第8話 妄想と逃走

 「いやー、それにしても今日は宿題が多すぎやしないかい? 先生たちはその辺を示し合わせて、各クラスのその日の宿題の量を把握しておくべきだと思うんだ」



 放課後の教室に谷塚さんの愚痴が響く。俺は軽く相づちを打ちながら話を聞いているが、さっき能崎から告げられた言葉が頭から離れないでいた。


◆◆◆


「で、デートだと? この写真からなんでそんなことがわかるんだよ」

「お、やっと事態を飲み込めたか。まあまあタイムラグあったぞ」


 能崎の衝撃の発言に数十秒の間を空け、やっとの思いで脳の処理が追い付いた。ただ混乱しているのには変わりはない。


「わかる。デートだと断言したくないのは。ただここをよく見てくれ」


 能崎は谷塚さんのバッグを見るように言う。なんの変哲もないバッグだが、よく見るとなにかがチラリとはみ出している。


「それはな、恐らく手作りのクッキーだ」

「得意気に言うな気色悪い」


 でも確かに、言われてみればそう見えなくもない。見切れている紐はラッピングされたリボンに見えるし、黒っぽく見えるのはチョコのクッキーだろうか。


「休日・おめかし・お手製クッキー。これら三つの線が交差する先は一つしかあるまい。ズバリ彼氏とのデートだ」

「どうしてそんな自信満々な顔ができるんだ犯罪者予備軍め。未成年でよかったな」

「毎日人に見せたらアウトなノートをしたためてる奴に言われたくない」

「……っ!? な、なんで知ってる!? どうしよう、お前を殺したら解決するのか?」

「ますます罪が重くなるだけだ。大丈夫、そんなことみんな知ってるから」

「どうやらお前と俺じゃ大丈夫という言葉の解釈が違うらしいな」

「そんなことはさておいて、問題はデートの相手だ」


 能崎はケロッとした顔で逸れた話題を本線へ戻す。どうやら罪の意識が微塵もないらしい。罪悪感なき悪事が本物の悪だということを今度みっちり教えてやらねばなるまい。じゃないと本当に将来が危うい。学校は道徳の授業にも5段階評価を付けるべきだ。


「学校一の美少女かつ才女の谷塚さん。彼女は今まで浮いた話はおろか出身中学ですら特定できずにいた。その彼女のスキャンダル。そしてその相手とは……どうだ、興味が湧いてきただろう?」

「お前なんでそんなに熱心なんだよ。もしかして好きなのか? それか新聞部入ってて記事になるとか」

「なわけないだろ。俺は純粋な興味だけで調査している」

「そんなわけあってくれよ」


 好意でもなく、部活の一環とかでもなく、ただただ興味があるだけで探っているとはもう尊敬さえ感じてしまう。


「もちろん協力者もいるぞ。ほらあそこに」

「もちろんじゃねえよ。やった、助かるぜとか言われると思ったか」


 教室後方にいる協力者こと野泉は時代錯誤の真四角のメガネをキラリと光らせ「待ちくたびれましたよ」みたいな顔をしている。


「待ちくたびれましたよ」


 渋々、野泉の元へ行くと予想の範囲内のセリフが飛んでくる。アレンジしろ自分の色を出せ。どうせ写真を撮ったのはコイツで、解像度をあげてバッグからはみ出たクッキーを特定したのもコイツだ。


 野泉はその後も俺の想像の範疇を越えない言動で状況を整理していった。たまに「ウヒヒッ」とか変な笑い方するし、猫背だし、言わなくてもわかるかもしれないが出っ歯だ。


ただ一点だけ、予想外だったことがあった。


「で、野泉はなんでこんなことしてるんだ? お前も谷塚さん信者なのか?」

「いやいや違いますよ。こういうのが好きなだけです」

「お前もか、生粋の野次馬が」

「ん、野次馬? なにか誤解しているようですね羽沢氏。僕は人の恋路が無惨にも砕け散る瞬間が好きなんです」

「ほう……具体的にどういう?」

「羽沢氏の恋があっけなく終わり、絶望する表情が見たいだけです」

「おいきょとんとした顔すんな。非リアの鑑か。この年齢=彼女いない歴め」

「ほっほっ、そんな罵倒効きませんとも。自分もそうでしょうに。反動でダメージくらうだけですよ」


 ぐうの音も出ねえ。せめて拳でも出そうと思ったが、虚しくなるだけだ。

 

