3-2

 次の日、直也が時間通りに正門に行くと、既にキリウが待っていた。

いつもの袴姿ではなく、ねずみ色のパーカーをはおり黒のジーパンを履いていた。

 対して直也は水色のパーカーにブルージーンズという格好だ。


 小走りにキリウの元に駆け寄り「キリウ先生、おはようございます」と直也はふざけて大真面目に頭を下げて言った。


「うむ、おはよう。水海君。今日も元気でなにより」

 キリウも大真面目に言った。

「ところで、休みの日は先生じゃなく好きな様に呼んでいいぞ」


「うん、じゃ兄ちゃん。今日俺ら何で留学生会館ってとこの歓迎会に行っていいん?」


「仲養の教員は大抵招かれるんだよ。行くのは少ないけどな。それでフルガ人の生徒も是非連れて来てくれって言われてるんだよ。俺のクラスの生徒がそこで暮らしてるんで、行ってみようかと思ってな」


「ふーん。家庭訪問?」

 直也の言葉に、キリウが答える。

「まあそんなもんだ」


「で、留学生会館ってなんなの? なんでそいつ仲養の生徒なのに学校の寮に入んないの?」


「留学生会館ってのはフルガへ留学しに来た生徒が集まる、寮と語学学校が合わさった様なもんだ。そこで暮らしながらフルガ語やフルガの文化を勉強したりするんだ。カイル――俺の生徒の名前だけど――も去年一年そこでフルガ語を勉強し今年仲養に入学したんだ。本人がまだフルガ語の勉強が必要だって言うから専門のフルガ語教師がいる会館に残ったみたいだぞ」


「ふーん。そこの生徒ってみんな仲養に来るの?」


「三分の一ぐらいかな。それ以外の生徒は、ある程度フルガ語が上手くなったら行きたい学校の側に引っ越すみたいだぞ」


「ふーん」

 一通り聞きたい事を聞出し、直也は初めてキリウの持つ風呂敷包みに包まれた御重に目を向けた。


「ところで兄ちゃん、それなに? もしかして自分で作ったの?」


「んー、これか?」

 キリウは嬉しそうに笑い言った。

「秘密だ。バーベキュー終わったら皆にお披露目するからなっ!」


「俺、集団食中毒なんてやだよ」


「なんだそれ! 俺には会場の皆が感激に涙し地に平伏す姿が見えるよ」


「何で美味しいもの食べて平伏すん? それってまずくて吐き気でうずくまってんじゃん」


 そんな軽口を叩きながら、直也はちょっとはしゃいでいた。

 院で人気者のキリウを独占している事が、キリウが本物の兄になった様で嬉しかったのだ。


 そんな風に歩いて行くうちに、二人はバーベキュー会場の留学生会館に着いた。


 会館は仲養学校の門から歩いて二十分くらいの街中にあった。

 芝生が密に生え揃い、木々が心地よさそうな影を作るその小さな公園の様な庭には、白いテントが設置され、その下にテーブルやクーラーボックス、その両脇にバーベキューセットと鉄板が用意されていた。


