第38話 さて、保険は上手く効いてくれるだろうか

「さて、そろそろいいですか?」

「が、ほっ……く、くそっ、ふざけやがって……この野郎」

「その返答は答えて貰えないってことでいいですか?」

「……畜生、な、何が聞きたいんだよ?」


笠羽ちゃんの圧に押され、土倉は観念したようだ。

〈重水〉を口の中にもろに受けたせいか、僅かに滑舌が怪しくなっているが、

身体に受けた時よりは影響がない気がする。

〈重水〉はステータスが考慮される肉体にかかるよりも、

その人が着ている服にかかった方が効果があるようだ。


「賢い判断をしてくれて安心しました。

 さて最初の質問ですが、佐藤さんの襲撃は貴方だけで担当してますか?」

「あぁ? ……そうだよ。俺だけだ」

「なら、これ以上の襲撃はないと判断出来そうですか?」

「……上が計画を変更しなければそうなるな」

「もう少し詳しく言ってくれます?」

「ちっ……今回、俺が運営から頼まれた仕事は、

 お前ら〈花の候補者〉に『イベント外での戦闘経験を積ませろ』ってやつだった。

 だから、まだ仕事をするってなると、他の幹部を呼び出して

 二人で対処するって事になるんだが……」

「えっ──」


イベント外での戦闘訓練?

どうして──いや、まさかそれも、強い戦士を育てる計画ってやつの一環?

だとしたら私はイベントだけじゃなく……日常生活も

ガチャ運営の為に送らなきゃいけないって事なの?

イベントを盛り上げる為の見世物として、頑張るだけじゃ駄目だっていうの?


……あいつらは一体、私に何をさせようとしてるの……!?

一体何処まで、私を苦しめる気なの……!?


「……積ませようとか言う割に、

 随分と考えなしに殺そうとしてませんでした?」

「はっ、天下の〈花の候補者〉様があの程度で死ぬかよ。

 それに運営からは具体的な指示を貰ってなかったからな。

 運営から〈回復薬〉もたっぷり支給されてたし、

 殺さなければいくら傷つけても構わねぇって解釈してたんだよ」

「クズらしい発想ですね」

「フン、とにかくだ。

 担当者の俺は仕事を失敗しちまったが、

 組織が総力を挙げてそいつを半殺しにした所で、

 契約内容的にガチャ運営から受け取れる金は

 結局〈花の候補者〉一人分の金額でしかねぇ。

 それじゃあ余りにも費用対効果が釣り合わねぇし、

 俺達の組織はここでお前に見切りをつけるだろうぜ。多分な」


────襲撃がこれ以上ない。


それを聞いた私はほんの少しだけ安心出来た。

けれど、イベント外でも運営がまた何か私にしてくるかもしれないと考えると、

心中穏やかではいられなかった。


しかも、私以外の〈花の候補者〉の人達は、

今この瞬間でも苦しんでいるかもしれない。

私一人だけが、助かって良かったと喜んでいいとは到底思えなかった。

助けにいきたい気持ちはある。

けど、やっと手に入れたもの平穏をむざむざ手放すのかと考えてしまい、

どうしても二の脚を踏んでしまう。


また戦って危険な目に合うのも怖いが、

それよりも……また自分が"知識"に支配されて、

自分じゃなくなってしまう事の方がずっと恐ろしかった。


そうなって、もし誰かを殺してしまったら──


「…………そうですか。大体予想通りの解答ですね」

「じゃあ聞くなよ。くそっ、一々嫌味ったらしい奴だな」

「わたしは自分の予想だけで計画を立てるような人間ではないんです。

 まぁ、貴方はそうかもしれないですけどね」

「……別に嫌味なのは間違ってねぇじゃねぇか」

「はい、じゃあ次の質問です。

 貴方達は運営からは他に依頼を受けてますか?」

「ちっ、まだあんのかよ……。

 今の所、雑用以外の依頼は入ってねぇみたいだが、

 訓練ってのは繰り返しやんねぇと意味がないもんだしなぁ。

 多分、また同じように襲撃しろって言ってくるんじゃねぇか? ハハッ」

「え……?」


嘘……これで終わりじゃないの?

まだ、こんな怖い思いをさせられて──また、ああなるの? 

あんな殺人鬼に私はまた戻るの?


「……さ、佐藤さん? 大丈夫ですか?」

「え? あ、あぁ……大丈夫? 大丈夫よ……」


笠羽ちゃんが私に呼び掛ける声を聞いて、私はなんとか返事をする。

その時、笠羽ちゃんの心配そうな顔が私の目に映る。


あぁ、そうだ。

他の〈花の候補者〉を助けるなら、

笠羽ちゃんに聞いてから決めないと……。


でも、笠羽ちゃんを巻き込んでいいの? 

