7-5

 それから二日後、遊馬の迅速な治療のせいか、キリウは意識が戻らないまでも一般病室に居られるほど回復していた。


 遊馬の特殊能力、ものの持つ時を進める力、を使えばすぐに完治するらしいが、余分な場所の老化を防ぐためできるだけ使わない方がいいらしい。


 さらに数日後、キリウが元いた院の子ども達を大切にしていた事を思い出し、子達を仲養学校の病室に連れて行った。


 そして、その子ども達に対する久々に見る本心からの笑みを、申し訳なさそうな顔を見て、キリウを借金でこの世に縛る事を思い付いた。


 そう、そのままにしておくと、ふと消えてしまいそうで、わたしはキリウを繋ぎ止めておく方法を探していたのだ。


 それは意外と難しい事だった。


 考えてみると、ハンナがああなった今、生きる支えにする程好きなものはキリウには余りなかった。

 わたしが知っているのは鍛錬と子達、あと岡本屋の菓子くらいだった。


 だからわたしはフルガ仲裁師委員会の委員長でもある仲養学校の校長と青草院の院長に掛け合い、院長から、院の金からキリウの違約金――年季の明けていない元仲養学校生の保険人が、元仲養学校生が移住したり自殺をはかったりした場合保険人に仲養学校より請求される金――を払わせる様にした。


 本当なら、キリウの行為は心的外傷後ストレス障害として扱われ、違約金が発生しなかったかもしれないのに。


 目的は、院への負担を子ども達の事を心配し、その違約金を自分で払おうとするであろうキリウを、借金でこの世に繋ぐ事だった。


 そして遊馬から遊馬でキリウの治療代を払ってもらうと言う事で、違約金の支払いとは別に院を通して請求した。


 わたしの思惑通り、院の借金を、それにより院の運営を続けられなくなり子ども達の居場所がなくなる事を病院のベッドの上で知ると、キリウは自分のせいだからと借金の肩代わりをしようとした。


 しようとしたが、違約金は巨額で、キリウがそれまで仲裁試合で稼いだ貯金、預金でもまかなえなかった。

 もちろんそれは予測済みだ。


 キリウは何度目かの見舞いに来た笠間とわたしに、絶対返すからとベッドから上半身だけ起こし金の無心をした。

 遊馬には治療代支払いを遅らせる事は可能かと聞いた。


 わたしはずっとそれまで溜め込んで来たものを、一気に吐き出した。


「今更友達面しないでくれる? 

 あんた、自分が何したか分かってんの? 

 あれは、もう全部いらないって見捨てたのと一緒なのよ! 

 わたしも笠間も遊馬も……あんたの大切な兄妹達も!」


「キミ……、言い過ぎです。キリウもあの時はそこまで考えられなかったのでしょう」

 その場にいた遊馬が落ち着いた声で言った。


「遊馬! あんた悔しくないの? 友達だと思ってたのに!」

 わたしは叫んでいた。


「もちろん、私も悔しい気持ちは一緒です」

 遊馬が穏やかに言った。


 笠間もぼそりと言った。

「……金は、あるだけ全部や……」

 言いかける笠間のつま先を慌ててわたしは踏んだ。

 打ち合わせ通りにしろと。


「……貸す」

 キリウが倒れてからずっと酒の臭いをさせた笠間が、踏まれた自分の足をぼんやり見ながら続けた。

「今回の事は、参謀の俺の責任でもある」


「貸すわよ! わたしだって貸すわよ!」

 わたしは突っ立ったまま叫んだ。

「でもキリウ、もしあんたに何かあったら院長に返済請求するから! 

 またバカな事したら絶対に許さないから!」


 結局わたしと笠間は無利子無期限で金を貸す事に頷き、遊馬も治療代返済は同じ条件でいいと約束した。


 それで借金は全て返せる様だが、その額は決して少なくなかった。

 Ⅰ種仲裁師の年間契約金五年分と実際に仲裁に出場した時に出る歩合制の出場金十回以上を足してようやくその額に達するぐらいだ。


「……で、借金、どうやって返すつもり? キリウ、Ⅲ種に降格されて三年間はⅠ種試験受けられないでしょ?」

 わたしは尋ねた。


 Ⅰ種とⅢ種とでは契約金だけでも雲泥の差がある。

 それが命のやり取りをするⅠ種との差なのだ。


「今からできる他の職じゃ、きっと定年まで働いたって返せないわよ」

 キリウはしばらく言い渋っていたが口を開いた。


「柳田校長がこの前来てくれて、教師にならないかって、言ってくれた」

キリウはそこで言葉を切った。

「……俺なんかが教えられるものかと思ったけど……校長は俺しか教えられない事を教えろと言ってくれた」


 わたしは唖然とした。

 校長も思いきった事をする。

 規約違反でしかもあんな仲裁師が一番やってはいけない事で降格された者を、後進を育てる教師になんて! 

