1-5

「直也、面接は放棄しろ。お前に仲裁師は向いてないよ」

 キリウは余裕の無い、懇願する様な口調で言った。


「どうして? キリウ兄だって戦滅師じゃん。俺もなりたいんだ!」

 直也は滅多に本気で怒らないキリウが怒るかも知れない事に恐れをなしたが、それでもやっと見付け出した自分が居たいと感じる世界を思い、必死で抵抗した。


「お前が苦しむのを見たくないんだ」

 キリウは尚もすがる様に言った。


「覚悟してる!」

 直也は一番同じ世界に居たいと思っている人物にそれを否定され、半ば自棄になって叫んだ。


 一瞬にしてキリウの表情が変わり、懇願する様な眼差が、直也が初めて見る敵対者に見せる様なものへと変わった。

「……どんな覚悟だ」


「怪我したり、骨折したり、もしかしたら死んじゃう事だって……」


「じゃあ、人を傷付けたり、殺す覚悟は? 例えば……俺を殺す覚悟は?」


「え……でも、もし俺が戦滅師になれても兄ちゃんと戦う事なんてないよ」


「あり得るんだよ。親友や大切な人と戦わなくてはいけない時だって……」

 キリウは何かを思い出すかの様に眉を寄せ耐える様な表情をすると、半ば脅す様に言った。

「……どうだ俺を殺せるのか?」


「殺せる訳ない!」

 直也は考えるまでもなく反射的に答えた。


「じゃあ面接を放棄して帰れ」


「嫌だ、俺は戦滅師になるんだ!」

 半ば叫ぶ様に直也は言った。


 そして一瞬にして、はじめはキリウと同じものを見てみたいだけだったのに、自分が今どれだけ本気で戦滅師になりたいと思いはじめているのかを実感した。


 人の役に立ちたい、必要とされたい――自分がその場所に居てもいい理由が欲しいから――言葉にするとその理由は簡単だ。

 しかし、施設に入れられたまま顔も覚えていない両親が何時か迎えに来るんだとすがる様に信じていた十年間、そして院の友人と喧嘩し「見捨てられたくせに!」とつめられ、ようやくその可能性に気付かされたのが三ヶ月前。


 直也はもう、待ちたくはなかった。

 ひたすら自分の価値を、存在を見出してもらう事を。


 キリウは直也を見据えると、上衣の懐から小刀を出し、鞘をはらった。

 そしてその刀身を持ち、柄を直也に向けた。


「面接を受けたいのなら、その覚悟を見せろ。ここで俺を殺せ。俺はお前が試験放棄しない限りここを通すつもりはない」

 キリウはトイレの戸を背に言い放った。


 直也はキリウの変わらない表情を見て本気だと悟り、後退った。

 キリウはそんな直也に詰め寄り、刀を手の内に押し込んだ。


 しかし恐怖で手に震えが来ている直也は、小刀を上手く持てず、落としてしまった。 

 カランという音がやけに大きく響いた。


 キリウは落ちて足下に来た小刀を拾い上げ、薄く笑いながら言った。

「そうだよな、誰だって犯罪で捕まるのは嫌だよな」


 陰を持ったまま濡れる様に輝く目が、ただ刀身を見詰める。

「じゃあ、俺を殺したくなかったら試験を放棄しろ」


 キリウは小刀を右手で逆手に持つと、上衣の懐を左手でぐいっと緩めた。

 へその十五センチ程上、胸骨のすぐ下を縦に走る傷跡があった。


 一瞬傷跡を掠める様に指先で撫でると、徐に小刀を同じ場所に突き上げる様な角度で皮膚に当てた。


 一条の赤い流れが音もなく生まれ、キリウはそれを見せ付けるかの様にゆっくりと首を上げ、直也を見詰めた。


 直也は何も考えられなかった。嫌々をする様に首を振るとさらに後退った。

 キリウは口元だけで薄く微笑み目を輝かせ、直也を見る事もなくさらに刀を進めた。


「嫌だー!」

 そう叫ぶと、直也はキリウに向かって行った。

 キリウの両手に握られた小刀を奪おうと、キリウの右腕を掴み全力でもって自分側に振り払おうとした。

 しかしキリウの腕はミシリと強ばるばかりで、小刀は依然キリウに刺さったままだ。


 キリウは小刀が刺さった箇所を、息を詰め見詰めるばかりで、直也の存在など忘れてしまった様に見えた。

 力ずくではどうにもならず、それでもなお流れ続ける血液に、直也は恐慌状態となった。


 頭を振り乱し、流れる涙もそのままに「嫌だー嫌だー」と最早意味のない言葉を叫び、キリウの二の腕に思いきり噛みついた。


 キリウは驚いた様に「なっ」っと声を発し、ようやく直也の方を見た。同時にキリウの手から小刀が滑り落ち、カランいう音がトイレに響いた。


「目を覚ませ、馬鹿者!」

 校長の声と同時にトイレの戸が開き、校長を先頭に御犬、キミドリが雪崩れ込んで来た。


 三人は時間になっても戻らないキリウと直也を不信に思い戸の外で様子を伺っていたが、キリウが刃物を持っている事に気付き、刺激しない様入る頃合を見計らっていたのだ。


 直也は驚きながらも、落ちた小刀を素早く蹴ってキリウから遠ざけた。


 呆然と突っ立ったままのキリウにキミドリが駆け寄り、傷の具合を確かめた。

「大丈夫です、命に別状はありません!」

 そう校長に向かって言うと、キミドリは操り人形の糸が切れた様にかくんとしゃがみこみ、泣きそうな声で言った。

「バカキリウ! もうしないって約束したじゃない!」


「……悪い、本当に刺す積もりはなかったんだけどな……つい」

 キリウは呆然としながら、未だ流れ続ける血を持て余す様にただ見詰めた。


 直也はキリウの傷が深くない事に取り敢えず安心したが、流れ続ける血を止めようと慌ててトイレットペーパーを取ろうとした。


 そんな中、キリウとキミドリの間に御犬が乱暴に割り込み、何も言わずに手に用意していた消毒液を傷口に吹き掛けガーゼで強く押さえた。消毒液とガーゼは、受験生用に備えてあった救急箱から持って来たものだ。

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