笠羽ちゃんは私の助けになりたいからという理由で私を助けてくれた。

でも、他の〈花の候補者〉を助ける理由はない。

それは私だってそうだ。私自身にも助ける理由はない。

ただ襲われていると分かっていて、見捨てるのは心苦しいと思っただけだ。

大した理由なんてない。


そもそも剣を振るのも怖くなった私が、

他の〈花の候補者〉の所まで行って役に立つとは思えない。 

それにその人達の場所をどうやって知るの?

それも笠羽ちゃんに聞けば答えてくれる?


私はまた……この子の足を引っ張ろうとしてるの?

それにもし……もし、私が私で無くなったら、この子を"私"はどう扱うの?


味方のまま? それとも、まさか──


「佐藤さん、本当に大丈夫ですか? 何だか顔色が……」

「か、笠羽ちゃん……その……わ、私」

「何だぁお前? まさか他の〈花の候補者〉を助けたいとか思ってんのか?」

「っ!? な、なんで……?」

「はっ、おいおいマジか、図星かよ。

 お人好しにも程があるな。だがまぁ、今更だ。

 この時間から他の奴らを助けに向かった所でもう間に合わねぇよ。

 お前が着いた頃にはそいつらは病院にいるだろうぜ?」

「……そ、う」


土倉のその言葉を聞いて……私は心底安堵してしまった。

これで助けにいかないといけない理由は消えたと嬉しくなった。

それがどうしようもなく嫌で嫌で、情けなかった。


私はどうすればいいの?


他の人なんてどうでもいい。

私だけでもいいから助かりたい。

いや、自分のこの"知識"を持ってすれば助けられる筈。

でも、そうしたらまた私は殺人鬼になってしまう。

今度は肩じゃなくて、きっと頭に刺す。

そうしたら噴水のような血が噴き出て、それから。


「でも、まだ終わってはいないんですよね?

 具体的な状況を教えて頂けませんか?

 まだ助けられる状況であるかはこちらで判断しますから」

「……こいつ以外の〈花の候補者〉の襲撃については、

 俺以外の幹部が担当してるから、知らねぇ。

 明日各々の成果を報告する手筈になってて、

 俺がわかるのはその時になってからだ」 

「それでも、別の担当者と連絡が全く取れないという訳ではないでしょう?

 連絡先が分かる人に今すぐ連絡を取って下さい。

 助けられるのであれば、わたしも助けたいですし」 

「っ!!?」


嘘……!?  助けに行くの!!?

助けに行った先で、殺されそうになって、

追い詰められて、私は……?


────嫌だ!! 殺したくない!!

これ以上、私は"私"を殺したくない!!!


「……いや、嫌よ……嫌だ……」

「えっ? 佐藤さん……?」

「消えたくない消えたくない消えたくない」

「佐藤さん!? しっかりしてください!」

「ひっ!」


隣りにいた誰かが私の肩を掴んだ。

私は突然腕を掴まれた恐怖で悲鳴を上げ、その手を跳ね除けて、その場で頭を抱えて蹲る。


助けて、助けてと繰り返し言ってはまた繰り返す。

もうこれ以上、どうか私を苦しめないで欲しい。

私を消さないで欲しいと何度も願っては闇に消えていく。


あの無機質な意識が自分の中から、

今でも私の心を消そうとその手を伸ばしている。

私の中の誰かの私が、"私"を殺そうと企んでいる。

怖くて怖くて、今にでも叫んで逃げたい。

でも、何処に行っても逃げられない。


だって知識はもう、私の、中に────


「──佐藤さんっ!!!」

「…………あ」


とても大きな声で、私を呼ぶ声が聞こえた。

それは必死に私を斬り付けるような悲痛な声で、

けれど温かさのある不思議な叫びだった。


声がした方を見ると、そこで涙が見えた。

涙の跡を辿れば、笠羽ちゃんが私を見て泣いているのが分かる。

彼女はほっとした顔をして、私が呼び掛けに応えたのを喜んでいた。


あぁ……私は、またこの子に迷惑をかけたのか……。


「良かった……本当に良かったです。

 わたし、このまま佐藤さんが壊れてしまうんじゃないかって心配で……」


本当に心配だったのだろう。

笠羽ちゃんはそう言って大きく胸を撫で下ろしていた。

私は笠羽ちゃんのその様子を見て、自分の中で何かが崩れた。


もう駄目だ。これ以上はもう──


「…………笠羽ちゃん」

「は、はい、何ですか? 佐藤さん」

「私……もうこれ以上、笠羽ちゃんに迷惑かけたくない」

「え……?」


ごめん、笠羽ちゃん。

仲間になっていいって言ったのは私なのに。

裏切って──ごめん。



「だから……もう、ここで別れましょう」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る