 すでに十人くらいの人がおり、忙しそうに玉ねぎを切ったり肉にタレをつけたり準備していた。


「町子先生!」

 キリウはテントの下で準備をしている三十代中盤のメガネを掛けた女性に向かって手を振った。


 キリウと直也がテントまで歩いて行くと、その女性はにっこり笑って言った。

「こんにちは、キリウ先生。と、君が直也君かな?」


「こんにちは」と直也も答え、簡単な自己紹介をした。


「わたし、総和そうわ町子まちこ。よろしくね。ここ、留学生会館でフルガ語を教えています」


「町子先生はな、仲養学校三年生を終わった時点で他の大学に入学して、それでフルガ語教師になったんだぞ。仲養入っても仲裁師になるのが全てって訳じゃないんだぞ」

 直也の様子を覗う様に見るキリウを見て、キリウは未だに直也に戦滅師になって欲しくないと思っているんだなと直也は感じ取った。


 直也は「よろしくお願いします」と町子に返答しながらも、キリウが言った事は聞かなかった事にした。


 そんな直也の様子を見てキリウは苦笑した。


「町子先生、俺等なにやればいいですか?」

 キリウは荷物を芝生の上に下ろし、パーカーごと腕まくりしながら言った。


 直也は一瞬眉を顰め、鼻に皺を寄せた。

 会館を探検したくてうずうずしていたのだ。

 直也は今まであまり色々な場所に行った事がないせいか、初めて行く場所に着くと探検と称して隅から隅まで見て周らないと気が済まないのだ。


「働かざるもの食うべからず!」

 直也の嫌そうな顔を見たキリウが、直也の頬を軽く引っ張って言った。

「探検はバーベキュー終わってからでいいだろう。大丈夫、会館は逃げないから」


 ここで何かを思いついた様に目を大きく開き、キリウは続けた。

「そうだ、カイルに案内してもらえよ」

 よっぽどこの案が気に入ったのか、キリウは一人でうんうん頷いている。


 直也はキリウのご機嫌振りに少しいぶかしんだが「えー…いいけどー」と言った。


「じゃ、キリウ先生、直也君、焼きうどん用の野菜を切ってくれる? 野菜はそこのダンボールに入っていて、包丁とかそこら辺にあるの使っちゃっていいから」  

 そう言うと町子はテントの影に置いてあるダンボールを指差した。


 直也はキャベツを切ったりしながら、ぱらぱらと集まって来ている留学生をちらちら見ていた。

 今まで直接外国人を見た事がなかったので興味津々なのだ。


 淡いピンクの花を慎ましやかに咲かせる桜の木の影で、留学生が一人、真剣な顔で本を読んでいた。

 その柔らかく逆立った、光の加減で銀色にも薄い金色にも見える髪を見て、直也は思うともなく、まだ穂の開ききっていないつるりとしたススキの穂を連想した。


 そうこうしている内に準備も終わり歓迎会が始まった。会場には五十人くらいの留学生と二十人くらいの大人がいる。直也ぐらいの歳のフルガ人らしき人はあまり見当たらない。


 テントの下のテーブルには、マリネサラダ、ポテトサラダ、豆サラダ、おにぎり、ハムと卵のサンドイッチ、それに何種かの飲み物が置かれ、そこにキリウが持って来た御重が並んでいた。

 テントの脇の大きな鉄板の上では山の様な焼きうどんが、バーベキューセットの上では串に刺さった肉やトウモロコシが美味しそうな匂いを放っていた。


 直也が左手の皿には豆サラダ、右手には箸とおにぎりを持ち、口の中を一杯にして肉が焼けるのをバーベキューセットの前で待っていると、キリウが直也と同い年くらいの少年を連れて来た。桜の下で読書をしていた少年だ。

 手にはまだ『御犬流忍術 入門編(御犬耕介監修)』という本が握られている。

 無理やり連れてこられたのか、長い足を持て余す様に歩き、不貞腐れた様な顔

をしている。


「ナオ、カイルだ。カイル、さっき言った、三組の、直也だ」

 キリウが様子を覗う様に二人を交互に見ながら言った。


「カイル君、よろしく!」

 直也は顔中笑顔にして言った。


「……よろしく、おネガいします」

 不貞腐れた表情を変えずにカイルも言った。


 直也は『愛想のない奴』とも思ったが、それよりもカイルの姿に注意がいった。


 つるりとしたススキの穂の様な髪、温度を感じさせない程白い肌、小さな頭に恐ろしい程に整った顔立ち。

 直也はちらりと、どこか御犬共樹に似ているなと思った。

 そしてそんな芸術品に宝石をあしらうかの様な、見る角度によって燃える火色や若葉の緑がきらめくブルーオパールの様な瞳。


 直也はカイルと自分を比べ、同じ人間でもこんなに色々違うもんなんだなーと驚きと共に思った。


「カイル。バーベキュー終わったら、直也の案内、お願いな」

 キリウは一言一言切る様にゆっくり言った。


 嫌そうに細い眉をしかめカイルはキリウを見上げたが、キリウは最後の一押しとばかりににっこり笑って「よろしくなっ!」と押し通した。


「……はい。ワかりました」

 しかたなさそうにカイルは言った。


 直也は、どこからきたのかとか何を勉強しに来たのとか聞こうとしたが、そんな気持ちはカイルの言葉に掻き消された。


「バーベキューがオわったら、ボクをヨんでください」

 そう言うとカイルは、おにぎり一つとサラダを申し訳程度皿に盛り、紅茶を持ってさっきまでいた木の下でまた本を読み始めてしまった。


「……兄ちゃん、俺、嫌われる様な事した?」

 カイルの態度にしょげて直也は言った。


「そんな事ないぞ。カイルはな、もの凄く本が好きで勉強熱心なだけだ。気にするな」

 キリウは直也の豆サラダで一杯の皿に肉と野菜の串刺しを二本乗っけた。

「肉、たくさんあるみたいだから食べ貯めしとけよ」


「兄ちゃん…なんかそれ貧乏臭い」

 直也はしょげたまま言った。

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