「それで、その肝心の相手ってのは見つかったのか」

「ああはい、それがですね……まだ特定に至ってはないんですよ」

「なんだ、やっぱ気になるか? 恋敵の存在が」


 能崎に肘で小突かれ軽くよろける。ふいに目に入った時計を見るとまだ朝のホームルームが始まるまでだいぶ時間がある。いつも遅刻ギリギリの能崎がこんな早くから教室にいるのはおかしいなと思ったがこういうことだったのか。


 教室内ではクラスメイト達がまばらに集まり談笑しているので、谷塚さんまでこの会話が聞こえることはなさそうだが、さっきからチラチラこっちを見ているので放課後なにか聞かれそうだ。今の内にていのいい言い訳を考えておかねば。


「そもそもこの谷塚さんの写真は俺のとこに送られてきたものなんだ。それも匿名で」

「は、なんだそれ。てっきり野泉が日課のストーキングで激写したもんかと」

「ぼ、僕は能崎くんから送られてきた画像を調べただけです! そんなこと日課にはしてません。たまにはあるかもですけど」

「え、マジかごめん冗談で言ったんだけど」

「別に驚きはしないけどやってても人前で言うなよ野泉」

「ちょっ…渾身のボケですよ~。お二人とも人がいいんだから。え、嘘ですからね? そういうことにしといてやろうみたいな感じ出さないでください!?」


 野泉の必死の反論に俺は哀れみの目、能崎は「話を進めろ」とあごをしゃくる。これ以上話しても逆効果と悟った野泉はぶつぶつ言いながら携帯をスワイプする。


「送り主は不明で、送られてきたのはこの一枚だけ。なにかのいたずらかと思ったんですが写真に加工された形跡はありませんでした。羽沢氏、なにか心当たりなどは?」

「そっか、心当たり……うーん、そうか」


「は、なんだお前。その思い当たる節あるけど言い淀んでる感じは」


 鋭い指摘が入り、ビクッと体が動いてしまう。能崎め、こういう時の勘のいいことよ。


 そうだ、あまりの事態に動揺して冷静さを欠いていたが、普通に考えてこれは俺とのデートへ向かう道中に撮られた可能性が高い。クッキーは貰った覚えはないが、服装はこの前のデートの時と同じである。よく見たらこの場所もデートしたショッピングモールの付近だ。


 谷塚さんと交流があることは秘密にしている為、多少ためらう部分はあるが、ここまで熱心にデートの相手を探しているこいつらに黙っておくのもかわいそうだ。


「デートの相手俺なんだよ。すまん、言うの遅くて」


 恐る恐る二人の顔を見ると、ゆっくりと顔を見合わせて再び俺の方を見る。表情は段々驚きから同情めいたものに変わっていき、手が伸びてきて俺の肩にポンと優しく置かれた。


「わかる、気持ちはわかる」

「現実逃避ではなく、改ざんに走るとは。流石羽沢氏、見上げたものです」

「おいベタな返ししてんじゃねえよ。俺が冗談でこんなこと言うかよ」

「正気だったら、な。今日は早退するか?」

「その方がいいかもしれないです。精神的にダメージを受けすぎました、先生には僕から伝えておくので」


 なんとなく予想はしてたけど全く信じてもらえてない。やっぱり言わなきゃよかった。ホームルーム始まる前に早退とか早退すぎるだろ。


「違う! マジなんだって!! 服装だって写真と全く同じだったし待ち合わせもこのあたりだ。えーっと、ほらこれ」


 なにか証拠を出さねばと考えていると映画の半券が財布に入っていたのを思い出し、二人に見せる。


「お前、これ男女で見に行くやつじゃねえか。一人で行ったのか。頑張ったな」

「そうじゃなくて! お前の言う通り、二人で見に行ったんだよ谷塚さんと」


 必死になって主張するが信じてもらう決定打になりえない。こんなことならツーショットでも撮っておけばよかったと思うが、そんな勇気は持ち合わせていないので後悔するだけ無駄だ。


