第6話 感想と談笑

「ちょ、え、ヤバイ……なんなのあれ、悲しすぎるよ」

「はい……めっちゃ、はい」


 映画が終わり、場所を近くにあった喫茶店へと移し、感想を言い合う。感情の昂りのせいで語彙力は失われ、目からひっきりなしに涙が流れる。水を持ってきてくれた店員さんはなにごとかと驚きながら「ご、ごゆっくりどうぞ」と逃げるように去っていった。


 観る前はごちゃごちゃ言っていたが映画が始まるとすぐに二人して映画の世界に入り込み、主人公と恋人とのせつないラブストーリーに胸を打たれずにはいられなかった。

 途中、視界がぼやけて目にゴミでもついたのかとこすってみるとそれは水気があり、しばらくして涙であることに気付いた。すると目の端からスッと手が伸びてきてハンカチを差し出される。それは隣に座る谷塚さんのもので、既にハンカチを目に当てあふれる涙をおさえていた。


 ありがたくハンカチを頂戴し、我慢することを諦めて二人して号泣していたのでもちろん目元はパンパンに腫れてしまっている。


「羽沢くん、さっきまで映画館の悪口言ってたの恥ずかしいくらい泣いてるわね」

「そこに言及するんですか。思い出してください、谷塚さん発信の会話ですよあれ」

「確かにそうだったわ。今思えばフリにしか聞こえないわね。映画館最高」

「間違いないです、また行きましょう」


 二人して清々しいくらい手のひら返しで映画館を褒め称える。上映が終わって明るくなったとき無意識に拍手していたくらいだ。


「うん絶対また行こう……ん、さらっと次のデートに誘われたのか私は。やるね羽沢くん」

「え、ほんとだすごい、いつの間に」


 テンション上がりすぎて気付かなかった。映画を観たことで気が大きくなってるのかもしれない。


「シンプルに嬉しいよ。ありがとう羽沢くん」

「普通に褒めるのやめてください。照れます」

「なんだつれないな。恥ずかしい姿を晒した仲じゃないか」

「なんでそんな言い回しするんですか。お互い泣いてただけですよ」

「だってそっちの方が興奮するかなって思って」

「その通りなんでやめてください。もう、なにか頼みましょう」

「そうだね。ポップコーン食べたからあんまりガッツリしたものはいいかな。特盛ナポリタンで」

「すごい、一言でとんでもなく矛盾してる」


 指を差すその先にはメニュー表からはみ出んばかりに大きく器に盛られたナポリタン。俺でも食えるかどうか怪しいところだ。


「じゃあ僕はサンドイッチにしましょうかね」

「お、控えめだね」

「もしかしてカツサンドを控えめなメニューに分類してるんですか」


 びっくりしながらも、テーブルに置かれた呼び出しベルを鳴らす。店員さんはすぐにやってきてくれて、注文をお願いする。

 やってきたのはさっき水を持ってきてくれた店員さんで、泣き顔をさらしてしまった手前、少し気まずさもあったが、なにごともなかったかのように淡々と対応してくれる。


「かしこまりました、少々お待ち下さい」


 深々と頭を下げて踵を返す。しかし、その足はピタリと止まりしばらくそのままでいる。不思議に思い、声を掛けるべきか迷っていたところで店員さんはこっちにゆっくり顔を向けた。


「あの、出すぎた行為だというのは重々承知しているんですが、店員としてではなく人生の先輩である大人として一つ言わせてください」


 神妙な面持ちの店員さんに面食らい、ただ二人してゴクリと唾を飲み込んだ。


「感情的なまま出した結論だと必ず後悔します。一度冷静になってから話し合うべきです」

「え? は、はあ……」


 谷塚さんは発言の意図が読めないようで、間の抜けた声を漏らす。だが、俺はわかってしまった。この店員さんはカップルが別れ話をしていると勘違いしているのだ。


「違います、えっと……僕らそういう関係じゃないといいますか」

「隠したくなるのはわかります。男はそう言いますよね。たっくんもそうだったし」

「たっくん?」

「ええ、彼女さん聞いてください。男は自分勝手な生き物なんです」


 ガバッと手を握られ谷塚さんはますます戸惑った様子だ。静かな店内なだけに周りのお客さんの視線が集中する。


「あの、私たちまだその、カップルじゃないんですよ」


 たどたどしく言葉を紡ぐ谷塚さんだが、それは更なる誤解を生んでしまう。


「ん、まだっていうのは?」

「ゆくゆくはそうなりたいって感じで。お互い好きではあるんですけど」

「お互い好きなのに付き合ってない……そんなことある?」

「え、確かに」

「谷塚さん、気が動転してます」


 お姉さんに気圧されてか過去の自分の発言を忘れてしまっている。


「口ではなんとも言えるのよ。女の好意を都合よく利用して……男ってのは全員下半身で生きてるから」

「そうなんですか、初めて知りました。そうなの羽沢くん?」

「断じて違います。ものすごい偏った意見が入ってます」

「でも男の人の方が足早いし、足の毛は生えるけど髪の毛短い人が多い気がするわ。あれってそういう」

「なんかそれっぽい根拠出してこないでください。お姉さんも変なこと吹き込まないでください」

「あなたがたっくんとは違うって証拠がないじゃない!! こんなかわいい女の子を泣かせてなにが好きよ! カップルじゃないってことは、そういうことなのよね……あなた最低よ」


