8-5


 水中深くから浮かび上がる様に、声に呼ばれる様に気が付くと、そこは病室だった。

 直也はベッドで横になっていた。


「直也君!」

「ふらふらしないか?」


 直也のすぐ側に、ミツとキリウがほっとした様に微笑んでいた。

 二人は椅子に座りずっと付き添っていてくれた様だ。


 ミツの顔を見て気を失う前の事を一気に思い出し、直也は思わず声をあげた。

「調停! 調停は? 俺負けちゃったの?」


「落ち着け直也」

 キリウが低い声で言った。

「調停は終わったよ。依頼者の紛争解決で」


「えっ!」

 直也はミツを凝視して言った。


「直也君、ごめんね……選べなくて。直也君がこんなになるまで選べなくて……」

 ミツは目を涙で一杯にして言った。

「はじめから、わたしが選んでれば、誰も痛い思いしないで済んだのに! 調停なんてしないで済んだのに! でも選べなくて……」


「ミッちゃん……」

 直也はどうやったらミツを泣き止ませる事ができるのか分からず、焦って両手を目の前でぶんぶんさせながら言った。

「ミッちゃん。調停でるって決めたのは百パーセント俺の勝手な事なんだ。だからミッちゃんが気にする事なんて全然ないよ!」


「ミッちゃん、本当に気にする事ないぞ。これが直也が選ぼうとしている道なんだから」

 キリウが静かに言った。


 直也は、キリウが仲養学校を辞めろと言い出しそうな予感がしたのと、まだミツが両親のどちらを選んだのか聞いてない事を思い出し、また慌てて言った。


「で、どっち選んだの?! お母さん、お父さん?」


「お母さん……」

 込み上げて来る嗚咽を押さえる様にミツは言った。


「よかったぁ」

 途端に安心し、直也は起こしていた上体を再びベッドに沈めた。

 

「お父さんもお母さんも選べないけど……メルローに行きたくない!」

 ミツは涙を溢れさせ、呟く様に言った。

「おじいちゃんも、キリウ先生も、友達も……直也君もいない所になんか行きたくない」


 そう言うとうっうっと嗚咽を殺す様に泣くミツの頭を、隣に座っているキリウが撫でた。

 それはまるで小さな子どもにする様な仕草だったが、それを合図の様にミツはキリウの胸に頭を預け、声をあげて思いきり泣きだした。


 病室には直也達の他には誰もおらず、しばらくミツの泣き声だけが辺りに響いた。



 ひとしきり泣いた後、仲養学校関係者以外は仲養学校校内から出なければならない時間となり、ミツは病室を去って行った。


 直也がキリウから直也が気を失ってからその後の調停の一部始終を聞いていると、病室のドアがノックされ、カイルと御犬が入って来た。


 カイルは調停で怪我をしたらしく、左腕に軽く包帯を巻いていた。


「あなたはダイジョブですか?」

 カイルが戸をくぐりながら心配そうに言った。


「あぁカイル……と御犬先生」

 キリウはカイルを見ると明るく言ったが、続いて入って来た御犬を見ると一瞬声のトーンが低くなった。

 しかしすぐにカイルに視線を戻すと朗らかに言った。

「もう手当ては済んだのか? 今日はよく頑張ったな」


 カイルはキリウに頑張ったと言われたのが嬉しいのか照れた様に言った。

「ボクはダイジョブです。ダボクのみです」


 そしてガーゼの貼り付いた直也の顔を心配そうに覗き込み言った。

「ナオヤはダイジョブですか? ホネはオれてありませんか?」


「大丈夫だよ」

 直也は怪我の少ないカイルを見て、調停中に自分がいかに役に立っていなかったかを思い出した。


 調停中は自分の事で精一杯であまり周りが見えていなかったが、カイルが相手戦手一人をぐるぐる巻きにしているのはちらりと目にしていた。


 それに比べて自分は……。

 直也は一人も倒せなかった上に、ろくに反撃もできないまま気絶させられた事を考えると、自分の無様さに悲しくなり、体が急に重くなった様に感じた。


 それに、結局調停を止めたのはミツの一言だった。自分は何の役にも立たなかったんだ。


「調停って……仲裁って何のためにあるのかなぁ……」

 暗い気持ちのまま下を向き、直也はぽつりと呟いた。


「人によって考えはまちまちだと思うがな」

 キリウは直也の気持ちを察してか、穏やかに言った。

「俺は争いの痛ましさ、醜さを人々にはっきり見せ付けるためにあるのだと思うぞ」


「えっ」

 思いがけない答えに驚き、直也は顔を上げキリウの方を見た。


 カイルも御犬も同じ様にキリウを見ている。


「実際自分の目で見ないと分からないからな、そういうのは。……仲裁師のはじまりは知っているだろ? 多くの命を奪う戦争を止めるためだった。だから仲裁は戦滅なんて言われている。……確かに戦争はなくなった。しかし……」

 キリウはここで言葉を切ると、考え込む様に口をつぐんだ。


「戦争なんだよ、仲裁試合自体が」

 御犬が突然口をはさんだ。

「そう言いたいのでしょう、真納先生」


 キリウは御犬の真意を読み取る様に無言のまま見詰めた。


「……だとしたら、何だというんですが? また教師失格とでも言いたいんですか?」

 バーベキュー以来何かと突っかかって来る御犬に、キリウは挑みかかる様に言った。


「別に何も。実際それは事実でしょ? どうせこの子等もそのうち分かる事だし」

 御犬はあっさりと言った。


「仲裁試合なんて、みんな見世物なんだよ。打たれればどれだけ痛いか、切られればどれだけ血が吹き出るのかを見せ付ける。……そうやって以前はどこか遠くで起こっていた戦争を目の前で見せる事で戦争の悲惨さ、バカらしさを分かってももらおうって訳なんだよ」

 御犬は軽い口調で口を歪めて言ったが、目は冷たく真剣だった。


「御犬先生が顔を隠さず仲裁試合に出るのは、それが理由なんですか?」

 しばしの沈黙の後、キリウは静かに言った。

「仮面を着けた無名のものではなく、顔のある、名のある実際の人間が戦っている、血を流している事を見せるため」


 御犬は一瞬目を見張ったが、そのまま滅多に見せない皮肉気でない微笑を見せた。


「さあ? でもこの顔を隠しちゃうのは世のお嬢ちゃん達に申し訳ないでしょ?」

 御犬は片方の眉だけ器用に大きく上げ、おどけて言った。


「どうですかね? 隠れている方が夢を見られていいのかも知れませんよ?」


 直也はそれを聞いてあれっと思った。

 御犬と話す時はいつも警戒する様な態度を取っていたキリウが、一瞬御犬に気を許した様に感じたのだ。


 御犬もそれを感じたのか一瞬目を細めたが、すぐにいつもの人を食った様な調子に戻った。


「真納先生もなかなか言いますねー」

 クククと感じ悪く笑うと御犬は続けた。

「一年生の担任先生が、入りたてほやほや一年生に戦滅のセートーセーを植付けるべき先生が、そんな事を言っちゃうとはねー。いや、ほんと面白い」


 御犬はクククと押さえつけた様に、けれど堪えきれない様にしばらく笑い続けた。


 直也はそんなやり取りを見ながら、今回の調停に自分もちょっとは役立てたんだと、少し気持ちが晴れるのを感じた。

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