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 自分が仲養学校へ入ろうと決心するきっかけを思い出していた直也は、聞こえてきた声に意識を現状に戻した。


「なあ知ってるか? 単術試験の試験官に御犬おいぬがいるんだってよ、『十の至宝』の。あと、キミドリも」


 待機室の静けさと緊張感に満ちた空気に耐えきれなくなったのか、隣にちょこんと座っていた小柄な少年が直也に話しかけてきた。


 十の至宝とは、フルガの仲裁師の中でも特に優れた者に与えられる称号で、その数は十人、選ばれた者は一生遊んで暮らせる程莫大な年間契約金を得るが、その代わり自分の意志ではなく国に従って仲裁試合に出場しなくてはならず、国外へ出る事は観光旅行を含めて厳しく規制されている。


「え、そうなの? 受験案内には書いてなかったけど」いきなり話しかけられた事に驚きながらも、直也は言った。


「へへっ、そんなん案内に載るかよ」少年は得意そうにそう言うと「俺の姉ちゃんが教えてくれた。ここの生徒なんだぜ」と声をひそめて言った。

他に部屋でしゃべる者がいない静寂の中で、それは全く意味をなさなかったが。


『凄いだろ』と言っている様な表情の少年を見て、対抗心から直也もとっさに仲養学校で教師をしているキリウの事を言おうとしたが『俺の』、肉親の兄だと言えない事に気付いて言葉を飲み込んだ。


先日御犬が出場した調停試合の事を直也が思い出しかけた時、部屋の扉が開き、受験案内係が次の受験生の名を呼んだ。

「水海直也君」 


*        *        *


 新緑香る初夏の頃、フルガ国立仲裁場、仲裁師控え室に三人の男女が集まっていた。仲裁師用に揃えられた、控え室と言うより高級ホテルのスイートルームと呼んだ方がいい様な豪華な部屋の中、三人はある程度距離をおいてソファに座っていた。


「あと一時間もしないうちに仲裁試合始まるってのに、御犬はともかく、参謀まで来てないのってありな訳?」

 黒髪、ベリーショートのキミドリが言った。体格から顔の作りまで全てが小振りなのに目だけが大きく吊り上がり、悪戯好きな仔猫を思わせる。頭全体を覆う事ができるトルコ石色のベール付きカチューシャをしており、今は顔側のベールだけ上げられている。


「キミドリ、始まる前からそんなにカッカしていたら試合前に疲れてしまいますよ」なだめる様なゆっくりとした声で、遊馬ゆめ一夜いちやが言った。「ねぇ春雪はるゆき


 遊馬の目の周りから鼻にかけて白い陶器製の仮面で隠されたその姿は不気味だが、丸みを帯びながらも肉の薄い顎と、口角がきゅっと上を向いた形良い唇により、どこか道化じみた雰囲気を醸し出している。濡れた様に艶やかな黒髪は、長い前髪を額の中央で浮かす様に分けられ、緩やかに両耳まで流れている。全体として、男性の髪型としては長くもなく短くもない程度だ。


〈どうか、今はわたしに構わないで下さい〉

国際共通語であるエスラペント語でそう固く答えると、春雪は席を立ち控え室の一角にある簡易キッチンに向かった。


 その出で立ちは、白い長着の内側に短い襟が立ったシャツ、下は黒い袴と言った、まるで一時代前の書生の様なものだ。そんな中、腰に差したフルガ刀の長刀と脇差し、烏面――目から鼻までを隠し鼻の線に沿う様にくちばしが突き出た黒い漆塗りの面――が異様さをかもし出していた。長めの黒髪は黒い髪紐で後頭部の中央で一括りにされ、眉をやや超える長さの前髪はきっちりと中央で分けられている。


 そこで控え室のドアが開き「よう」とやる気のなさそうな声と共に右腕をだるそうに挙げた一人の男が入って来た。


 その男も顔の一部をごつく暗い金色のゴーグルで隠していたが、それは今子どもに大人気のスパイスレンジャー、その中でもニヒルな笑みで特に人気の高い『マスタードからし』と同じ物だった。

しかも顔の左半分を襟元まである後ろ髪と同じ長さの前髪で隠すという怪しいなりをしていた。そんな中服装だけは辛うじてまともで、仲養学校教師用のスーツの様な標準服を着用していた。


「参ぼ…」

「カラシ!」

遊馬が発した声を潰す勢いで、キミドリが叫んだ。


「あんた、今何時か分かってる? 二時よ、二時! あと一時間で仲裁試合始まるのよ! 最終調整するって言ったのあんたでしょ!」

 参謀またはカラシと呼ばれた男は、うるさそうにキミドリをいちべつすると、遊馬と春雪に向かって「わりーわりー。じゃ早速始めるか」と言った。


因みに『カラシ』とはキミドリがゴーグルに掛けてそう呼んでいるだけで、参謀はその姿で一度も名乗った事がない。

 キミドリはしばらく参謀を睨んでいたが、ふぅっと溜め息を吐くと肩をすくめた。


「今日はしらふみたいね」

キミドリはふわりと笑みを浮かべると、「ありがとね」と小さく付け加えた。


「へっ、おかげでまったく眠れやしねーぜ。やっぱしらふは体にわりーな」

参謀は目に見えて赤くなりキミドリから視線を反らせ、茶化す様に言った。


〈御犬さんがまだ来てないのですが〉

一連のやり取りを変わらぬ表情で傍観していた春雪が、話を進めるべく言った。


 そこで急に四人が立っているソファの側に影が走り、ストッという音と共に片膝を付きしゃがんだ姿勢で忍者の様に指を組む一人の男が現れた。


御犬おいぬ共樹ともき、見参‼」


 他の四人と同じく二十代後半に見える長身痩躯の男は逆立った硬い髪をし、仲裁師にしては珍しく素顔を覆い隠す物を何も身に付けていなかった。

多少垂れ目ながらもフルガ人にしては珍しい彫りの深い、確かに隠すのが惜しい様な整った顔立ちをしているが、テレビで放映される等で姿が公になる仲裁試合で素顔をさらす事は、職業上敵を多く作ってしまう仲裁師にとって私生活でも命を危険にさらす様なものだ。


 天井を見ると、御犬の頭上の天板が外れていた。御犬はそこから降り立ったらしい。


「見参じゃないわよ! あんた今までわたし達の事盗み見てた訳? 悪趣味って言うか、ストーカー行為で警察に突き出すわよ?」とキミドリ。


〈どこから見ていたのですか? まさか……〉

春雪が言いかけ、御犬はその先を言わせない様に慌てて言った。


「いやいやっ、誓って更衣室は見てないよ! 来たのだって春雪とキミドリがこの部屋に入った後だし!」


「で、何で天井裏にいるのよ!」とキミドリ。


「いやー共に命をかける仲間の事を良く知ろうと思って。あんたら四人はお互いの素の姿を知ってるみたいだけど、俺だけ知らないし。って言っても素の姿分からないのって春雪だけだけどねー」

御犬はそう言うと、春雪を見てにやりと笑った。

「十一番目の『秘宝』。……まあ、そのうち突き止めますよ」


 春雪はそんな御犬に表情一つ変えず、先を促す様に参謀に顔を向けた。


 片方の口角だけ上げ笑うと、参謀はそれまでのだるそうな様子を一変させ言った。

「最終調整並びに作戦の確認を行う」


 明らかに場の空気が変わった。

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