第51話 ここまで早く準備して下さって有難いです

知識の意識の侵食を乗り越えた後、

私はソラちゃんにシャワーを浴びて貰いながら、

まだ特訓を続けるべきかどうかを聞いた。


今日の特訓を終えて、私の中でもう"知識"は

完全に自分のものになったという確信があるが、

これが単なる思い込みである可能性も否定出来ない。

もしかしたまた乗っ取られてしまう危険性を考慮して、

一応、まだ特訓はした方がいいかもと思ったのだが……。

ソラちゃんはその懸念を聞いて、珍しく逡巡する様子を見せた。


「うーん……マチコさん。第一イベントに参加する前に

 話してくれてた、"知識"に対する異物感ってまだありますか?」

「え? いや……感じられないわ。

 まるで最初から自分の中にあったみたいに、今は感じてるわね」

「なら、多分大丈夫だとは思うんですが……そうですね。

 マチコさんが納得出来るのが一番ですし、

 私が浴び終わった後に、また特訓を続けましょうか」

「ありがとう、ソラちゃん。付き合わせてごめんね?」

「いえいえ! お役に立てて何よりです!

 頑張りましょうね! マチコさん!」

「うん! ありがとう!」







それから特訓は夕暮れになるまで続けられたが、

やった事はもはや特訓ではなく、組手だった。


私達はなんの気兼ねもなくお互いの技をぶつけ合い、戦いの訓練をしていた。

そこには"知識"に対する恐怖などなく、

私の意志で戦いに挑み、私の記憶と技術で、

身体と心を動かしているのだとはっきりと感じ取れた。


まるで、あの"知識"が私の中に完全に溶け込み、一体化したような感覚だ。

だが、そうなっても"私"は一片たりとも呑まれておらず、

あの"意識"の介入はもう面影すら感じれない。


二日間の成果が実り、知識への恐怖を克服したと、

私は改めて理解する事が出来たのだった。


っていうか、そうか。

訓練したのはたった二日だったのか……。

そうとは思えない程、凄く濃密な時間を過ごした気がする。

きっと、"知識"の中にあった意識が経験した記憶が、

自分と混ざり合ったからだろう。

その分の時間の流れを自分の中で消化したからこそ、

そんな風に感じるのだと、私はなんとなく理解出来た。


完璧に知識を御して、意識に操られないと確かめられたので、

私は安心出来たとソラちゃんに伝えると、

彼女は我が事のように喜んでくれた。


「はぁ……はぁ……良かったぁ……本当に、良かったです……」


ただ、組手に付き合ってくれたソラちゃんは

ヘトヘトに疲れていて、汗だくになりながら息を荒げていた。


知識を自分のものに出来た私は、

今までよりももっと上手く戦えるようになったみたいで、

ソラちゃんの攻撃は一時間程で完璧に見切れるようになっていた。

なので、ひたすらソラちゃんは日が暮れるまでずっと、

私に攻撃を当てる事が出来ず、酷く大変そうにしていた。


けれど、ソラちゃんはそれでも文句一つ言わずに、

私が安心出来るまで付き合ってくれた。

本当に、この子には感謝しても仕切れない。


それからソラちゃんにはまたシャワーを浴びて貰い、

軽く休んで貰ってから、山を降りようという話になった。

そして、シャワータイムを終えて、

三着目のジャージに着替えたソラちゃんが、

髪をドライヤーを乾かしながら、私の足を眺め出した。


「? な、なに? ソラちゃん?」

「……マチコさん、膝枕ってお願いしても?」


どうやら相当くたびれているらしい。

ソラちゃんは私の太ももを枕にゆっくりしたいようなので、

少しでも恩返ししたい私は、その申し出を快く受け入れた。


持ってきたタオルをシート代わりにして河川に敷いた後、

私の太腿へとソラちゃんは頭を乗せてくる。

まだ乾かしたばかりの、彼女のしっとりとした髪が私の太腿をくすぐる。

ソラちゃんは私の膝枕を満喫して幸せそうだ。

私はその様子が愛おしくなり、彼女の頭を優しく撫でてしまうが、

ソラちゃんはそれも嬉しそうに受け入れてくれた。


「お疲れ様……ソラちゃん。

 本当にありがとう。ささいなお返しだけど、

 私に出来る事ならなんでもするからね」

「えへへ、ホントですか〜?

