第2話 付き合うと惹かれ合う

「や、昨日ぶり」

「ですね。まあ、同じ教室にはいましたけど」


 次の日の放課後、二人きりの教室。自分の席に座る俺の元に谷塚さんが快活な笑顔を向ける。


 どうやら昨日のできごとは本当に起こったことだったらしい。両思いだったという出来事もさることながら、そこに至る過程が中々にトリッキーすぎて普通に夢だと思ってたけど意外にも現実で起こったことのようだ。


「羽沢君、頑として目を合わせてくれなかったね。倦怠期にはまだ早いんじゃない?」

「何を言ってるんですか。今までも目が合ったことないでしょう」


 谷塚さんは難しい顔で記憶を掘り返し、やがてハッと驚いた表情に変わる。


「確かにっ……目が合ったことないかも。これはもしかして」

「ご名答。僕が意図的にそうしてるんです」

「な、なんでそんなひどいことを……」

「なんでって、そんなの決まっているでしょう。好きな人と目を合わせるだなんて緊張でどうにかなってしまう恐れがあるからです」

「かっこつけて言うことかよ」

「なんとでも言ってください。僕が長生きする為なんです」


 ちなみにこの間も視線が交わることはない。昨日は驚きのあまり目を合わせてしまい、結果ドキドキしてほとんど寝ることができないという事態に陥ってしまった。今日はなんとしても阻止しなければ。


「私はメデューサか何かだったっけ。まあいいや、お隣失礼」

「なにをしてるんですか、近いです」

「そりゃ隣の席に座ったんだから近くもなるよ」

「谷塚さん、男はケダモノなんですよ。今すぐ離れてください」

「自分で言うかねそんなこと。でも大丈夫、私メデューサらしいし。あと一応空手習ってた」

「一応の方が重要じゃないですか。聞き逃さなくてよかったです」


 なぜか姿勢を正し、目をまっすぐ前に向ける。油断すれば谷塚さんの座る右側に目線が吸い寄せられそうになる。


「こうやって横並びになったら目合わさないでも話せるでしょ。車と一緒だね」

「言われてみれば、そうかもです。もしかして運転とかするんですか?」

「……さて、もうすぐ夏休みだね」

「その間はなんですか。冗談で言ったのに現実味帯びて怖いんですけど。僕らまだ17ですよ?」


 車でいう運転席側に座る谷塚さんは露骨に話を逸らすので怖くなる。


「そんなことより羽沢くん、聞いて呆れるよ!」

「お、大きい声出して話題を変える魂胆ですか」

「そうだよ悪い?」

「いえ、悪くない……というかむしろなんか、いいです」

「今のは聞かなかったことにしておくけどさ、」

「そうしてくれると助かります」

 

 性癖を暴露するところだった、危ない。


「目を合わせるのも一苦労の君が昨日なんて言いましたか?」

「いやその、好き同士であるならお付き合いすればいいのでは、と」

「そう、それだよ。わかってない、わかってないよ」


 谷塚さんはガタンと急に立ち上がり、俺を中心にして後ろで手を組んで練り回る。めんどくさく説教を垂れる先生の真似をしてるんだろうが残念だったな、いい匂いが充満して幸せでしかないぜ。


「はいそこ、残り香を堪能しない」

「そ、そそっ! そんなことしてないです証拠はどこに!?」

「自分の胸に聞いてみることだな」


 谷塚さんは長くて綺麗な黒髪をかき上げる。見え見えな罠だ、そんなものにひっかかるものか。


「ちなみに今日はいつもと違うシャンプー使ったんだよね」

「あ、どうりで別の匂いが……ハメましたね、ひどい人だ」

「見え見えの落とし穴に引っ掛かる変態に言われたくないよ。もう、そんなことはよくてさ」


 谷塚さんは黒板にチョークでなにやら書き出す。しばらくしてチョークを置き、軽く黒板を叩き注目するように促される。


「付き合う前が、一番楽しい」

「そう、その通り。わかってるじゃんか」

「いえ、書いてあることをそのまま読んだだけです」


 なにこれ何の授業が始まったの? ジャンルどの教科? 俺は何を見せられてんの?