「ん、というかこれ、日曜日のものですよね」

「ああ、そうだけど」


 映画の半券を観察する野泉は難しい顔をしている。なんだ、なにが言いたいんだ。


「そうすると、ますます羽沢氏の発言が怪しくなってしまいます」

「は、なんでだよ」

「だって、谷塚さんの画像が送られてきたのは土曜日なんです。ですよね能崎氏」

「ああ、まあな」

「……は?」

「羽沢氏の言うことが仮に本当だとしても、日曜日の写真を前日の土曜日に送りつけることなんて不可能です」

 

 野泉の言う通りだ、そんな芸当できるはずもない。ということはなにか、俺の行きすぎた妄想がついにアウトな部分まで進行してしてしまったのか? 


「落ち着け羽沢。その感じからしてどうやら全くの嘘ってわけじゃないんだろう? そしたら一度本人に聞いてみればいい」


 能崎とは長い付き合いだ、狼狽する俺を見かねて心配してくれる。


「……だな。そうしてみる」

「おう、なにかわかったら教えろよ。というか今聞きにいけ」

「今はちょっと。放課後になると思う」

「そうか。まあ焦っても仕方ないな。わかった、みんなには教室からすぐ出てもらえるようにそれとなく手回ししとくわ」

「ありがとる、助かる」


 放課後は基本、みんなすぐ出ていくのでそこまで手回しする必要はないと思うが、能崎の気遣いがただただ嬉しかった。


「気にすんな。いつものことだ」


 と、ここで予鈴が鳴り、みんな各々の席に戻っていった。


◆◆◆


「ちょっと羽沢くん聞いてる?」


 おっといけないいけない。今は谷塚さんと放課後の教室。自分の世界に入り込んでしまっていた。


「あ、すいません。谷塚さんが宿題の量を調節するよう、先生たちに掛け合ってくれるとこまでは聞いてました」

「なにそれ言ってないよ! なんなら話進んでるじゃん、私会話一個飛ばしちゃった!?」

「違いましたっけ? ああ、谷塚さんを筆頭に宿題ボイコットする運動をしようって話をしてましたね」

「それも言ってない! そんなめんどくさいことするなら黙って宿題してた方が楽!」

「それは残念です。僕は宿題する派にまわることで、相対的に先生たちの評価を上げるつもりだったのに」

「最低だ、せめて一緒にボイコットしようよ。いや実際にはしないんだけどね。なにもそこまで宿題を目の敵にしてるわけじゃないし。ただ、こんな明日になったら忘れてしまってるようなどうでもいい話を好き人と話したかっただけ」