 だったら、コスプレを……って言いたい所ですけど、

 今は……このまま撫でて貰いたいですね」

「……うん。わかった」


そうして暫くの間、私はソラちゃんの頭を撫でながら過ごした。

大切な相棒と一緒に見る山の景色と川のせせらぎは、

とても穏やかで心を晴れやかにしてくれた。


「──ソラちゃん。大好きよ」

「……!」


心が軽くなったからか、口まで軽くなっていたみたいで、

気が付けば私はそう呟いていた。

あぁ。また、恥ずかしい事を言ってしまったなぁ……。


「……あ、あの、もう一回、言ってくれませんか?」

「えぇ〜、も、もう一回? うぅ……わかったわ。

 じ、じゃあ、今日はこれで最後ね?」

「はい……お願いします」

「ソラちゃん、大好きよ……こ、これで大丈夫──!?」


ふと、ソラちゃんを見れば、彼女は微笑みながら一滴の涙を流していた。

そして、ソラちゃんは私に頭を預けたまま、私に向き直って私を見つめてくる。


「…………マチコさん。わたし、知りませんでした。

 誰かに大好きって言って貰えるのって、

 こんなにも嬉しい事なんですね……」

「……ソラちゃん」

「って、あはは。また重い女になっちゃいましたね。

 すいません、マチコさん……」

「……ううん、そんな事ないわ」

「……えへへ、そういって貰えると、有り難いです。

 なら、これからも大好きって言って貰えるように、

 わたしも頑張らないとですね。

 よし……そろそろ行きましょうか!」


そう言ってソラちゃんは私から離れて、荷物を片付け始めた。

気が付けばもう暗くなりかけているし、

急いで荷物を纏めないと危険なので当然の選択だ。


だけど──あんな寂しい事言われて、

黙って見過ごす訳には絶対にいかなかった。


「──ふぇえっ!?」

「……ソラちゃん」


私はソラちゃんに後ろから抱き締めた。

そして、耳元であの言葉を何度も繰り返してソラちゃんに告げていく。


「大好き」

「はわっ!」

「大好き」

「ひんっ!」

「大好き」

「ほわぁああ〜……」


そうしている内に、ソラちゃんはぐにゃぐにゃになって動かなくなった。

グルグルと目を回して座り込んでしまったので、

私は荷物を全て片付けてカバンを背負い、

ソラちゃんをお姫様抱っこして急いで下山した。


なんとか夜になる前に山を抜け出せた所で、ソラちゃんがハッと目を覚ました。

……先程は振り返るとかなり気持ち悪い事をしていたが、

それくらいの荒療治がこの子には丁度いい筈だ。


愛というのはもっと気軽に求めていいものだと、

この子には分かって貰わなくてはいけないのだから。


「……あ、あれ、ここ……もう山から出たの……?

 あっ! ま、マチコさん!?

 まさか、ここまでわたしを担いで来たんですか!? 

 す、直ぐに降りますから!」

「ソラちゃん」

「はぁっ! も、もう、"大好き"はお腹いっぱいですよぉ!?」

「ふふっ、今日はもうおしまいするけど、

 明日だって明後日だって、聞きたかったら

 いつでも言ってあげるんだから」

「……マチコさん……えへへ、じゃあまた、

 明日にでも電話越しに聞かせて貰いますからね?」


ソラちゃんはそう言って、私の胸に頭を寄せた。

可愛らしいそのお願いに、私は心を穏やかにされられながら、満足げに返事をする。


「──えぇ、喜んで」








ソラちゃんと別れて自宅に帰った後、

私は試しに〈衛種剣モラスチュール〉を使って、

部屋の中で素振りをしてみた。


安らぎもしないし、落ち着きもしない。

以前は強く感じていたのに、今ではそんな感情は抱かなくなっていた。

やはり、あの感情は"知識の意識"によるものだったという事だろう。

うーん、嬉しい事ではあるんだけど……。

効果があったリラクゼーションの候補がなくなったというのは、中々にショックだ。


まぁでも、ソラちゃんの相棒でいる為の代償と思えば

安いものだと思い直し、剣をベットに放り投げ、私はお風呂に入る。


シャワーから流れるお湯が身体を伝い、一日の疲れを流してくれる。

今ではこちらの方がよっぽど落ち着くし、

少し楽しくなる……うん、これこそ私って感じだ。


お風呂から上がって、ベットに投げ捨てた剣を立て掛け、私は布団に入って目を瞑る。


……明日もまた仕事だ。

憂鬱な月曜日がまた始まる。

だけど少しだけ、その明日が楽になっている自分がいた。


「ソラちゃん……私……頑張るからね……」


疲れた身体が私を夢に誘ってくる。

私は安らかな気持ちでその誘いを受け入れ、

ゆっくりと眠りに落ちていった────







『────これより、第二イベント。

 ダンジョン探索を開始致します────』






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