第21話 約束の日ですね

あの第一イベントが終わってから、一週間後の日曜日。


私は笠羽ちゃんと落ち合う場所として指定した喫茶店に来ていた。

少しばかり早く来てしまったので、取り合えずコーヒーだけ注文して笠羽ちゃんを待つ。


注文したコーヒーが届き、私の目の前に置かれる。

香ばしい匂いが鼻孔をくすぐって、私の気分を落ち着かせてくれる。

やはり、平日の仕事中に飲む缶コーヒーとは匂いの深みが違う。


私はこういう店で飲む時、一口目はミルクや砂糖を入れずにそのまま飲む。

まずはその本来の味を味わって、そこからの味の変容を楽しむのだ。


上品なカップに注がれているコーヒーを口へと運ぶ。

そうして訪れた酸味とコクが、平日の仕事三昧で疲れた私の身体を潤してくれる。


「はぁ~。落ち着くわ~……」


日常が戻ってきたと感じさせてくれる味わいのおかげか、

思わずポツリと独り言をこぼして、私は机に突っ伏してしまった。


……あれから本当に大変だった。







笠羽ちゃんにゼロ距離ヘッドショットを食らった、あの後。

気が付いた時、私は木に引っ掛けて置いていた

キャリーケースと一緒に自然公園の入り口に立っていた。


目の前に見える自然公園から聞こえてくる子供の楽しそうな声に、

けたたましいセミの鳴き声。

さっきまで殆ど人が居なかったとは思えない程賑やかで、

あのイベントの時の緊張感と独特の静けさなんて、綺麗さっぱり無くなっていた。


あぁ、戻ってきたんだ。

いつもの、あの日常が帰ってきたんだと何となく理解出来た。


感傷に浸り、ほんの少しの間入り口で突っ立ったままボーっとしていると、

常にマナーモードにしていた筈のスマホが鳴った。


その事に驚きはしたが、何となくあの運営からなんだろうなとわかったので、

比較的落ち着きを保ってスマホを開いてみる。


開いたところ、どこからかメッセージが届いていた。

差出人はガーパイス株式会社。

この名前は確か……ガチャ運営の会社名だった筈だ。


そのメッセージには参加賞である、

成長玉の効力を抑制するスマホアプリをインストールする為のリンクと、

もう既に私の口座にはお金が振り込まれているという文言が書かれてあった。

それを見て本当に終わったのだと理解できたと同時に、急に疲れがドッと出てきた。


「……帰るか」


仕事帰りのような疲労感を背負いつつ、

キャリーケースを手に取り、ゴロゴロと転がしながら私は家へと帰った。

あの自然公園にまだあの子はいるのだろうかと、公園を眺めながら。




自宅に帰った後、私は運営から送られたリンクから、

スマホアプリをインストールした。

正直そのリンクを開くのは躊躇われたが、

今更気にしてもしょうがないと思ったので、大人しくそうした。


インストールした〈ステータス管理〉という名前のアプリを開いてみると、

そこにはPCの音量の調整バーみたく、

上から順番にATK、VIT、INT、MAT、MGR、AGL、LUKと並んでいて、

それぞれのバーを動かすと、選んだパラメータの調整が出来た。

また、各ステータスバーの下にはステータスの説明が次のように書かれている。



ATK【Attack】= 物理攻撃力・腕力

VIT【Vitality】= 生命力・守備力

INT【Intelligence】= 知力・魔法攻撃力

MGR【MagicResist】= 魔法耐性・魔法防御力

AGL【agility】= 素早さ・回避力

LUK【Luck】= SSR排出確立上昇



ATKとかAGLは成長玉としてよく出るから馴染みがあるけど、

INTとか、MGRは出た事がない。


っていうかパラメータにあるのを見ると……やっぱりあるんだなぁ、魔法。

ガチャアイテムでしか魔法っぽい現象を起こせるのは知ってたけど……

自分でも出来るって事で良いんだろうか?


それともそういう魔法を使えるようになるアイテムを使う時に、

INTとかが参照されるのだろうか?

