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「だめだ。見つからねえ」
黒いバンの運転席から降りたヨシツネは吐き捨てるように言った。助手席からはベンケイが無言で降りてくる。
クロダはため息をついた。寝不足の目をこする。なぜ死にかけのOL一人、こいつらは見つけられないんだ。
You useless idiots. 役立たず共め。
そうぼやきたくなるのを押さえ、クロダは肩越しに背後の扉を指さす。
「ご苦労。一旦、中に入れ」
クロダを先頭に、ドカドカと家の中に入る。この家はベンケイとヨシツネが普段待機している山小屋ではない。もっと山の上。山頂にほど近いところにある。この家の裏手の石階段を上れば、朽ちかけた神社があり、そこが山頂だ。この家は昔神主が寝泊まりしていた社務所兼住居である。
今は彼らの根城、言うなれば本部だ。
広いリビングには大きなテーブルが置かれており、その周りの椅子にベンケイとヨシツネはドカドカと座った。
壁沿いに長机が並べられその上に三台のデスクトップパソコンと一台のノートパソコンが置かれている。その画面をタケルが欠伸をしながら眺めていた。
「おい! ちゃんと見てたんだろうなあ!」
ベンケイがタケルに怒声を上げる。苛ついている。無理もあるまいとクロダは思った。ベンケイの顔の皮膚は火傷でただれ、随所の皮がむけている。もともとはもじゃもじゃだった髪も今はちりちりになり、見る影もない。首元の複数の水ぶくれも痛々しい。じっとしていても相当痛むだろう。
怒鳴りつけられたタケルは目に見えて怯えた。肩をびくつかせ、ちらりとクロダに助けを求める視線を送ってくる。
「ああ。見てたよ。俺も一緒に見張ってた。あの女は車道には出てきていない。他の道にもな」
タケルの前にある三台のデスクトップパソコンには、リアルタイムの監視カメラの映像がいくつも映し出されていた。タケル百貨店沿いの道路は勿論、森を出る際に通らざるを得ない全ての経路に監視カメラが設置してある。昨夜からタケルと交代でずっと見張っているが、小動物の姿しか映らなかった。
「あの兎は、確実にまだ森にいる」
ふんっとベンケイが鼻を鳴らした。
ヨシツネが言う。
「もう、死んでるんじゃないのか? 急所じゃなかったにせよ、弾が一発当たってるんだし」
ヨシツネの行った止血は応急手当程度のものだったという。それでは血は完全に止まらないだろうから、出血多量でどこかに倒れている可能性は高い。そもそも昨日の雨の一夜を越せずに凍死していてもおかしくない季節だ。
「だが、だとしても死体は見つけておかなければ。登山客にでも見つかったら面倒だ」
ヨシツネが「あーあ」とため息をついて天井を見上げた。
「牡鹿くんの再来じゃねえか。めんどくせえなあ」
牡鹿。先月のターゲットの一人。矢を二本もその身に食らっておきながら、行方をくらませた。その時は今と同じようにメンバー全員が血眼で探したが、結局死体すらいまだ見つかっていない。あの傷だ。生き残れるはずはない。どうせ遺体は野生動物に食われたのだろうと結論づけて探索は打ち切られた。
「あの牡鹿の件があったからよお。発信機つけることになったんじゃねえか。それが壊れるってどういうことだよタケル!」
またしてもベンケイがタケルを恫喝する。タケルはまた身を小さくする。
「機械いじりしか能がねえんだろうが! ちゃんと自分の仕事をしやがれ!」
タケルは「だ、だって」と床を見ながら呟いた。ベンケイの顔をまっすぐ見られないのだろう。すぐ大口を叩くくせに意気地のないやつだとは思っていたが、これは相当だなとクロダは呆れた。確か、投資に失敗して借金漬けになり、ここに流れてきたんだったか。
「ああ?」
すごむベンケイにタケルは床を見たまま、ぼそりと言った。
「君たちが、川になんて、落とすから」
ベンケイが猛然と立ち上がり、側の椅子を蹴り飛ばした。ずかずかとタケルに迫り、胸ぐらを掴む。タケルが「ひっ」と声を上げた。
「俺たちのせいだって言うのかあ? ああ!? 防水処理ぐらいしとけやあ!」
「し、した! したよお! 防水なはずなんだよ。でも、壊れちゃったもんはしかたないじゃないか」
タケルは涙目になりながら言い返した。目線は相変わらずそらしていたが。
クロダは「やめろ」と鋭く言った。ベンケイが手を離す。タケルはパソコン前の回転椅子に崩れ落ちた。
「そもそも、ベンケイ、ヨシツネ、お前らのミスだ。タケルはお前らに引き継ぐまで、兎の位置を正確に掴んでいただろう。下手をうってまんまと逃げられたのはお前らのせいだ。違うか」
ベンケイはクロダを睨み付けたが、口を歪めるだけで何も言わなかった。返す言葉がなかったのだろう。
「そ、そうだ! 君たちがあいつを逃がすから、僕は顔をこんな風にされたんだぞ!」
タケルはクロダに味方をしてもらえると思って調子に乗ったのか、鼻先に巻いた包帯を指さして叫んだ。ベンケイがうなり声を上げる。