「そう、じゃあ一から説明するしかないようだね。いいかい、羽沢君。恋愛経験のある人に聞いたところ、付き合う前が一番楽しいと振り返る人がほとんどなんだ」

「はあ、まあよく聞きはしますけど」

「そして、この付き合う前という期間は付き合ってしまったら最後、二度と訪れることのない、永久に失われるものとなるんだよ」


 谷塚先生はヒートアップし、語気を強めて黒板に更なる文字を書いていく。


 まっすぐ綺麗な姿勢に、着崩すことなく身にまとわれた制服。平均より高い身長も相まって非常に堂々としていてその背中から凛々しい印象を受ける。


 数学の難問を淡々と解いているのかと思うとそうではなく、そこには恋愛を妙な角度から見た谷塚さんなりの恋愛論が書かれていった。


「一度付き合ってしまって別れてしまった場合、それはもう友達ではなく元恋人という扱いになる。よって、この付き合う前の雰囲気はもう味わえないわけだ」


 書き終わった谷塚さんの身ぶり手振りの入った熱弁を一応、真剣に聞いておく。なにせ俺しか聞き手がいない。


「でも、付き合ってからが楽しいと言う意見もありますよね?」

「お、いい質問だ。そう、もちろんその意見も一定数存在する。つまり、個人差が生まれるというわけだ。そして、私がどちらに該当するかもわからない。ので、一旦友達でいる期間を設け、その後お付き合いして実際どうなのか見ていけばいいんじゃないかという話だ」

「……言いたいことはなんとなくわかりました。でも、もしほんとに付き合う前の、友達でいる方が楽しかった場合はどうするんですか?」


 言い方からすると、付き合ってから「友達でいた方が楽しかったね」となった場合、そこで終わってしまうような気がして、意味はわかるけど素直に賛同できない気持ちが強い。


「どうするもなにも、より楽しくなる為に考えればいいんだよ」


 俺の不安を谷塚さんはケロッとした口調でどこかへ飛ばしていった。


「まあどっちが楽しいかどうかはこの際おまけでさ。私は好きな人と付き合うまでの過程を楽しみたいの。そもそも比べるものじゃない気もするし。でも今しか味わえない状況だからどんなものなのか知りたいってだけ」

「……谷塚さん、もしかしてその好きな人って」

「女の子に皆まで言わすの?」

「嬉しすぎてヤバいです。谷塚さん、好きになっていいですか」

「ええ、好きじゃなかったの!?」

「今までより更にって意味です」

「ああ、それはご自由に」


 不安を一ミリでも抱いた自分が恨めしい。谷塚さんはこんなに自分とのことを考えてくれていたというのに。


「ま、そんな感じでとりあえず友達でいよう、付き合う為に」

「はい、わかりました。是非そうしましょう」

「いやー、よかったよかった。じゃあさっさと帰ろうか」


 満足した様子で谷塚さんは黒板消しを動かす。慌ててそれに加勢し、微かな粉も見逃さずに入念に消していく。


「あ、あとそうだ、もう一つ理由があってさ」


 なにか思い出したようで、黒板に目を向けたままなんてことない風に呟く。


「羽沢君のこと、好きなのは好きなんだけどさ、なにが好きってのがいまいちわからないんだよね」

「……ん、いや、え?」

 

 あっけらからんと口調で言われ、面食らってしまう。力が抜け、手に持っていた黒板消しを落としてしまう。


「ああ、落としちゃってもう。制服粉まみれじゃん、叩いたら落ちるかな」


 呆然と立ち尽くす俺に谷塚さんは近づいてきて、制服を軽く叩く。


「あ、いけそういけそう。よかった、ちょっと待ってなね」


 粉がきれいに落ちたことで喜ぶ谷塚さんの顔が至近距離に現れる。そして、バッチリ目が合ってしまう。ぐちゃぐちゃになった感情を整理できぬまま、俺はただ時が過ぎるのを待った。

 

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