6. ミッちゃんが引っ越す?/夏のツララ
6-1
直也は飽きる事なく、時間が許す限り岡本屋に通っていた。
月一で行われる事になったキリウの『修行』にも顔をだし、平日でもしょっちゅう通っていたので、数えると三日に一回は通っている計算になる。
平日は大抵二十分ぐらいカウンターの辺りをうろうろしミツと話す機会をうかがい、なんとか忙しく店を手伝うミツと二、三言葉を交わす事に成功している。
それから一つ和菓子を買い、ミツと話した事をはんすうしながら寮に帰る。最近は笹梅と草野は呆れて付いて来てくれない。
その日のミツはカウンターに立ちながら、始終暗い表情だった。
「ミッちゃん、何かあったの?」たまらず直也は尋ねた。
「……直也君、私、もう、おじいちゃんの家にいられないかも……」
小さなしぼんだ声でミツは言った。
「何で!」直也は驚き思わず叫んだ。
ミツは悲しい事を思い出したかの様に涙ぐみ言った。
「お父さんが……メルローに来なさいって……お父さんと暮らそうって……」
「メルロー……」
直也は呆然と呟いた。
メルローとフルガは平太洋を隔てて飛行機で十時間はかかる所にある大国だ。
「お母さん……お父さんとはもう家族でいたくないって……」
大粒の涙が音もなくこぼれた。
「お父さんとお母さん、離婚するんだって。……わたし、何回も止めてって言ったのに!」
直也はミツが文通していた時に手紙に書いていた事を思い出した。
ミツの両親は仕事の為ばらばらに暮らしていて、父はメルロー、母は西京にいるのだ。
何年か前までミツは西京におり、仕事で忙しい母に代わり家政婦に面倒を見てもらっていたが、見かねた母方の祖父、岡本屋の主人がミツを手元に呼び寄せたのだ。
「ミッちゃん……」
直也はミツを慰めたかったが、何と言ったらいいか分からなかった。
「お父さんかお母さん、どちらか選べって……でも、選べないよ!」
ミツは涙を拭いもせず小さな子どもの様に言った。
「お父さんもお母さんも好きなんだもん! 大切なんだもん!」
ミツの涙を前に直也はおろおろする事しかできず、ただ「泣かないで、泣かないで」と呟き、ハンカチを手に握らせる事しかできなかった。
その日直也は岡本屋で何も買わずに、そのまま逃げる様に寮に戻った。
ミツが引っ越すかもしれないという話しを聞いてから、直也はずっと暗い気持ちでいた。引っ越すという決定的な話しを聞きたくないばかりに、岡本屋への足も二週間ばかり遠退いていた。
キリウの授業が最後のその日、夏休みに院へ帰省する話をキリウとしながら、二人は武道館から校舎に移動していた。
キリウの授業、護身術は筋術系仲裁師を目指す生徒はもちろん、心術系仲裁師を目指す生徒も採らなくてはならない必須科目で、週に一回校内の武道館で行われる。仲裁師が身に付けておかなければならない最低限の身の守りを習得する事が授業の目的だ。
キリウは普段と同じ袴姿で手には授業で使った名簿や教材を持ち、直也は体育着姿で教材を持ち、キリウの手伝いをしている。
校舎に入ろうとしたその時、二人の耳に何人かの生徒の怒鳴る様な声が聞こえた。
「御犬先生の親戚だからって気取んなバーカ」
「そのくせ、ろくに忍術もできないくせに」
「なんかしゃべれよ! それともフルガ語できないんですかー!」
校舎脇の人通りの少ない所で何人かの生徒、恐らく三年ぐらいの上級生が、校舎の壁を背に立つカイルの目の前に立ちふさがっているのが見えた。
直也からだと横顔しか見えないが、カイルはいつにも増して無表情だった。
直也が立ち止まりキリウを見ると、キリウは眉をしかめずかずかとカイルの方へ歩き出していた。
それでもカイルを取り囲む上級生達はキリウに気付かないのか、尚もカイルに言葉を投げ付けた。
「おまえのじいちゃん、ルッサの反逆者なんだってな」
一人が言った。
「バカな王や贅沢し過ぎの貴族のせいで国民が苦しんで、だから革命が起きたんだろ!」
「イうな……」
カイルの声が小さく聞こえた。キリウに続きながら、気のせいか直也は六月にも関わらずひやりとした風を感じた。
「で、おまえのじいちゃん、バカ王に味方して……」
カイルの正面にいるリーダー格らしい上級生がそう言い、首に手を当てた。
「イうな……」
カイルの声と共に、木枯らしの様な冷たい風が吹いた。
直也にはその時になってようやく見えた。
カイルの体の周りに、透き通ったツララの様な物が何本か浮いているところが。
「やめろ、バカモノ!」
上級生達から後五メートル程の所で走りながらキリウが叫んだが、その上級生の口から飛び出してしまった言葉は止められなかった。
「ギロチンで、はい、さようなら」
近過ぎてツララが見えないのか、リーダー格の上級生が首を切る真似したと同時に――
ツララはその上級生目掛けて放たれた。
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