし、銃自体に欠陥があったのかも知れない。そもそもあのコインは何だ。どこの通貨だよ。


 なんの冗談だよ。




 あずさは混乱する男を尻目に、慎重に足を動かしながらコインのもとに行き、その歪んだ銀色の物体を拾い上げた。


「これね。先輩にもらったんです」


 あずさはコインを見つめた。


「私、昔から本当に優柔不断だったんです。なんにも選ばせてもらえない毎日だったので、仕方なかったとは自分でも思うんですけど。まあ、そんな私に先輩が、迷ったらこれで決めろって、くれたんです」


 そこであずさは笑った。懐かしいなあ。


「ひどくないですか。このコイン、どっちも表なんですよ。ほんと、先輩らしいなあ」


 あずさは一瞬、目が潤むのを感じた。ぎゅっと目を閉じる。


 このコインにはずっと助けられてきた。


 やらなきゃいけないと自分でもわかっていても決断できないとき、行動できないとき、ずっとこのコインに頼ってきた。このコインを回して、表が出れば、勇気が出たから。そうすれば三島先輩に背中を押してもらったような気持ちになれたから。


 でも、もう大丈夫。


 私はもう、自分で決断できる。自分で、決められる。


 あずさは目を開いた。


すっと、座り込んで狼狽しているヒジカタに目を落とす。体温を感じさせない、冷たい目で。 


「ところで、その右腕、大丈夫ですか?」 




「え?」


 ヒジカタは後ろ手についた右手を引き寄せようとした。だが、動かない。右腕が動かない。


 そして気がついた。さっきブザーが鳴っていたことに。


 ヒジカタはゆっくりと振り向いた。暴発の反動で尻餅をついた際に、思わず地面についた右手を見る。右目が見えないので、左目で確認出来るぐらい、深く、振り向いた。


 鋼鉄の悪魔の牙が、ヒジカタの右手首をくわえ込んでいた。


 今日、何度目かの悲鳴が山中にこだました。




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