「危ない! ちょっとこっち見ないでください!」


 谷塚さんと目が合いそうになったのでとっさに手で顔を覆う。


「急にどうしたの? それ私もした方がいいの? いないいないばあ的な?」

「しなくていいので今の自分の言葉を反芻してください。その間にクールダウンするので」


 あまりに強烈なセリフをノーガードってくらってしまったので照れてしまう。これで目を合わせようものなら脳のキャパを越えて発狂してしまう恐れもある。


「あ、私だいぶ恥ずかしいこと言ってるね」

「やっと気づいてくれましたか。気をつけてくださいね」


 一息ついて落ち着くと、今さら照れだした谷塚さんに恐る恐る話を切り出すことにした。


「谷塚さん、突然ですけど一つ聞きたいことがありまして」

「質問? 私に?」

「ええ、まあ」

「なんだい? 基本的になんでも答えるよ。むしろ一つで大丈夫かい? この際だからたくさん質問してくれてもいいよ」


 谷塚さんはなんだか嬉しそうにして俺の顔をのぞいてくる。


「いえ、とりあえずは一つだけ」

「つれないなあ。まあいいや。どんと来たまえよ」


 腰に手をあて、仁王立ちの谷塚さん。ここまで歓迎ムードを出されると言い渋っていた俺の口もなんとか言葉を紡ぐことができた。


「この前の土曜日、谷塚さんを外で見たという人がいるんですけど、なにをしてたのかなあっていうのがちょっときになりまして」

「……ど、土曜日? なにそれそんな曜日あったっけ?」

「一週間の内、個人的に一番テンションの上がる曜日です」

「ええ、初耳だなあ。私は月火水木金日で生きてるから」


 言い終わる前から、明らかに谷塚さんは動揺していた。目は泳ぎ、額に冷や汗をかいている。


「そんな人いません。カレンダーの数字が青くなってる曜日です」

「うちカレンダー置いてないのよね。いつも勘で曜日判断してるの」

「そんな人もっといません。体内時計を週に渡って信用するのは無茶です」


 谷塚さんは言葉に詰まり、ぐぬぬと唸り声を上げる。どう考えてもなにか心当たりがあるに違いない。


「ごめんなさい、プライベートなことをあけすけに聞くのはよくないのはわかってるんですが、どうしても気になりまして」

「……こればっかりは知られるわけにはいかないんだ。特に羽沢くんには」

「え?」

「あ、見てあそこにUFOが!!」

「そんな古典的な罠引っ掛かりませんよ」


 谷塚さんは窓の方を指差した。俺の気をそらしてこの場を去ろうという魂胆だろうがそうはいかない。


「あ、あそこに私のリコーダーが落ちてる!」

「どこですか!? こっそり舐め回す輩が出たら大変です。すぐに回収しなくては! ってああっ! 谷塚さんがいつの間にかいない!」


 俺の気をそらすことに成功した谷塚さんはそそくさと教室を後にして、もう足音も聞こえなくなっていた。


「くそう、なんて巧妙な罠だ」

「どこだがバカ野郎」


 独り言にふいにツッコミが入ってきたのでガバッと声のする方をみると、教室のドアにもたれかかる一人の女子生徒を発見した。


「あなたは……吉田さん?」

「名前忘れかけてんじゃねえよ。ほらいくぞ」

 

 けだるげに体を起こすとこちらを振り向かずにゆっくりと歩いていく。ついてこいということだろう。とりあえず言われるがまま、駆け足気味にその背中を追いかける。二人して下駄箱で靴に履き替え、学校を後にする。


 吉田さんは以前、二人で恋愛相談をしてデートをしてみればどうかと提案してくれた恩人だ。そのときのお礼を伝える前にこんな事態になってしまうとは。


「『どこに向かってるんですか?』ってか。大丈夫、行けばわかる。『なんでここにいるんですか?』ってのも後で説明する」


 俺の考えていることはお見通しなようで、先回りして返答してくれる。


「『ゲームのイベントで忙しいんじゃないですか』って? 親友の方が今は大事だ。今日がイベント最終日だがしかたない」


 話がこじれるのがめんどくさかったのでそれはどうでもいいですとは言わず、適当に相槌を打っておく。


 あと手に持っているスマホの画面に写ったゲームがオートモードでサクサク進んでいくのも言わないでおく。全然あきらめてないじゃん。最後の追い込み入ってるじゃん。


 とにかく聞きたいことだらけだったがそれらを胸の中に押し込めて吉田さんについていった。


 そしてしばらくして吉田さんがピタリと止まり歩くのをやめた。


「さ、ついたぞここだ」

「あの、ここを誰の家かご存知で?」

「は? 当たり前だろ。私が知らない人の家に息をするように入るわけない。空き巣極めすぎた奴か」

「いえ、そういうことではなくて……」


 まさかな、まさかなとは思っていた。だが、そのまさかだった。


「ここ、僕の家ですよ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る