8. ミツの両親の調停

8-1

 柔らかく静かに雨の降る六月の中旬、直也は久しぶりに岡本屋にいた。


 嫌な事を聞きたくないからといつまでも知らん振りをしていては、知らぬ間にミツがどこかに行ってしまうかもしれない事に気付いたのだ。


 直也は思い切ってミツに引越しの事を聞いてみた。


「……わたしの親権について今喧嘩してて、まだ離婚はしてないの。

 ……お父さん、お母さん、わたしに好きな方選べって。

 ……でも、決められないよ!」


 その日直也は、無力感と共に岡本屋を出た。

 

 梅雨に洗われた様な鮮やかな光溢れる日、直也は今日も岡本屋にいた。


「直也君、調停試合って知ってる?」

 ミツが真剣な顔で言った。


「うん、一応知ってるけど……」


 調停試合はその依頼が仲養学校に来た際にその都度学部生の中から出場者希望者を募るのだが、参加するのはほとんど三年生以上で、直也は自分にはまだ関係ないと思っていた。

 その希望者の中から調停依頼者双方が調停試合を任せるものを指名するのだ。


「お父さんお母さん、わたしの親権を調停に任せるって……わたしが選べないから……」


「え! ミッちゃんがどこに行くか調停で決まっちゃうの!」


 その日直也は、無力感と、新たに『何とかしなきゃ』という使命感と共に岡本屋を出た。

 


 直也は悩んでいた。

 ミツのためにというよりも、自分のために、ミツの両親の調停に参加しようかどうかについて。


 直也は剣術部の学部一から五年生の中でも、密かに自分は強いのではないかと感じていた。


 確かにまだ一年生は素振りしか許されていないが、三年生の練習試合を見て仲養学校生でもこんなものかと思った。

 幼い頃からキリウの真似をして竹刀を振り、真面目な組合はキリウとしかしていなかったせいか、上級生でもそんなに強いと感じていなかった。


 しかし調停だ。


 今回は四対四の標準調停試合なので、直也が足を引っ張る事が致命的でないとしても、ミツの、ミツの両親の大事を決める試合なのだ。

 しかし、ミツが引っ越すのはどうしても嫌だった。ミツの引越しを止めるには岡本さんの娘であるミツの母親側を勝たせる事だ。


 直也はミツの引越しを止めるのに自分ができる事なら何でもやる覚悟でいた。

何もせずにミツが引っ越していくのを見送るなんて耐えられなかった。


(でも、もし俺が足を引っ張って負けたら、ミッちゃんは俺のせいでメルローに行っちゃうんだ)

 そう思うと、考えは堂々巡りした。


 直也はもう訳が分からなくなって、とうとうキリウに相談する事にした。

 君嶋から話を聞いた後、どんな顔をして会えばいいのか分からなかったけれど。


 何度か遊びに行ったキリウの教員用独身寮で、直也は相談を持ちかけた。


 キリウの部屋は、居間兼寝室の八畳ばかりの部屋、玄関と居間を繋ぐ廊下に申し訳程度に付いた台所、その後ろにユニットバスと、とても仲養学校の教師の部屋とは思えないような部屋だ。

 もしかしたら独身寮の中でも一番安い部屋なのかも知れない。

 国家公務員で就く事が難しい仲養学校の教師は『会社の部長クラスの給料をもらっている』と直也が愛読している月刊センメツには書いてあったのだ。


 しかし本や仲養学校関係の小物で溢れてはいるが不潔な感じはせず、物に囲まれながほっと安心できる様な、そんな部屋だった。

 院にいる時によく通った、仲良しのおばちゃんがいる小さな駄菓子屋を直也はなんとなく思い出した。


 調停試合にでるべきかでないべきか直也が話した所で、キリウは言った。


「まず、志願したからって必ず選ばれるってもんじゃないってのは知ってるよな? 調停依頼者に選ぶ権利があるんだぞ」

 キリウは目の前の茶をずっと一口飲むと言った。


 直也は頷いた。


「依頼者は志願者のプロフィールを見て戦手を決める。いくら身体能力測定の結果が良くても、一年生、しかも中学で何の大会成績を残していない生徒を選ぶ人はいない。これは断言できる」


 直也は予測していたとはいえ、キリウに改めて言われ少し気落ちした。


「でもな……」

 キリウは何か考えながら、茶請けに出してある豆大福に手を伸ばした。

「俺は出場には賛成だ」

 豆大福を一口で半分頬張りながら続けた。

「仲裁師を目指すなら早めに調停試合には出ておいた方がいい。間違った道に来たと気付くには早ければ早い方がいい。仲養学校にいればいるほど他の道へ行くのは難しくなるからな。――と言う訳で、俺が岡本さんに直也を推薦する事もできる。岡本さんが娘の、ミツの母親にそれを伝えれば、もしかしたら出場できるかもな」


