9. 招かれざる来訪者
9-1
肌にまとわりつく様な蒸し暑さが続く七月第四週の火曜日午後三時、直也とカイルはすっかり恒例となった語学交流のため図書館の談話室にいた。
少し前から仲養学校は夏休みに入っていたので図書館のその階には二人しかいなかった。
図書館は暑さの中眠りについた様な静けさに満ちていた。
学校が夏休みに入ったため、草野を含むほとんどの寮生は帰省していたが、直也はキリウと一緒に帰るため、教師が休みに入る明日まで寮に残る事にしていた。
カイルはというと、フルガにいられるうちは国には帰らずフルガで勉強を続けるつもりらしい。
今日は授業がないので時間を早めて二時から集まり、さきほどいつもの勉強が終わったところだった。
「ナオヤにおネガいがあります」
カイルは思いきった様な真剣な目で直也を見て言った。
「ボクのはじめのナマエにカンジをあてはめてホしいのです」
直也はそれを聞いてあれっと思った。
前直也がカイルに漢字を書けるのか聞いた時、得意気に『会留(カイル)』とでかでかと書いて見せたのだ。
因みに他の漢字は、難しいのでも読めるが、書けないらしい。
「前に書いてなかったっけ?」
名字は見てなかったかも、と思いながら直也は言った。
カイルは金属的な色をした髪と共に頭を振った。
「ミヨジのウラージオイヌにつけてホしいのです」
直也はまたあれっと思った。
直也は未だカイルの口から名字を聞いた事がなかった。
カイルが祖国や家族の事を話したがらないのを感じてカイルが言い出すまで待っていたのだ。
仲養学校では学業成績上位三十名が掲示板に貼り出されるのだが、いつも十五番以内に入っているカイルの名字はスナンザとなっていたはずだ。
因みにカイルの成績は、理数系科目とエスラペント語だけみると一位だが、古文とフルガ史で大きく平均点を下げていた。
それでもそれら苦手科目の点は、平均以下の成績で貼り出された事もない直也の点数よりもよかった。
「ウラージオイヌって……」
直也は自分でも知っているほど有名なその名字に驚いて言った。
ギャビン・ウラージオイヌは中学の世界史ではルッサ革命で王と共に処刑されたと、フルガ史では歴史に名を残す名家、御犬家の者と結婚し、フルガ心術の存在を海外に広めた者として教科書に載っているくらいだ。
ルッサ貴族として、宮廷魔術士として代々ルッサ王族に使えて来たウラージ家の名実共に次期家長でもあったにも関わらず、御犬恭子との結婚を反対され次期家長の座を他に譲り分家ウラージオイヌを起こした人物。
中学の歴史の先生、ロマンチスト愛子先生が教科書から脱線しながら「家より愛を選んだのよ」そううっとりと言っていた。
そして、去年の対ルッサ戦の原因となる本の著者にして、フルガの至宝、御犬共樹の義理の伯父。
その妻、恭子の妹が共樹の母に当たるのだ。
そう月刊センメツの特集『御犬共樹徹底分析』にも書かれていた。
「ウラージオイヌって、あのギャビン・ウラージオイヌの?」
直也は色んな情報があふれ、よく考えがまとまらない頭で言った。
カイルはその名を聞いて、一瞬青味の強い虹をぐるりと掻き回した様な目を大きく見開いたが、悲しそうに懐かしそうに口元を淡くほころばせ、頷きながら言った。
「ギャビンはボクのソフです。ヒトをタノしくさせるコトがスきな、とてもよいソフでした……ボクもはじめはウラージオイヌでした。
けれど……けれどイロイロなリユウでイマはスナンザにかえられました」
カイルは直也を真っ直ぐ見ながら言った。
「カイル・スナンザのカンジはマチコセンセイがエラんでくれたのですが、ボクはスナンザとイいたくないのです。ウラージオイヌがよいのです」
直也は未だにまとまらない頭を整理するかの様に言った。
「えーじゃあ、御犬先生は、カイルの、えーと……」
「イトコオジです。チチのイトコです。チチのハハのイモウトのコがトモキです」
カイルはすらすらと言った。
直也は従兄弟叔父という言葉をはじめて聞いた様な気がした。
「共樹って呼び捨て!」
直也はそこにびっくりして言った。
「それがフツウです。ルッサでは」
表情を変えずにカイルは言った。
「ふ、ふーん」
国の至宝であり年上の御犬を呼び捨てにできる事に、直也は少し驚いた。
「イジョウのリユウから、ボクはウラージオイヌとイうカンジをシりたいのです」
話しを戻すかの様に、ぴしりとカイルが言った。
「え、いいけど……」
改めて言われて、直也は言いよどんだ。簡単にいいと言ってしまうのもしゃくだった。
「そうだ! 『ベレ ストゥピドゥ』の意味、教えてくれたらいいよ。そしたら俺も考えてやるよ」
カイルは困った様に一瞬その白銀の眉を寄せたが、すぐに言った。
「ワかりました。ハンブンオシえます。よいですか?」
「うんうん、それでヨいよ。教えて!」
カイルは愉快そうに口角を上げて言った。
「ベレは、『すっごく』というイミです」
「へー、すっごく、ねー」
感心した様に言った直也だが、すぐに心の中で『ってそれだけじゃ何思ったのか全然分かんないじゃん!』と突っ込んだ。
