第12話 わがままとありのまま

 羽沢くんは目をキラキラさせて私が作ったクッキーを見ている。それはもう、眩しいくらいに純粋な表情で。


そんな顔されたら私の口角だって勝手に上がっていって、体の芯がなぜだかじんと熱くなる。


「では、いただきますね」

「は、はい……つまらないものですが」

「僕にとってはつまるものです。この上なく」


 クッキーの入った袋を掴む力が弱くなり、あえなくクッキーは羽沢くんの元へ渡ってしまう。少しばかり抵抗してやろうと思っていたのに彼の言葉は私にとことん効果抜群なようだ。


 羽沢くんは丁寧にラッピングをほどき、手近にあったクッキーを一つひょいとつまんで見せた。しかし、中々口元に運ぶ様子はなく、物珍しそうに観察している。


「ねえ、なんですぐ食べないの?」

「いや、谷塚さんが僕の為に作ってくれたクッキーですよ? 舌だけに楽しませるのも癪にさわるじゃないですか」

「どういうこと! 舌と自分を別個体と認識してるの!? 一思いに早く!」

「え、あんた私たちもいることわかってる? なんでここでそういうプレイみたいなの見せられなきゃなんないの?」

「それは流石にマイさんの想像力が豊か過ぎますね。そんな意図ないですよ」


 マイさんが茶々を入れてくるが、それに応える余裕がない。そんな恥ずかしそうにしてる私を見かねてマミちゃんがスッと立ち上がる。


「マミちゃん?」

「私たち下いってる。この感じじゃお邪魔でしょ。行くよ」

「え、お姉ちゃんは面白そうだからもうちょっといたいな~」

「お姉ちゃんは夕飯の買い出し行ってきてよ。邪魔だし」

「あ、マミちゃんたら私にやつあたり? 大好きなお兄ちゃん取られちゃうもんねそりゃ心中穏やかじゃ……はい、あのすいません行きます行きます」


 私のアングルからじゃ見えなかったが、マミちゃんの顔(恐らく鬼の形相)を見て、マイさんはおとなしくなり、一番に部屋から出ていった。


 最後、マミちゃんが部屋のドアを閉める時、少し動きを止めて、


「いい加減、決着付けなよ。今変わらないといつ変わるの」


 それだけ言い残してパタリとドアを閉める。


「え、今のどういう意味? なんかありえない話してなかったですか?」

「うんうん、至って普通の会話しかしてなかったと思うよ。強いていえば妹の気持ちをなーんにもわかってあげられないお兄ちゃん最悪、ってとこだね」

「普通とは!? 日本語って改めて難しい……」


 ますます当惑する羽沢くんがなんだかかわいく思えてきた。マミちゃんには悪いが今日は私の為にみんなが用意してくれた舞台だ。いつまでも及び腰でいるわけにはいかない。


「いいからいいから。早くクッキー食べてみて」

「お、それではお言葉に甘えましていただきましょうかね」

「クッキーだけに甘い?」

「ちょっと、流石にうっとうしいかと思って言うの我慢したのに」

「うん、そうだと思った」


 私はテーブルに両ひじをつけ、両手に顔をのっけてまじまじと観察してやることにした。


「なんですかそれ、まるで可憐に咲き誇る一輪の花のようじゃないですか」

「うん、いいから食べて」

「あ、はい」


 羽沢くんは今までじっくりと眺めていたクッキーをあっさり口に放り込む。サクサクと乾いた音が部屋の中を支配し、噛めば噛むほど羽沢くんの顔が綻んでいった。


「谷塚さん」

「なに?」

「僕はこの瞬間の為に生まれてきたのかもしれません」

「絶対そんなことないと思うけど嬉しいわ、ありがとう」


 長い咀嚼の後に何を言うかと思ったら――この人は本当に予想だにしないことを平気で言ってくる。


「これって、残りも全部食べていい感じですか?」

「お好きにどうぞ」


 パァっと笑顔を輝かせ、羽沢くんはまた一つクッキーをつまんで物珍しそうにしばらく眺めながら口の中に入れる。


 クッキーなんて作ったことなかったので中々加減がわからず、焦げかけているものや形がいびつなものだってある。そんなところでさえ、彼にはよりプラスに働いているようで不安で渡せなかった自分を笑い飛ばしてやりたいくらいだ。 