 直也は何度も聞いたキリウの他の道を考えろという所はさらっと流し、現金にも急にキリウの方に身を乗り出し直也は聞いた。

「でも俺が足引っ張る事にならないかな?」


 苦笑いしながらキリウは言った。

「お前は弱くも、強くもある。単純に一対一で筋術のみの相手なら、五年生にも引けを取らないと思う。……けれど、心術に対しては違う。

 気付いているかもしれないが、お前は心力に対する反応が極端に鈍いし、お前からも心力を感じられない。生きていて意思があるのだから、まったくないとは考えられないんだが……。

 その代りどんなに強い心力、俺はよく気と呼ぶけど、にさらされてもけろっとしていたな。

 直也、単術試験の日、医務棟で御犬先生と会った時、何か感じたか?」


 直也はキリウが何を指しているのかも分からず、キリウを見上げ首を横に振りながら「ううん」と言った。


「あの時な、御犬先生はすっごく強い闘気を出していたんだよ。

 それこそ心力制御を学んだ事のない者なら動けなくなってしまうぐらいの。

 そんな中、お前は何でもない事の様に動いていた。俺は心力制御について教えた事がないのに、だ」


 直也は急に不安になって聞いた。

「それって俺は心力が弱いって事? 

 いくら剣術が強くなっても気が分かんないから負けちゃうって事? 

 剣術使いでも心力なくっちゃだめなの?」


 キリウは腕を組み、首を解す様にこきこきと左右にゆっくり動かした。


「……確かに剣士にとって、いやどんな筋術系仲裁師にとって、気、心力はなくてはならない。

 上に行けば行くほど剣術は気の読み合い、ぶつかり合いへと形を変えていく。だから正直、お前と組み合うのは色々読めなくてやり辛いんだよ。

 ……でも、俺はそれがお前の強みでもあると思う。

 どんなに強い気でも怯えず堅くならずに動けるからな。

 けれどそれは諸刃の剣でもある。

 普通それほど強い気を出せるという事は、それだけ強い覚悟をしているという事だ。

 まあ剣士でも心力制御に優れていれば思う様に操れるが。

 そんな奴に何も気付かずにのほほんと向かっていくのはとても危険だ」


 直也はどんどん暗い気持ちになってきた。

 話しを聞けば聞くほど、自分は仲裁師には向いてないと言われている様な気がした。


 キリウはそんな直也の様子に気付かないかの様に、教師然として話しを続けた。


「……心術系を相手にしても同じ様に言える。

 心術の発動気配を感じられないというのは仲裁師にとってかなり不利だ。

 目で、耳でしか反応できないのでは遅すぎるからな。

 しかし有利な点もある。

 心術系でも操作術や幻術に対しては、その鈍さが最大の防御となる。

 一般に心力に感受性がある者ほどそれらの術にかかり易いからな。

 対戦相手に操作系や幻術系術者がいると分かっている場合、参謀だったら一人はそんな戦手を入れておきたいところだろうな」


 今度は誉められた様な気がして、直也は勢い込んで言った。

「そういえば、俺、対ルッサ戦、シャトーオーなんとかっていう術、全然見えなかった!」


「そうか、まったく見えなかったか。

 ……直也みたいな仲裁師がいれば、あそこで蜘蛛の糸がでなくて済んだのかもなぁ……」


 直也はそう聞いてあれっと思った。キリウのしみじみとしたその言い方が、まるでキリウがその場にいた様に聞こえたからだ。


「まあ、調停で幻術や操作術みたいな高度な術は出ないだろうから、直也の特性は今回の試合では不利なだけだろうけどな」

 キリウは朗らかに言い切ると、茶をずっとすすった。


 そうは聞いても、直也の調停に出たい気持ちは変わらなかった。

「俺、やっぱり調停に出たい! ミッちゃんが遠くに行かないために、できる事なら自分で何かしたいんだ!」


「お前のせいでミッちゃんが引っ越してしまうとしてもか?」

 一瞬話しの飛び具合にいぶかしげな顔をしたが、すぐに真剣な表情になってキリウは言った。


「それはやだけど、何もしないでミッちゃんが引越してくのをただ見ているだけなのはもっとやだ!」

 キリウの昔の悲しい話しと、ミツへの心が熱くなる様な想いがごちゃ混ぜになりながら、それでも直也は前からぐるぐる思い続けてきた言葉を吐き出した。


 キリウは無言でしばらく考え込んだ後、言った。

「心が決まったなら、岡本さんにナオの事を推薦しておくよ。ただし選ぶのはミツの母親だから選ばれるとは限らないからな」


 直也も真剣な目で「うん」と頷いた。


「それと、俺が岡本さんに推薦する事は内緒にな。教師が贔屓するなんて本当は不味いからな」


 直也が大げさに「キリウ先生、ありがとうございます」と言うと、二人は真剣に話すのに疲れたかの様にゆるく笑い合った。

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