そんな一方、ふと『すっごく』なんてくだけた言葉言うなんて、いつも硬い言葉を使うカイルにしては珍しいなぁと思い、そうカイルに言った。
カイルは遠くを眺める目付きで言った。
「ソフはよく、ソボは『すっごく カワイ』とフルガゴでイっていました。そしてイミをキくと『すっごく』というのはルッサゴでベレとオナじなのだとオシえてくれました」
「ふーん」
直也はギャビン・ウラージオイヌがフルガに留学していた事を思いだしながら相槌をうった。
「しかし、カワイのイミはケッしてオシえてくれませんでした。イマならそのリユウがワかります」
カイルはここで懐かしむに口元を緩めて言った。
「ソボはすっごくソフにキビシかったのです。そうキリウセンセイとオナじくらいカワイかったのです。ですから――」
「ちょっと待った!」
直也はカイルの言葉にびっくりして叫んだ。
「キリウ兄ちゃんがかわいい!」
カイルはどうしたんだろうと不思議そうな顔で言った。
「はい。カワイです。イムシツでオコられたトキも、ボクのコオリをカンがえずにトめたトキも――もしかしていたらセンセイをコロしてしまっていたかもしれません――あのトキは、ホントウにカワイかったです」
どんどん深刻な顔付きになっていくカイルを尻目に、直也は笑いをこらえきれず「ぶっ」と吹き出してしまった。
「ナンですか?」
怪訝そうにカイルが見る。
「ぶっ、ははははっ!」
笑い過ぎででた涙をふきながら直也は言った。
「カイル、それ、カワイじゃなくて、コワイじゃん? カワイだと『キュッテ』になっちゃうよ!」
少し間を空けてカイルは耳まで真っ赤になって言った。
「マチガいです! カワイではなくコワイです! キリウセンセイはコワイのです!」
むきになってカイルは叫んだ。
カイルの必死な様子もつぼに入り、数分間直也は呼吸困難になるんじゃないかというほど笑い続けた。
カイルはというと、その間赤い顔のままむっつり黙り、不機嫌そうに直也が笑い止むのを待っていた。
「キがすみましたか?」
そう言うカイルに、また笑いが込み上げてきた。
「ぶっ、く……あははっ」
そんな直也に恥ずかしさで居たたまれなくなったのか、カイルは荷物をまとめだした。
「では! ナオヤ、ウラージオイヌのカンジ、よろしくおネガいします!」
そう談話室の戸を閉めながら叫んだ。
直也はまだ笑いを止められなく机に伏せていたが、了解の印に親指を立てた。
そんな直也を見ると、カイルはまだ顔を赤くしたままずかずかとその場を去って行った。
カイルと別れようやく笑いが収まると、直也は借りっぱなしになっていた本をまとめて返却した。
明日キリウと共に院に帰省するので、その前に返しておこうと思ったのだ。
その日の夕方、直也は寮ではなくキリウと共に夕食を取っていた。
もう何度も上がり込んだキリウの部屋は、狭いながらも居心地のよくいつもどこか懐かしい感じがする。
冬はコタツに早変りしそうな四角く足の短いちゃぶ台の上には、湯気の立つご飯、野菜たっぷりの味噌汁、鰹の叩き、何種かの漬物の小鉢、それに味噌汁碗にうどんが入っていた。
直也は米粒で口を一杯にしながら、最近あった事をキリウに話した。
話してもいいか一瞬迷ったが、今日聞いたカイルの事も話した。
特にカイルがキリウをかわいいと言ったところは、箸を指揮者の様に振り回し大げさに話した。
「――って『すっごくカワイ』んだってさ!」
「直也、行儀悪いぞ! 箸を振り回すな」
苦笑いしながらキリウは言った。
「『こわい』と『かわい』は間違われ易いみたいだぞ。ガールフレンドの事をかわいいなーと思って『こわいー』と言ったら本当に怖くなったとかな」
「ふぅーん」
すっごく面白いと思っていたネタなのによくある様に言われて、直也は少し面白くなかった。
「ところで兄ちゃん、俺、兄ちゃんが仲裁試合に出るって聞いたんだけど……」
直也は包帯が巻かれたキリウの左手をちらちら見ながら言った。
キリウは一瞬鰹に伸ばした箸を止めたが「ああ、出るぞ」ときっぱり言った。
「その手で! 試合何時あんの? それまでに手、治るの?」
直也は呆れた様に、非難する様に言った。
「……あー、十月だ。それまでには治るよ。骨はもうほとんどくっ付いているからな」
キリウは目をきょろきょろさせ言った。
これは怪しい、直也は思った。
「本当に十月なん? 何戦? 何種?」
キリウは急に真面目な顔になり、ぱちりと箸を置き直也を見据えて言った。
「直也その話、一体誰から聞いたんだ? 君嶋か? 笠間か?」
直也はしまったと思った。
以前キミドリから話を聞いた時、仲養学校ではキリウはⅢ種資格しか持ってない事になっているから、キリウがⅠ種持っている事を知らない振りをする様にと、言われていたのだ。
直也が何と言っていいか分からずまごまごしていると、キリウがさらに問い詰める様に言った。
「一体どこまで知っているんだ?」
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