第10話 侵入と理由
「おかえり」
「……久しぶりに聞いたな」
階段の踊り場から再び二階に生還した俺を、未だに腕を組んで見守る妹。うちの階段にはこういう時の為に角にクッション材が付いているが、それでも当たりどころが悪ければ死んでるぞ! こいつ土曜サスペンスとか見たことないのか!?
「今のおかえりは階段からってこと」
「ほう、まあいいよ言ってくれるだけで。ただいま」
家に帰ってきたことではなく、あくまで階段から転げ落ち戻ってきたことに対してだという。だが、ここ数年妹からそんな言葉は聞かなかったので普通に嬉しい。
「そう。じゃあいってらっしゃいも聞いとく?」
「また別の機会でな。流石にお兄ちゃん死んじゃうぞ」
片足を上げ、蹴りのモーションに入ろうとするので俺はとっさに吉田さんの近くに移動し、難を逃れる。これなら吉田さんも巻き添えになってしまうから落とすことはできまい!
吉田さんは鬱陶しそうにしているがこっちだって命の危険が迫っているので離れるわけにはいかない。
「ちょっと、いつまでやってるの?」
階段の頂上付近で冷戦状態を保っていると、もう一人の声が近づいてきた。
「お姉ちゃん」
「マミさん。こんにちは」
「あら、サクラちゃんいらっしゃい」
姉のマミがパタパタとスリッパの音を立てやってきた。吉田さんが軽く会釈すると姉は満足そうに頷いた。
「えっと、そちらは?」
「あなたの弟です。こんにちは」
「そ、そう。弟……私に?」
さも初対面かのようによそよそしく接してくる姉。首をかしげ、記憶を辿っているようだがやがて申し訳なさそうに、
「ごめんなさい。私に弟はいないみたい」
「記憶をなくされたみたいですね。かわいそうに」
「そうなのかしら。じゃああなたに相当ショッキングなことされたのかもしれないわね」
「そんなことないと思いますけどね」
「たとえば、そう……帰宅、とか」
「記憶なくすまでのハードル低すぎんだろ!」
それでショック受けて記憶なくしてたら卒業文集のプロフィールに「趣味:記憶喪失」とか書けるレベルだぞ。
「そんな大きな声出さないで。普段この家に男の人はいないから余計怖くなっちゃうの」
「俺はともかくとして愛娘にそんなこと言われたら親父泣くぞ」
姉は自分の体を抱いて、不安げな顔をする。
「お、親父? ってことはお父さん? うちにそんな人いないけど」
「ちょっとマミさん、話をこじらせに来たんですか? マイちゃんもいつまでもそんな顔してないで早く行かないと」
しびれを切らした吉田さんが割って入り、久しぶりに本題へと話が戻った。そうだ、俺は逃げた谷塚さんに会うためにここにいるんだった。
姉は「はーい」と間の抜けた返事をし、妹は不満げながらも踵を返して姉妹の部屋の方へ向かっていく。
部屋の前に着くと姉は「入るよー」とコンコンとノックしてからドアを開け中に入る。それに吉田さんと妹も続く。
「なに、入らないの?」
「いや、そういうわけじゃないけどさ」
中々入ってこない俺に妹が部屋からひょっこり顔だけ出して聞いてきた。中にはきっと谷塚さんがいるのだろう。谷塚さんに会いたくてやってきたが、いざ会うとなると少し緊張してしまう。
「別に私は入ってほしくないからいんだけど、いいんだそれで」
「いや、入る入る閉めないで!」
閉められ始めたドアにギリギリ手をつっこんで制す。ちょっと手がはさまれて痛かったが泣き言を並べてる場合じゃない。俺は意を決して部屋の中に侵入した。
中は二人の部屋ということもあって俺の部屋よりかなり広く、ベッドが両脇に置かれており、真ん中に丸テーブルがあってそこにつつましく座る谷塚さんの姿が確認できた。
入ってきた俺を見た谷塚さんがばつが悪そうな顔をして、体をちぢこめて下を向いてしまう。
「はい、私こういう気まずい空気きらい! なんかバカみたいな曲流していい?」
パンと両手を合わせた姉が何を思ったのか日曜夕方にやってる某国民的アニメのオープニングを流し始めた。
あまりにもこの状況ににつかわしくない音楽になにも言えない俺たちだが、それに反して姉はノリノリで曲を楽しんでいる。
「あの、マミさん。この曲は長い間愛されていていろんなアーティストもカバーしてたりとすごく素晴らしい曲なのでバカみたいってのは違うと思います」
「サクラちゃん絶対そこじゃない。……ちょっと、なに黙ってんの」
妹はきっと鋭く俺を睨み付けてくる。
「写真のこと、聞きそびれたままなんでしょ」
「お前、知ってるのか」
「その為に用意した場なんだから。ほら」
妹は姉から携帯を取り上げるとサビにさしかかった音楽を止める。姉は取り返そうと必死だが、妹に顔を押さえつけられて為す術がない。
「あの、谷塚さん……」
俺が口を開くと谷塚さんはびくっと驚いた。
「この前の土曜日――谷塚さんを見たという人がいて……。それだけなら別にいいんですけどなんというかその、服装も見かけたという場所も僕とデートした時と同じでして……いったいどういうことなのかなって」
たどたどしく紡いだ俺の言葉を聞いて、谷塚さんは諦めたようにふう、と一つ息を吐き、顔を上げた。その目はまっすぐに俺を捉えている。
「ごめん、羽沢くん。私、けっこう今まで嘘ついてた」
「嘘っていうのは、その……僕のことを好きじゃないっていう」
「それは好き! そこだけは間違いない! 間違いないの……」
姉がニヤニヤして指笛でもしようかというところですかさず妹と吉田さんが止めに入る。
「でも、そこじゃないところはけっこう、嘘っていうか、無理してる部分が多かったっていうか……土曜日のこともそれがあって、」
「もういい。私が話す」
「マミちゃん?」
妹が俺たちの間に割って入る。色々整理がつかず混乱している谷塚さんに「心配しないで」と声を掛けてから俺の前に近づく。
「よっちゃんからやっちゃんのこと、大体は聞いてるのよね?」
「ああ、まあ」
たぶんよっちゃん=吉田さん、やっちゃん=谷塚さんだ。こんな時に駄菓子の話なんかするわけないし。谷塚さんが前々から俺のいない時間帯にこの家に頻繁に来ていたことを言っているのだろう。
「なら話は早いわ。写真が撮られたっていうその土曜日だけど、やっちゃんはお姉ちゃんと一緒にいたの。その帰りに撮られたんだと思う」
「そう、なのか」
姉を見ると「いえい」と目元に手を持っていってピースをしていた。やっと出番が来たと隅に追いやられていた姉はみんなが集まるテーブルにやってきて事の顛末を話し始めた。
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