9-3
直也はギャビン・ウラージオイヌの書の在り処を伝え様と、すぐに寮の電話からカイルの携帯に電話をかけた。
「――だからあの本がカイルのソフの本なんだよ!」
カイルは直也の興奮気味な説明をずっと黙って聞いていたが、最後にぽつりと「イマからホンをミにイきます」と言うと電話を切った。
一方的に切れた電話に一瞬むかっとしたが、それどころじゃないと直也もそのまま図書館へと駆け出した。
時計を見ると、二十二時三十分を指していた。
もうとっくに寮の門限を越えていたが、それは直也の頭からはすっかり抜け落ちていた。
直也が息急き切って図書館の前に着くと、一階のセキュリティゲートと書籍自動貸出機のあるカウンターを除いて灯りは全て消えていた。
図書館は二十四時間開いているが、二十時以降は一度電気が全て消され、使用者がいる階だけその人が動くと自動的に点く様になっている。
図書カードをかざすとゲートが開き、直也はどたばたと音をたてながら図書館に入った。
ルッサ語コーナーのある地下一階に向かうにつれ、自動的に部屋の電気が点いていった。
階段を駆け下りると地下一階の電気はまだ点いていなかった。
(カイルまだ着いてないんだ)
直也は思った。
(留学生会館の方が寮より遠いもんな)
直也は先に本を見付けておこうと思い、前に本があったルッサ語の棚をざっと見たが、見当たらなかった。
(あれ……おかしいな。前ここにあったのに)
もう一度じっくり探そうと棚に目を戻したところで、ザザッと軽い駆け音がしたかと思うとカイルが現れた。
「ホン、ホンはどこですか?」
直也はカイルの格好を見て仰天した。
いつもは堅苦しいルッサの学校の制服の様な物を着こんでいるのに、今カイルは小学生でも着ない様なスパイスレンジャーのティシャツによれよれで柔らかい生地の半ズボンをはいているのだ。
「カイル、スパイスレンジャー好きなん?」
一瞬本の事を忘れて直也は聞いた。
カイルはそれでようやく今の自分の服装に気付いた様にティシャツの下の方を引っ張りながら見ると、口をへの字に曲げ『しまった』という顔をした。
「チガいます! これはトモキがくれたのです。イッショにカイモノにイったトキ『フルガのニンキモノ』だとイい、ムリヤリカってオシツけたのです。ケッしてボクのコノみではありません!」
あまりの勢いに押され、直也はただ「ああ、そうなんだ」とだけ言った。
カイルは鼻息荒く、照れ隠しの様に言った。
「そんな事よりもホンです!」
直也ははっとし、本の事を思い出した。
「ここにあったよな? けど見当たらないんだよ」
カイルは何も言わずに直也の左側に並び本棚に貼り付く様に目を走らせた。
本棚の三つ分のルッサ語コーナーをカイルは二度確認した。
「ありません」
焦りのためか、怒った様にカイルは言った。
直也もおかしいと思いながらもう一度探した。
「おっかしいなー、今日ちゃんと返したのに……」
直也は「すぐに借りられちゃったのかな?」と続けて言おうとしたが、それはカイルの叫びに遮られた。
カイルは弾かれた様に勢いよく直也の方を振り向き言った。
「ヘンキャクダナ!」
はっとし頷くと、カイルと直也は同時に一階の返却棚目指して走り出した。
階段を上がった一階カウンター脇に、返却された本が所定の場所に置かれる前に一時的に置かれる返却棚がある。
先に着いたカイルが、返却棚の両枠に手をかけ、走って来た勢いを殺す様に止まった。
直也もその脇で踏ん張り止まると、カイルの後から覗き込む様に本の背表紙を見詰めた。
「ありました! 『
カイルがすっごく楽しいルッサ語を棚から抜き出し言った。
「これが、これが……このホンが……こんなトコロに……」
カイルは色々な感情が一気に溢れ出すのを堪えるかの様に本を握り締め、顔を伏せ小さく震えた。
直也はカイルの様子にこれが間違えだったらと急に心配になって言った。
「あ、でも、もしかしたらこの本じゃないかもよ。名前はただの偶然で……」
直也が確かめ様と手を伸ばすと、カイルは察して直也に本を渡した。
カイルはがくがくと首を振って言った。
「いいえ。このホンです。
ソボはトキオリソフのコトをマサとヨんでいました。
どこからマサとイうアイショウがデてきたのだろうとフシギにオモいました。
マサトシからにチガいありません。
おそらくソボがこのカンジをカンがえたのです」
カイルはここで言葉を止めた。
いきなり人影が現われたのだ。
「その本、渡しなさい。先生が預かる」
その男は中肉中背の黒髪で眼鏡をかけ、教師用標準服を着ていた。
腰にはサーベルを下げていたがそれは教師では一般的な事だ。
急な事に直也は何も言えず、ただ突っ立っていた。
「それはとても問題を含んでいる」
少し不思議なイントネーションで男は言った。
カイルがびくりとし、次の瞬間、直也の前に左手を伸ばした。
「いけません、ワたしては! ルッサジンがナゼイマここにいるのですか?!」
「何を言っている? 私はここの教師だぞ!」
男は慌てた様に勢い込んで言った。
直也はカイルと男を交互に見比べた。
カイルは男に視線を合わせたまま「フルガゴにルッサナマリがあります」と言った。
「ウラージオイヌの血がまだ残っていたとはね」
男はあっさり教師の振りを止め、唸る様に言った。
「素直にだまされればいいものを」
男はそう呟くと、腰のサーベルに手をかけ、不自然な程ゆっくりと近づいてきた。
目が大きく見開かれ、直也とカイルを見据えている。
徐に響いたジャッというサーベルが引き抜かれる音を合図に、直也はそれまで固まっていた体をやっと動かせた。
しかし、カイルは全然動こうとしない。
蛇ににらまれた蛙の様に体が強張っている。
「カイル!」
直也はそう叫ぶと、ためらわずにカイルの頬を思いっきりつねった。
「アゥッ!」
奇声と共に、カイルの焦点が直也に合わされた。
「……ありがとうございます。ジュツをウけていたようです」
二人は改めて顔を見合わせるとはっとした様に「カイル、逃げろ!」「ナオヤ、ニゲます!」と同時に叫び、図書館の出入口に向かって駆け出した。
二人が出入口に着く前にドアが開き、標準服に身を包んだ別の男が入って来た。
直也とカイルは一瞬その教師らしき男に駆け寄ろうとした。
しかしその男の手にも銀に冷たく光る銃が握られていた。
「カイル!」「ナオヤ!」
またしても二人同時に叫ぶと、方向を変え本棚の立ち並ぶ奥へと走った。
そのすぐ後ろを不審者達の重い足音が続いた。
命の危機を感じ走りながら直也は「すみません」という言葉を聞いた。
気付くとカイルは直也の横を離れ、一人別の方向に走って行った。
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