「なんだそんな傷! 俺の火傷を見てから言いやがれ!」
クロダは頭痛がしてきそうだった。一人の女、少女と言っていいほどの年端も行かぬ女一人につけられた傷を競い合うとは。情けないことこの上ない。
「楽しそうじゃのう」
ぞっとする不気味な声に、リビングの全員が口をつぐんだ。おそるおそる部屋の隅を見る。
小柄な老人がそこにいた。カーキ色のポンチョを身にまとい、重そうな皮のザックを床に置き、その上にちょこんと座っている。
さっきまでいなかったろう。いつの間に。
「血の気が多い若もんは嫌いじゃないぞい」
そう言って老人はニタニタと笑った。目がどれかわからなくなってしまいそうなほど皺だらけの顔。その歪んだ笑顔を絶やさない面相から、誰からともなく、人は彼のことを「翁」と呼び始めた。
「だがのお。いいのか。そんなに悠長にしておって」
翁の細い肩には黒い棒が立てかけられるように乗せられていた。翁の風貌からまるで杖に見間違いそうなそれは、銃口を上にした一丁の猟銃だった。滅多に見ることがない、水平二連銃。その横に二本並んだ銃身は黒光りしており、木の銃床は垢がすり込むまで使い込まれ、艶めかしくつややかだった。
「そろそろ、定期連絡せねばならんぞ」
翁は一際、にたあと笑った。節くれ立った、妙に長い人差し指を不気味な笑顔の前で天井に向けて突き立てる。
「上に」
クロダは生唾を飲み込んだ。タケルも、ヨシツネも、ベンケイですら、何も言わない。言えなかった。タケルを除いた三人は、端くれでも人を殺すのを生業にしている。だから、だからこそ本能的にこの男には勝てないとわかった。わからされた。
それほどの戦力差が翁との間にはあった。
始めに声を取り戻したのはクロダだった。
「わ、わかってる。・・・・・・翁」
クロダは声が裏返らないように努めながら言った。
「俺から、上には話す。あとで、電話を貸してくれ」
この山から外部へ繋がるスペックを持つ通信機器は一つだけ。翁が常に懐に入れている衛星電話だけだ。
「・・・・・・よかろう。儂は元来、電話は苦手でな。その方が助かるよ」
そう言うと翁はすっとクロダから視線を外した。ニタニタとした表情はそのままだが、物思いにふけるように虚空を見つめ始めた。その瞬間、リビングの全員を押さえつけていたプレッシャーが霧散した。
あれほどの圧力、殺意とも言っていいほどの覇気をこうも見事に消すことができるのか。このじじいは。
底が見えない。
「そ、それはそうとタケル」
気を取り直そうとしたのか、ヨシツネが椅子の背もたれに寄りかかりながら言った。
「あの兎ちゃん、いつもの幻覚剤は食ってねえのか」
タケルは翁に釘付けになっていた怯えた目線をはずし、頷いた。
「あの子、お茶もおにぎりもパンも買わなかったからね。幻覚剤はもれなかった」
「ポテチを買ったんじゃないのか」
「ああ。あれね。ポテチには実験がてらに超強力なやつを結構な量をまぶしてあるんだけど、食べたらさすがに味の違いと匂いで、一口でばれるね。一口で十分ぶっとぶぐらいのやばいやつなんだけど。たぶん、しばらくは夢の中に行っちゃうぐらい。まあ、そもそもは火に炙って煙を吸うタイプなんだけどね」
ヨシツネが「へえ」と気のない返事をする。
「随分、しっかりとした足取りで走り回ってたぜ」
「じゃあ、ポテチも不発だったみたいだ」
「ヒジカタは何してんだよ!」
ベンケイが八つ当たりするように叫んだ。翁にびびった自分に悔しいのだろう。
クロダは頬をこすりながら「寝てるよ」とだけ答えた。
「まだ、俺の出る幕じゃない、そうだ」
ベンケイは「くそ。気取りやがって」と床に唾を吐いた。
クロダはその行為に眉をひそめながらも、自らを律し、リーダーとして目一杯の張りのある声を出した。
「ヨシツネ! ベンケイ! お前らはいつもの中腹の山小屋で待機だ。いつでも出れるように準備していろ」
ヨシツネが「車は?」と問う。
「置いていけ。万一、奪われたらそれで逃走される」
「んなこと、おこるわけねえだろう! なめんな!」
ベンケイが怒鳴る。その火傷だらけの顔を、どの顔でそれを言うんだと思いながらクロダは睨み付けた。
「命令だ」
次にクロダはタケルに目を向けた。
「アレはもう出せるな?」
タケルはコクコクと頷いた。
「ああ。充電も終わったと思うから」
「よし」とクロダは声を張った。
「さっさと終わらせよう。全部すんだら、麓の街で焼き肉を奢ってやる!」
翁がカラカラと笑った。
「それは楽しみじゃのう」
あんたは連れて行かねえよ。
「さあ! 配置につけ!」
ヨシツネとベンケイはそれぞれの武器を持ってリビングを出た。タケルも別の部屋に駆ける。
「さあ、せいぜい気張れい。わっぱ共」
翁が唄うように言った。実に愉快そうに。
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