笠羽ちゃんが使っていた水鉄砲はリロードを必要としてなかったっぽいし、

魔法っぽいアイテムだったから今度聞けたら聞いてみようかな。


自分でも使えれば嬉しいんだけど……私が引くのは脳筋まっしぐらのものばかりだ。

近接をしろと言わんばかりに成長玉はそっち方面のやつしか出ないし、

持ってる数少ないアイテムは剣2本(ダブり)だ。


きっと、このままのペースでステータスを上げていたら、

私は歩くだけで家やビルを破壊する怪物ゴリラ女になっていた事だろう。

このアプリがあって本当に助かった。正直、賞金よりも嬉しいプレゼントだ。


それから私はアプリが本物かどうか確かめる為、

試しにATKのバーを全て落としてみた。


すると、元々はリンゴを軽く握り潰せるくらいに馬鹿力になっていたというのに、

昨日閉めたばかりのジャム瓶のふたを開けようとしても、びくともしなくなっていて、

ガチャを知らなかったあの頃のか弱い私に戻れた気がした。


その後はATKを1ずつ上昇させていき、

どのくらい力が変わっていくかを色々なもので試した。


2Lペットボトルや、洗濯機、電子レンジなどを色んなものを持ち上げていき、

段々と軽くなっていく感覚を楽しんだ。


その次に、VITを試して、AGLを試して──と、そうして実験に夢中になっていたら、

いつの間にか時刻が深夜4時に差し迫っている事に気が付き、私は絶望した。

明日は仕事で、起きなければいけない時刻は6時だからだ。

私に残された睡眠時間はもう二時間しか残っていなかった。


「……やっちゃった……」


私はなけなしの睡眠を貪ろうと直ぐにベットに潜り込んだが、

早く寝なければならないと気持ちが逸って中々寝付けず、

結局寝られたのは5時過ぎだった。


寝坊はしなかったが、もはや仮眠でしかなかった睡眠時間では、

イベントの疲れを癒し切る事など到底出来なかった。

そんな身体と精神状態でかつ、只でさえ疲れる職場で、

月曜、火曜……と、仕事をしなければいけないというのは当然辛かった。

だけど、そういうのも今までの経験上なかったわけではない。



そう。それだけならまだマシだったのだ。

問題は周りの人達が話している話題の方だった。



職場の皆も、家族も、友達も皆。

あのイベントやガチャに関しての話題ばかり話すのだ。

自分はイベントの優勝者の一人であり、ガチャによって超人みたいになった人間だ。

「ガチャを引いた事ある?」とか、「あのイベント参加した?」とか、

そういう話題がずっと飛び交っていたので、落ち着かなくてしょうがなかった。


もっと最悪なのが、その話題が私にも振られる時だ。

もしそこで私が何もかも正直に答えたら、どうなるかわかったものじゃない。

私はガチャを引いた事ないと装いつつ、適当に相槌を打って受け流した。


本当は全て話そうと思っていたが、

私は結局、家族や友人にも嘘をついてしまった。

ガチャアイテムを引いたというだけならまだしも、

私がどういう力……"知識"を持っているの事や、

あのイベントに参加して優勝までしてしまった事を話したら……

きっと、家族や友人は今まで通りに接してくれなくなる。


奇異の目で見られ、不気味と思われる事が恐ろしくて、

皆が楽しそうにしたり、心配してくれたりした時も、

私は仮面を被って、ただ皆の会話に合わせる事しか出来なかった。


そんな気遣いをしなくてはいけなかったせいで、

この一週間はずっと疲れは溜まる一方だった。

地獄のような平日の五日間をやっとの思いで乗り切り、

土曜日は休みを満喫しようと思っていたのに、

疲れ過ぎていたせいでボーっとしてるだけで一日が終わってしまった。

なので、私はいつの間にやら殺された休日の片割れを仇を取るつもりで、

今日、この日曜日を迎えたのだった。


これまで休んでいた気がしてなかったので、このコーヒーは格別だった。

大して値段も高くもないのに極上の一杯に思えてくる。


こうやってのんびりするために集合場所に早めに来て、

休みをたっぷりと味わおうとしたのは正解だったな……。

やっぱり、ここは欲張ってケーキも頼もう。

丁度その為の資金も手に入っているんだから。


二個……いや、三個食べてやろう。

カロリーなど知った事か! さぁ!! 至福を肥やすぞ!!!


