3-8


 放課後、直也が昨日予約しておいた談話室五に行くと、すでにカイルが古ぼけたフルガ語の本『フルガ心術の系譜(半沢里実著)』を読みながら待っていた。


 談話室とは、静かにしなければいけない図書館で集まりや集団学習用にうるさくしても音が漏れない様になっている小部屋で、仲養学校関係者なら予約をすれば誰でも使える様になっている。

 部屋の中には小さな机と椅子が用意されている。


 語学交流は、直也は教科書で分からない所を聞き、カイルは読んでいる本で分からない所を聞くという事になった。


 始めにカイルのフルガ語をやる事になった。

 直也は音読を聞きながら、カイルのフルガ語はかなり上手いと思った。その本の中には直也が聞いた事もない様な言葉も混ざっていたが、直也が教えた事と言えば、何度か聞かれた言葉の発音をするくらいだった。


 次に直也の番になった。

 まず直也がエスラペント語の教科書を声に出して読み、発音を確かめる事になった。

「イス エスタ ミネ タ グラ」


「チガいます。ィス ゥエスタ ミネ トゥア グゥルラ です」


 一行目でいきなり訂正され直也はむかっとしたが、素直に読み返した。

「イス ウエスタ ミネ ター グラ」

 音読しながらちらりとカイルを見るとまだ何か言いたそうにしていたが、直也はそのまま次の行まで読み続けた。

「……タライ スレ アルプタ ゼアラ」


「トゥァライ スレ アルプトゥァ ゼゥェァラ」


 そんな風に、直也が読んだ文はカイルに事ごとく訂正され続け、教えられている身にも関わらず直也はどんどん腹が立って来た。


「なんだよ、そんなに直すんなら一度カイルが読んでみろよ」


 カイルも何度直しても直らない直也の発音にむっとなっていた様で、前置きも何も言わず、すごい速さで一ページすらすら読み終えた。


 直也の発音とは全然違う正しそうな発音を聞き、直也は「……す、すごいじゃん」とぽつりと一言呟く事しかできなかった。


 どうだとばかりにカイルは器用に片方の眉だけ上げ、直也を見て言った。

「ストゥピドゥ。ベレ ストゥピドゥ」


「え、何?」

 直也は意味が分からなかったが、何だか馬鹿にされた様な気がした。


 カイルは何も言わず、まだ呆れ顔だ。


「なぁ、何て言ったんだよ! エスラペント語?」


「ルッサゴ」

 カイルはぼそりとそれだけ呟いた。


 直也はカイルが初めて自分の母国を示す様な事を教えてくれた事にも気付かず、馬鹿にされたとまたむっとし『何て言ったか絶対つきとめてやる!』と決心した。


 その後お互いに今日読んだ所の質問等をし、その日は終わりとなった。



 カイルと別れた後、直也は覚えた『ストゥピドゥ。ベレ ストゥピドゥ』の意味を調べ様と図書館に残り、ルッサ語の辞書を探した。


「ルッサ語、ルッサ語……」

 直也は本の背表紙を見ながら本棚の間を左に横歩きした。


 不意にどんと柔らかくぶつかり、見ると兎留場も同じ様に直也を見ていた。

「すみません」

 直也は慌てて言った。


「あー、こちらこそすみませんねー。本に集中しすぎました」

 柔らかく兎留場が言った。


「ストゥピドゥ」

 そんな声に驚いて見ると、兎留場のすぐ右に呆れ顔のカイルが立っていた。

 カイルもまだ帰らずに本を探していたらしい。


「なんだよ! また馬鹿にしただろ、分かんないと思って!」


 ふんっと鼻で笑うと、カイルは何も言わずに本棚に視線を戻した。


「あー直也君はカイル君と仲良いのですか?」

 兎留場は微笑みながら言った。


 直也は仲良いという言葉に(今のを見てどうしてそう思うのかな)と思った。


「……言葉を教え合ってるんです。俺がフルガ語教えて、カイルがエスラペント語教えてくれてるんです」


「そうですかー……」

 語尾を長く伸ばしてそのまま兎留場は本棚に視線を戻し、一冊の本を引き抜いた。

「さっきの言葉、この本に載っていますよ」


 出された古い小豆色の本を見ると、表紙には『すっごく楽しいルッサ語(浦路雅敏著)』と書いてあった。


直也は(雅敏って、院長先生と同じ名前だ)と思った。


「ありがとうございます!」

 直也は一瞬これで分かると喜び言ったが、はたと思い当たり聞いた。

「先生、さっきカイルが言った言葉の意味分かるんですよね! 教えて下さい」


「えー直也君。カイル君はフルガ語を勉強しているんですから、直也君もちょっとぐらいルッサ語を勉強してみた方がいいんじゃないですか? そうしたらカイル君の気持ちをもっと理解できるのではないでしょうか?」

 柔らかく言いながら兎留場は自分の言葉に納得した様にうんうん頷いた。


(そんなもんかな?)

 直也は疑問に思ったが素直に本を受け取り「ありがとうございます」と言って本を借りる事にした。


 直也は本を借り帰ろうとカイルを見ると、カイルはまだ真剣に本を探している。


「おーいカイル。じゃ金曜に!」

 思わず大きな声でカイルに手を振ると、周りにいた人にうるさそうににらまれた。


 カイルは小さく手を挙げると、小さく口を動かした。

 聞こえなかったが『ストゥピドゥ』またそう言われた様な気がした。

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