9-6
〈サー!〉
刺した本人がメイスを胸から抜き、叫んだ。
メイスが抜かれると共に、鮮やかな赤が弧を描く様に飛ぶ。
春雪はそんなメイス使いの頬に、鋭い回し蹴りを決めた。
そして崩れ落ちたメイス使いの胸を左足で押さえながら、二本ある帯のうち飾り帯でない方を解き、それでメイス使いの両手を縛りその反対側の端で両足を縛りあげた。
一方直也とカイルはフード男の行動に驚き一瞬固まっていたが、次の瞬間カイルは慌てて崩れ落ち仰向けになっているフード男の顔の脇に膝を着き、フードを上げた。
顔には目鼻を覆い隠す黒いマスクあったが、カイルは震える手で、しかしためらわずにそれを引き上げた。
そこには、カイルそっくりな顔の、黒髪の男がいた。
〈父さん……〉
カイルが呆然と、呟く様に言った。
しかし次の瞬間、胸を潰す様な勢いで傷口に手を当て、溢れ出る血を止め様とした。
〈すまない、カイル……〉
掠れた声でカイルの父、シラベは言った。
離れた所で交戦していた御犬が、カイルが調停試合で使っていた様な銀の鎖に両手両足を縛られたサーベル使いを引き摺りながら、直也達の元へとやって来た。
御犬は無傷だか、サーベル使いの両頬には拳型の赤い痕があり、切ったのか口から血を垂らしている。
〈何で何で……父さん!〉
カイルはルッサ語で叫んだ。
〈カイル……すまなかった……本当に、すまなかった……〉
シラベは荒い息の中、しぼり出す様に言った。
〈シラベしゃべるな! 傷に響く〉
カイルと同様驚き焦った様な御犬が、カイルとは反対側、シラベの左側から言った。応急処置をしようと傷口を見ながら。
一瞬御犬は細い眉を寄せ顔を歪めたが、すぐにカイルの手をどかせ自分の手で傷口を覆った。
春雪は真剣な顔で携帯電話を耳に当て、電話の相手がでるのを待っている。
電話を持つ左手には、見慣れない小手が着けられていた。
直也はそんな状況に、動く事ができなかった。
何もできない自分のふがいなさで氷の様に冷たい泥が肺の中に入った様に息苦しくなっていた。
〈父さん、父さん!〉
カイルはそれしか言えなくなった様に、手をシラベの血で真っ赤に染めたままシラベの右手を握っていた。
〈カイル……〉
言いかけ咳き込むと、シラベの口からごぼりと血が溢れ出た。
顔からは血の気が抜けていく。
〈カイル……〉
シラベは重そうに頭を微かに動かすと、焦点の合わない目でカイルを見た。
〈父さん、しゃべらないで。こんな傷すぐふさがるから!〉
〈父さんは……カイルを、エリザを、ずっと愛していたよ〉
それを聞いてカイルは泣き顔をさらに歪め、むせび声で叫んだ。
〈じゃあ、なんで裏切ったんだよ!〉
〈一日も……思わない日は、なかった……エリザ……エリザ……どこに……〉
焦点の定まらない目で、カイルを透かして後ろの本棚を見る様にシラベは言った。
〈父さんが、できたのは……あれしか、なかった〉
シラベは音もなく涙を流した。
〈スリラの、いいなりに……なるしか、エリザとお前を守る方法、が、なかった……父の、敵に、すがるしか……許して、許してくれ……〉
なおも許してくれと言い続けたが、その声はどんどん小さくなっていった。
〈エリザ……どこに……〉
急にばたばたと数人の足音が聞こえたかと思うと、君嶋、遊馬、笠間が駆けこんで来た。
遊馬は仰向けで自らの血溜りに浸っているシラベを見ると、すぐさま御犬と場所を代わった。
アルコール臭のする脱脂綿の様な物で手を拭くと、御犬に代わり傷に手を当てた。
御犬も遊馬も何も言葉を発しなかったが、二人はまるで申し合せたかの様に動いた。
「どぉ、間にあった?」
君嶋が遊馬ではなく春雪に聞いた。
遊馬は目を閉じ、力を込める様に両手を強張らせている。
〈おそらく〉
春雪はほっとした様に息を長く吐きながら、エスラペント語で言った。
「まったく運がねェ奴等だぜ」
賊の顔を確認し様と、笠間が縛られ転がされているメイス使いを足で転がしながら言った。
「Ⅰ種仲裁出場者の訓練中に騒ぎを起こすたぁな」
「『賊だ』って叫んだっきり、御犬の奴場所も言わずに走り出すから、途中で見失って迷っちゃったじゃない!」
君嶋が大声でぼやいた。
「で、原因はそれか」
笠間が、縋りつく様に直也が胸にかかえている『すっごく楽しいルッサ語』とカイルを見て言った。
「ルッサか……まったく、面倒臭ぇ事を……」
〈父さん!〉
カイルが叫んだ。
シラベの目には力がなく、瞼はほぼ閉じられていた。
床を染める血溜りはどす黒く変色していた。
〈……エリ…ザ……カイ……〉
カイルの声に応え様と口を震わすが、それは微かな擦れた様な音にしかならなかった。
その時、ようやく覚悟が決まったかの様な表情で御犬がシラベの側に片膝をつき、シラベの耳元に何か囁いた。
それはカイルと直也の耳にも辛うじて届くほどの小声だった。
「エリザは御犬の家で匿っている。正式な亡命ビザをとる前だから身の安全のため黙っていた。……すまない」
シラベの目が見開かれ、微かに光が戻った。
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