 なにやら侮蔑のこもった目で睨まれている。やっばい誤解をされているようだ。いくら弁解したところで俺の意見を聞き入れてくれそうにないが、頼みの綱の谷塚さんは、


「え、かわいいですか私? やった聞いた羽沢くん!?」


 と相変わらずのマイペースだ。とびきりの笑顔が見れたのでまあよしとするがさあどうしたものか。


「見たところまだ学生よね? なのにそんな不純な恋愛して恥ずかしくないの!?」

「恥ずかしいのはお前だバカ野郎」


 お姉さんの頭に丸いお盆がししおどしみたいに落ちてくる。「いったあ」と悶えるお姉さんが後ろを向くと険しい顔をしたガタイのいい男性が立っている。


「た、たっくん」

「店長って呼べっつってんだろ」

「あいたっ」


 再度お盆を頭に落とされたお姉さんは両手で患部をおさえてうずくまってしまう。


「お客様、うちのバイトが大変ご迷惑を」

「いえ、そんな……大丈夫です」


 ガタイのいい男性は深々と頭を下げる。見た目は30代前後で厚い胸板にこじんまりと見えるネームプレートには名字と一緒に店長と書いてあった。


「全く何回目だお前。そろそろクビにするぞ」

「え、ってことはたっくんが養ってくれるってこと!?」

「脳内お花畑かそんなわけねえだろ」

「だってたっくんが雇ってくれたんじゃない……」

「お前が求人見て応募してきたからだろ」

「そんな、利用するだけ利用して用が済んだらはいサヨナラって」

「変な言い回しをするな。それが社会のしくみだろ」

「ね、男ってこんなもんよ。あなたも気を付けるのよ」


 店長さんに首根っこを掴まれズルズル引きずられていくお姉さんを苦笑しながら見送る。店長さんは道すがらお客さんに詫びを入れつつ、キッチンへと戻っていった。


「羽沢くん」

「なんですか」

「世の中には色んな変わった人がいるのね」

「ちょっと、水飲んでる時に言うのやめてください。吹き出しそうになりました」

「え、ん、どういうこと?」

「気が動転してるんですよ。谷塚さんも水飲んで落ち着きましょう」

「そうかしら。一応いただくわ」

「変わってる人ってけっこう僕の周りにもいたりしますし」

「ねえ、私も吹き出しそうになったじゃない。危なかったわ」

「どういう意味です?」

「要するに類は友を呼ぶって言いたいのよね」

「それは自分も変わり者だと認めたってことでいいんですか?」

「んー、羽沢くんがそれでいいならいいけどさ、」

「なんですかその煮え切らない感じ」


 谷塚さんはずいと前のめりになって、対面に座る俺に目一杯近づいてくる。

 

「友達のままで、いいの?」


 びっくりしたまま固まってしまう。しかも谷塚さんと目が合ったままの状態で。いじわるな笑みを浮かべるその顔は至近距離で見るのに心臓に悪く、鼓動が早まりうるさくなるのがわかった。


「あら、これは見惚れてるってやつかしら」


 おーいと顔の前で手を振られ、やっとフリーズ状態から解放される。


「見惚れてるっていうか、ベタ惚れですねこれは」


 顔を逸らしつつ水をくいっとイッキに飲み干す。呼吸を整えて冷静になると途端に羞恥心が押し寄せてきた。


「流石に今のは気持ち悪かったです。すいません」

「別に、謝らなくてはいいけど」


 なんだかちょっと気まずい雰囲気になり、沈黙がしばし流れる。少ししてから料理が運ばれてきたのでそれを黙々と口に運んでいく。


「おいしいですね」

「うん、おいしかった」

「もう過去形ですか」

「お腹減ってたしね」


 皿にたくさん盛られたナポリタンが跡形も無く消え失せていた。久しぶりに谷塚さんの顔を見るとちょっと伏し目がちでこちらを見ないようにしていた。やはり先程の発言が気持ち悪すぎたかと反省していると別のお客さんの料理を運び終わったさっきのお姉さんが通りかかる。


「さっきはごめんね。迷惑かけて。私勘違いしちゃったみたいで」

「いや全然、ではないですけど大丈夫です」

「正直ね。そういうとこたっくんと似てるわ」

「あなたのその姿勢には最早尊敬すら覚えますね」


 この鋼のメンタルはある種の才能なのかもしれない。


「あら、あなた、顔赤いけど大丈夫?」

「え、私のことですか?」

「ええ。なにその意外そうな返事。耳まで真っ赤よ大丈夫?」


 黙っていた谷塚さんに目を向けるとお姉さんの言う通り、顔を真っ赤にしていて俯いている。熱でもあるのかと心配になるレベルだ。


「違いますこれはっ……そうナポリタン! ナポリタン食べたからです」

「そんな効果あるなんて聞いたことないけど」

「いいからそういうことにしといてください」

「あー、そういうことね」

「違います」

「なにも言ってないじゃない。あなた中々男らしいわね。私も頑張らなくっちゃ」


 なにかを察したお姉さんはスキップでキッチンへと戻っていった。


「なんだったんですかね」

「知らない」

「僕なんか男らしかったですか?」

「男、らしいじゃない?」

「勘違いされるほど中性的な顔立ちしてないですけど」

「……今、そういうのやめて」

「え、はいすいません」


 顔を伏せたままだが笑い声をこらえ、肩が少し震えているのがわかる。どうやらお気に召したようだ。怒っているわけじゃなさそうなので、ひとまず安心する。


 その後、谷塚さんが顔を上げるまでの間、普段は見れないつむじの辺りを周囲の人に不審がられない程度に観察するという至高の時間を過ごすことができた。これは本当にドン引き案件である自覚はあるから秘密にしておこう。


 


 


 

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