 けれど借金の返済を考えた場合、ただのⅢ種仲裁師よりずっと早く返済できるだろう。


「……受けてみようかと思う。それで返済が終わったら、俺は仲裁師を辞める」

 キリウは今までの事がまるで夢だったかの様に、きっぱりと落ち着いて言った。


「それがいいかもなぁ……」

 笠間がアルコールが廻ったとろんとした目で呟いた。



 それからしばらく経ち新学期が始まると、キリウと一緒に笠間まで教育実習という事で仲養学校に戻って行った。


 そして桜が咲き次の学年が始まると、キリウは護身術、笠間は基本戦術の教師になっていた。


 そしてさらに次の年、キリウと笠間は一年生の担任を任されていた。


 Ⅰ種仲裁師として名のあがってきた遊馬とわたしも、それぞれ専門の上級教師にと請われ、仲養学校に戻った。


 そう四人揃って教師になったのは今から二年前、キリウが倒れてからもう四年も経っていたのだ。

 例えその記憶が、その時の恐怖がまるでぼやけていなくても。



 降格されてから三年後、キリウは教師を続ける合間にⅠ種試験に受かっていた。


 そして今まで使っていた登録名を捨て、新しい名、新しい姿を選んだ。


 わたしはⅠ種合格の知らせを聞いて戦慄した――試合中に亡くなった場合の遺族手当て目的に、またバカな事をしようとしているのではないかと思ったのだ。


 Ⅰ種を受けた理由を問いただすと、わたしの意に反してキリウは柔らかく笑って言った。


「やりたい事ができたから……岡本屋の職人になりたいんだ。だから借金を早く返して仲裁師を辞めるためだよ」


 キリウがやっと戻って来た! 

 そのまぶしいものを見る様な笑顔を見て、やっとそう実感できた。


「お帰り、キリウ」

 目が熱くなるのを感じながら、わたしは思わず呟いた。


 一瞬ぽかんとしていたが、キリウは笑みを深くさせ顔中で笑って言った。


「ただいま。遅くなってごめん」

 そう囁くと、人差し指で知らぬ間に零れ落ちたわたしの涙をぬぐった。



 それが昨年の事だった。


 さて、直也君にはどこまで話したらいいのかしら……。


 取り敢えず、左手を怪我したまま次の仲裁試合に出るのを直也君からも止めてもらえるくらいには話さないと……。



   *      *      *



「……と言う訳なのよ、直也君」

 教官室のソファの上、ずっと君嶋の話を聞いていた直也はただ驚いていた。


 一番の衝撃は、今まで朗らかで優しくて強いと思っていたキリウが、好きな人に裏切られたぐらいで自殺未遂まがいの事までしたと言う事だった。


「ほんとはね、ここまでしゃべっていいのか迷ったんだけど……」

 君嶋が珍しく気弱そうに言った。

「キリウも直也君に、院の子達にだけは知られたくないみたいだけど……でも、話たのは、直也君、あなたにお願いがあるから」


 君嶋は直也を見据える様に言った。


「一つは、これからもずっと、キリウに甘えてやって欲しいの。……キリウが岡本屋の菓子職人になりたい理由知ってる?」


 直也は驚きが覚めぬまま首を振った。


「……直也君の、院の子達の笑顔なんだって。君達、岡本屋のお菓子、本当に嬉しそうに笑顔で食べるでしょ。

 そんな笑顔がキリウ、物凄く嬉しいみたいだから……岡本屋の職人になって満足するまで食べさせてあげたいんだって。

 ……単純過ぎて笑っちゃうでしょ?」


 君嶋はそう言ったが表情はまるで子どもを見守る母親の様に淡く微笑んでいた。


 直也は何と言っていいか分からず、ただ頷いた。


「このお願い、キリウには秘密よ? キリウ、院の子達の前では強くて格好いい兄ちゃんでいたいみたいだから」

 君嶋はウィンクし、無邪気そうに言った。

 

「もう一つは……キリウが次に出る仲裁試合、その出場を止めて欲しいの」

 真剣な表情になり君嶋は言った。


「さっきも言った通り、キリウ本当はⅠ種なの。公ではⅢ種のままで通しているけど。Ⅰ種はあの左手の怪我のまま無事でいられるほど甘くはないの知ってるでしょ?      

 でももうキリウはその試合に登録されてしまってて、キリウの意志でしか出場辞退できないのよ」


 直也は自分の役目の重要性に顔を強張らせながらも頷き「絶対止めます」と誓った。


「でも君嶋先生、俺、キリウ兄ちゃんがⅠ種で戦ってるの全然知りませんでした。

 テレビでやるⅠ種試合なら全部見てるから、もしかして仮面戦手の中に兄ちゃんいたのかな? 俺、実は兄ちゃんが戦ってるの見た事あるのかな?」

 直也は思い付きに興奮して言った。


「どうかしらねぇ。もしかしたら一般には非公開のにだけ出ているのかもねぇ」

 君嶋はどこか面白そうに、歌う様に言った。


「キリウにそのうち聞いてみるのも面白いかもね」

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