 ――私が一輪の花だとしたら、あなたは煌々と照りつける太陽のようだわ。


 いくら嫌なことがあってもあなたの顔を見るだけで私の心は澄みきっていき、今日はいい日だったなと寝る前に振り返ることができるのだ。


「めっちゃ嬉しいです。ありがとうございます」

「え、うそなに、もしかして声に出ちゃってた!?」

「はい、嬉しすぎて危うく心臓止まるところでした」

「っっ……!!」


 迂闊だった。恥ずかしさのあまり顔を手で覆うが、伝わる熱の感じからして火が出そうなくらい赤面してしまっている。


「谷塚さん、そのままでいいので聞いてください」


 羽沢くんはクッキーを口に運ぶのをやめてクールダウン中の私に優しく語りかける。


「ここまで状況を用意していただいて、僕も覚悟が決まりました。あなたへの思いを今一度伝えようかと思います」

「……ダメよ。私、なんて言ったらいいか」

「まだ何が好きかわからない、ですか?」

「そうだけど、そうじゃないの」

「そうだけどそうじゃない?」



羽沢くんは私の言葉を反芻して考え込む。なんてめんどくさい奴なんだと我ながら呆れてしまう。ただここまで言葉を濁すのにもそれなりの理由があるのだ。


「羽沢くん、私、あなたのことが大好きよ」


 ただここまで腹を括って貰ってこれ以上はぐらかすのは不誠実にも程がある。やっと顔から熱が覚めていくのを感じ、顔を覆っていた手を外し、しっかりと彼の目を見つめる


「顔も声も話し方もふとした仕草も笑い方も全部――あなたが思っている何倍もあなたのことを知っていて、あなたが私のことを思う以上に私もあなたのことが好きっていう自信がある」


 伝えれずにいた思いをぶつけるのは思いの外、緊張せずむしろ言葉を紡いでいくほどにリラックスしていくのがわかった。


「そんなに言っていただけるなんて……」

「そう、知らなかったでしょ。あなたの好きなところをあげればキリがないわ」

「じゃあなんであんなことを」

「好きだけど何が好きかわからないっていうのは、私じゃなくて――あなたのことよ」

「……え?」


 羽沢くんは口をあんぐり開けて数回瞬きする。


「あなたが私のなにを好きなのかわからないってことなの」


 羽沢くんは間違いなく私を好きでいてくれている。クラスの女の子たちとは気さくに話すのに私とは最近まで目も合わせてくれなかったし、話すときも最低限の事務的なものですぐに切り上げようとしていた。


 私もそこまで積極的に話をする方でもないし、疎ましく思われても仕方ないと割りきっていたが、それが最近になって好きであることの裏返しだと気づけた時は思わず叫びたくなるほどに舞い上がったものだ。


 私のことをノートにしたため、それが数冊に渡っていることも最初こそ驚きはしたがそれを気持ち悪く感じずむしろ嬉しいとまで思えるくらい、私も彼という沼にどっぷりはまってしまっているのだろう。


 だが、それでも――幾度かの時間を二人で過ごしてそれを心地よいと思えても、彼の私への過剰な気持ちの根源が未だ見えてこずにいた。


「羽沢くんが私のことを好きでいてくれるのは十分理解してる。それは本当に嬉しいし、すごい感謝してる。ありがとう」

「いえいえ、お礼を言われたくて好きでいるわけじゃないですよ。好きな人と一緒にいると僕も楽しいのでむしろ好きにさせていただいてありがとうです」

「またそういうことを平気で……」


 彼の言葉の攻撃力の高さに怯みそうになるも、かぶりを振って体勢を立て直す。


「でも、さっきも言った通り、私は気丈に振る舞ってるだけでそこまでたいした人間じゃない」


 勉強も授業だけではついていけず、授業終わりに先生に質問したり、家で泣きそうになりながら復習してやっと上位陣に食い込めるくらいだ。スポーツもてんでダメで日課のランニングがなかったら持久走や徒競走は黒歴史になっていたことだろう。


 見た目だって、自分でどうしたらいいかわからず、マイちゃんやマミちゃん、サクラに着せ替え人形のごとく扱われ、なんとか取り繕っている状態だ。


「誰だって世間体は気にしますよ。自分をよく見せようと思うことは別に卑怯じゃないです」

「そうだけど、あなたは私の取り繕っている外側の部分じゃなくて、内側の――ありのままの私を好きでいてくれるでしょ? それが理解できないの」


 思いの丈を吐き出し、体の力が抜けていく。自分が中々におかしいことを言っているのは承知している。承知しても尚、このもやもやしているものを飲み込んでおけるほど、私はお利口ではないのだ。


「なんとなくは、言いたいことがわかりました。でも、それを言い出したら谷塚さんが僕を好きでいてくれるのも、いわゆるありのままの素の部分じゃないないですか」

「それは羽沢くんがそもそもいい人だからでしょ」

「なにを言ってるんですか。自分で言うのもなんですがちゃんと普通じゃない変態寄りの人間だという自覚はありますよ」

「誇らしげに言うことではないわね。でも、あなたはとても素敵で私にとって太陽みたいな人よ」

「え、また心の声出ちゃいました?」

「今更恥ずかしがっても意味ないでしょ? それに今回はちゃんと言おうと思って言ったから。羽沢くん、私があなたのことを好きになったのはね、なにも最近じゃないのよ」

「最近じゃない?」


 そうね、もう今更隠してても仕方がない。ここまで話してしまったのならいっそ言ってしまった方がいい。


「そう、あれは5年前のちょうど今くらいの時期」


 もうどうにでもなれ、と私は羽沢くんを好きになった頃の話を語り始めた。

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