7-3
ハンナが帰国してから二年後、キリウは学士過程を七年次で卒業しⅠ種仲裁師試験に受かり、順調に年季をこなしていた。
笠間は仲養学校に残り戦術の修士過程にいた。
戦術という実際に戦う道を選んだ訳でもないのに、Ⅱ種試験に受かっていた。
まだ修士過程にいたが、笠間は戦略部の期待の若手と言う事で、すでに実際の仲裁試合の参謀役を務めていた。
そんなある日、笠間が参謀を勤める仲裁試合の話がわたしの耳に入った。
今回はわたしにはお呼びがかからなかったがキリウは出場するらしい。
わたしは胸騒ぎがし――経験に基く勘な様なものが働き――Ⅰ種仲裁師の権限を思いっきり活かして警備役として仲養学校で行われるその仲裁試合に潜り込んだ。
試合形式は四対四のⅠ種非公開無名戦だった。
標準戦が国民に公開され前もって出場する仲裁師の名前が公表されるのに対して、非公開無名戦とはその名の通り非公開でその試合の存在自体一般に知られる事なく――大抵公開するには不味い紛争に用いられる――、出場する仲裁師の登録名等は一切相手方に告げられる事なく行われる。
試合は仲養学校のコロシアムで行われた。
国連から派遣された審判を挟んで、青いフード付きマントにすっぽり覆われたフルガ側四人と、同じ様に黄色いマントに包まれたトレリア側四人が舞台に揃った光景を今でもよく覚えている。
審判の宣誓を受け、陣形を作るため陣に戻ると、フルガ側二人が防護マントを脱ぎ、トレリア側も二人がそうした。
防護マントは重過ぎて動き辛いのだ。
マントの下には全員覆面やら仮面やらを付けており、顔が見える者は誰もいなかった。それが無名戦というものなのだ。
マントを脱いだ中にキリウはいた。
仲裁師になってから付ける様になった黒い覆面を付け、フルガ仲裁師用の黒い標準服を身にまとっている。
髪はうなじの辺りで黒い髪紐で一括りにされている。
遊馬もフルガ陣にいるらしいが、いつもの仮面姿さえも隠す様にマントのフードで顔と体をすっぽりおおっている中にいるらしく、特定できなかった。
試合が始まり、フルガとトレリアの力はほぼ互角に見えた。
正方の陣の前衛、左のキリウと右の忍術使いは、審判の合図とともにトレリアの前衛に向かって行った。
トレリアは台形を作る様前衛二人中央よりに配置し、その外側に後衛二人を配置するフルガで言う『屋根』と呼ばれる陣形を採っていた。
キリウは走り込む勢いをそのままに、まさにフルガ剣術の見本の様に、フルガ陣から見て左の前衛を切り倒した。
忍術使いがもう一人のトレリア前衛と組み合い、キリウが一人倒している間、トレリアの左後衛が審判の開始合図から少し遅れてフルガの左後衛を銃撃した。
キリウはそのマントに包まれた銃使いに向かった。
銃使いが銃口を向けたが、キリウはひるまなかった。
銃弾を避けながら、時に防弾仕様となっている標準服の肘当で叩き落しながら、キリウは距離を詰めて行った。
間合いを詰めれば、ただの銃使いはキリウの敵ではない。
完全に自分の間合いに入り、キリウはまだ煙をあげる銃を刀で弾き飛ばした。間髪入れず相手を切り付ける。
銃撃手は防護マントを着ていたため第一撃はマントに切れ目を入れただけだった。
〈やめて! その人だけは!〉
突然、トレリア側後衛右の戦手がエスラペント語で叫んだ。
〈降参します!〉
わたしは一瞬、それが幻聴かと思った。
マントに入れた切れ目に返す刀で今まさに突きを入れ様としていたキリウも、その声を聞き一瞬体を強張らせた。
「ドナートォ!」
また声があがった。
しかし、勢いののった刀は止まらなかった。
刀は突き刺さり、銃使いは短くうめくと重そうなマントと共に崩れ落ちた。
「ナァァァー!」
キリウが刀を引き抜くと同時に、叫び声があがった。
やめてと叫んだ戦手だった。
そう叫ぶと三メートルほど離れたキリウに刀を構え、向かって行った。
そうそこでマントを脱ぎ、フルガ刀を引き抜いたのだ。
わたしは呆然とした。
トレリア人のフルガ刀使いだという事、そして叫んだ声が、ハンナだと示していた。
まさかと思ううちに、フルガ刀使いはキリウに正面から切りかかっていった。
キリウも呆然としていた様だが、まだ銃使いの血が滴る刀で、その一刀を防ぎ、逆に相手の仮面を切り落とした。
現れたのは、ハンナだった。
顔をさらされた事をも気にせずハンナは再び切りかかろうとしたが、キリウはぎくしゃくしながらも退き、ハンナと距離をとった。
そして再びハンナが刀を振り下す前にその覆面を取り去った。
お互いを認めると、二人は動きを止めた。
二人の後方で組み合っていた戦手達は、ハンナの降参の声に武器をおろし二人の成り行きに注目している。
「ハンナ……ドナートとは……」
キリウが呟いた。
「〈その人だけは〉ってどういう意味なんだ」
体の強張りのためか、ハンナはただ小さく震えている。
大きく目を見開き、瞬きもせずにキリウを見詰める。
どれくらいそうしていたのだろう、不意にがらんと音がし、見るとキリウが握っていた血に濡れた刀が、舞台の石盤上に落ちていた。
わざとかそうでなかったのかは結局後になっても分からなかった。
だからその後の事が、わたしが思った通りなのかそうじゃないのか分からない。
でもわたしが見て理解したのはあながち間違っていないと思う。
キリウは眉をハの字に寄せ罪人が神父にすがる様な、許しを乞う様な目でハンナだけを見詰めていた。
試しているのだ、ハンナの本当の愛の在りかを――
――命を賭けて。
ハンナがまだキリウを愛していればキリウは無事でいられるだろう。
違っていれば――
命を賭けてまでそれを知る事が大切なのか、わたしには理解できない。
ハンナはキリウの刀が落ちるのを何も言わず見ると、はっとした様にドナートと呼ばれた銃使いに駆け寄った。
ハンナは血まみれになるのにも構わず、キリウに刺し抜かれた傷に手を当てた。止血しようとしているのだ。
「ハンナ……」
ドナートが小さくやっとそう言った。
わたしはドナートはもう息絶えたかと思っていた。
キリウの斬撃を試合中に受けて生きていた者はめったにいないのだ。
「ドナートォ!」
ハンナは呼びかけに答える様に叫んだ。
そして左手を傷口から離し、マントの中からドナートの右手を取り出し強く握った。
安心したのか、それが合図の様にドナートは薄く開けていた目を完全に閉じた。
「ドナートォー!」
引き留める様に手を握り締めながら、ハンナは涙を溢れさせた。
コロシアムにいる全ての人が、ハンナの動きを何も言わず見詰めていた。
一滴の涙がドナートの顔に落ち、流れていった。
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