私はそう意気込み、静かに店員さんを呼んだ。



「このチョコレートパンケーキと、

 デラックスモンブランと、ショートケーキを1つづつ下さ──」



──そこまで言って視線に気づく。


その視線の出所を見てみるとそこには笠羽ちゃんが立っていて、

私の食欲に感嘆するような顔で私を見つめていた。


どうやらちょうど着いたところだったらしい。

また恥ずかしい所を笠羽ちゃんに見られた……最悪だぁ……。


「あの、ご注文は……」

「あ、え、えっと。しょ、ショートケーキを一つお願いします……」


店員さんに注文を聞き返された私は、顔が真っ赤になっている事を感じながら、

恥ずかしさで押しつぶされそうになりつつも、何とか声を振り絞ってそう告げた。


私が取り繕った注文を終えたところで、笠羽ちゃんが私に断りを入れてから、

コーヒーと、ショートケーキ一つずつを注文する。

うぅ……なんでこんなに早くこの子は来ちゃったのよ。

まだ約束の時間まで一時間もあるのに。


笠羽ちゃんの注文を聞き終わった後、店員さんは厨房の奥に消えていき、

笠羽ちゃんは失礼しますと言って、私の向かいの席に座った。


笠羽ちゃんはイベントの時に着ていた制服ではなく、私服だった。

黒のフリルブラウスにアイボリー色のデニムパンツと、

カジュアルながらもフォーマルな印象を受ける格好だ。

一緒に戦っていた時のあの制服姿の印象が強かった為か、

笠羽ちゃんはここに制服で来ると思い込んでしまっていたので、

その姿はより一層綺麗で可愛らしく目に映った。


……こんな美少女と一緒にいて、

私は恥ずかしくない恰好をしてこれてるだろうか。

急に不安になってきた。いや、ちゃんと化粧もしてるし、

服もちゃんと選んだし、大丈夫──な、筈。


「ごめんなさい。待たせちゃいましたか?」


私が大人のおねぇさんとしての威厳を保てているかどうか不安になっていると、

笠羽ちゃんが申し訳なさそうに謝ってしまった。

私はそれを訂正する為、慌てて答える。


「ぜ、全然大丈夫よ。私が早めに来すぎてただけだから。

 っていうかなんで笠羽ちゃんはこんなに早く来てくれたの?

 まだ約束の時間まで随分余裕あるわよ?」


そう、そこまで時間があったからこそ、

私はデザート三個注文などという、

糖質と脂質にタコ殴りにされる様な暴挙に出ようとしたのだ。

こんなに早く来ると分かっていれば絶対にやらなかった。

その事で責める気は全くないが、どうしてこうも早くに来たのか。


私がそう疑問を投げかけると、

笠羽ちゃんは少し辛そうな表情を浮かべて答えてくれる。


「その……今日は謝罪も込めての約束だったので、

 わたしが遅れるわけには行かないと思って、この時間に来たんです」

「あっ……そう、だったの」


私は自分の軽率さを今度は恥じることになった。

疲れを癒したいという自信の気持ちが先行し過ぎて、

笠羽ちゃんの気持ちを軽視してしまっていた。

あの時の笠羽ちゃんの様子から鑑みれば、

恐らくかなりの覚悟をして、この場に望んでいる筈だ。

そんな覚悟をもっているなら、こうして早い時間に待っておこうと考えるのは自然だろう。


それを私は先に早く来て癒されようなど……何を考えていたのか。

まるで笠羽ちゃんを嘲笑っているみたいじゃないか。


しかし、幸いなことに笠羽ちゃんは私がした事に対して特に気にした様子はなかった。

いや、私が気付かなかっただけかもしれないが……

なんにしても私が今更謝っても、笠羽ちゃんには逆に負担になってしまうだろう。

それに真剣に謝ろうとしている相手に逆に謝られてしまうなんて、苦痛でしかない。


はぁ……失敗したな。お詫びにさり気なく何か奢ろうか? 

でも、ここの食事代は元々出すつもりだったし……取り合えず話が終わってから考えよう。

寧ろそんな事を気にして話を聞いてない方が失礼だ。

一先ず、話は広げない方が良いだろうと思い、

私は別の話を笠羽ちゃんに振ることにした。


「全然気にしなくて良かったのに。

 あ、そういえばあの時は制服だったのに今日は私服なのね。

 もしかしてあの日は塾に行ってたとか?」

「あぁ、あれは女子高生とわかる格好をしたら、

 油断してくれる人もいるかなと思ったので着てただけです。

 わたし塾どころか学校にももう行ってないので、今ニートなんですよね」

「ええっ!? そうなの!? どうして……」

「……そこも含めて、説明させて貰います。

 でも、きっとこの話を話せば、佐藤さんの気分を悪くさせてしまうでしょう」


そのタイミングで、言葉を区切ってソラちゃんは深呼吸した。

そして、意を決したように改めて私に向き直って言った。


「……それでも、どうか最後まで聞いてください。

 わたしの為じゃなく、他でもない佐藤さんの為に」


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