錬金研究所の二人




 朝起きても邪神ちゃんがいない。

 枕の下を見てもいない。何処に行ったんだ!?


「邪神ちゃん!?」

 呼びかけると、ベッドの下から出て来た。

 しばらく見つめあう。

「…居てよかったよ」

 僕がそう言うと、邪神ちゃんはベッドの上に座った。

 いや、本当にいてくれて良かった。


 あの日からずっと一緒にいるから。

 僕が、奇妙な夢を見たその日から。邪神ちゃんは一緒にいてくれる。

「本当に、びっくりしたんだよ?」

 そう言って触ると、ちょっと動いた。


 僕に、この魔法が宿った夢の日から、邪神カタストローフェは僕と共に在る。

 …久しぶりに名前を思い出したな。


 邪神ちゃんが僕を見ている。そのボタンの目で。

 でも、名前は呼ばないからね?わずかに頷いた邪神ちゃんはまたじっと動かなくなった。



 一階に行くと、静が朝ごはんを作っている。

「おはよう、静」

「おはようございます、有架さま」

 これが朝の時間に必要な儀式だと、少しずつ思えてきた。


 テレビをリモコンで付けて、少しリモコンを可愛がる。

 それから画面を見て、相変わらずキャスターがランキングを言うのかと思っていたら、何だか赤い文字で、速報と書かれていた。


『探索者の皆さん!ダンジョンが変化いたしました!ダンジョンレベルが上がっています!今日はその事を探索者協会理事長、山縣 歳三さんに伺います』


 肯いて画面に出て来たのは、厳つい感じの年長の人で、深刻そうな声で話し始めた。


『皆さんおはようございます。今日はダンジョンが強化されているという話をします。この半年ほど、我々探索者協会はダンジョンが変化しているのではないかという報告を受け調査をしてまいりました。

 そしてダンジョンが少しずつ変化し、モンスターもアイテムも、強い物になっていると統計が取れましたので、報告をさせて頂きます。まだ完全な観測が出来ていないダンジョンもありますので、くれぐれも一般の方は近寄らないでください。

 政府の方から話が出ると思いますが、暫くは一般の方はダンジョンがある指定地域に入れないようになります。ご了承ください。


 話が長くなりますので、詳細は探索者協会のホームページに表記してあります。ご一読をお願いいたします』


 中継場所の周りからも人々の声が聞こえた。

 テレビの中なのに、誰かが口にしている言葉がたくさん聞こえて来る。

 それはあまり好意的では無かった。


 静が僕にご飯を手渡しながら、テレビを見ている。

「どうなるのでしょうか?」

「この家は完全に地域外だけど、地域に近い人は不安だろうね」

「そう、ですね」

 静はおかずを並べながら、眉をしかめている。


「ダンジョンが強くなるのは、駄目な事ですよね?」

「制御できないほど強くなるのは駄目だろうね」

「はい。制御ですか」

 静が僕の相向かいに座る。僕が食べるのを見ながら、ちらとテレビを見る。

 今日はランキングを流さないようだ。


 スマホが光った。画面を見ると伊達さんからメールが来ている。

 第八に行くなら、くれぐれも気を付けてと書いてある。うん、そこが悩みどころ。毒の解除のめどが立っていないので、ポーションとか飲み薬とかを買ってからじゃないと、行けないと思う。


 薬って、何処に売っているんだろう?

 ご飯を口に詰めながら、考えてみる。しかし情弱な僕にその情報はない。

 お味噌汁で、ゆっくりと煮魚とご飯を流し込みながら、スマホで探そうと考える。


 多分、細い目になっている僕の顔を不思議そうに静が眺めていた。


「ご馳走様でした」

「はい。お茶を入れますね」

 僕は静が入れてくれるお茶を待ちながら、スマホで毒消しと検索する。

 すると大量の文章が画面に流れた。


 どうやらダンジョン用の薬局はたくさんあるらしく、地域を選んで検索した方が良いと分かった。何処を選ぼうかな。


 悩んでいる僕の傍に、邪神ちゃんが飛んでくる。

 え、と思って見ていると、スマホの地図上に足の先を置いた。そこは上野近くの場所で。どちらかというと東京駅ダンジョンの勢力圏内だ。


 移動指定の地域ではないようだが、ここからは離れている。

「邪神ちゃん?」

 もう一度、その場所に足を置いた。

 うん、そうか。そこまで言うなら行ってみよう。邪神ちゃんは僕に不利になる事は絶対にしないから、きっと僕には良い場所なのだ。


 支度をして玄関を出る。

「行ってらっしゃいませ」

「うん、行ってきます」

 この地域が、ダンジョン勢力内じゃなくて良かった。



 山手に乗って、車内を何気に見る。

 昨日と違って皆が不安そうにスマホをいじっている。何かしら新しい情報が欲しいのか、それとも大丈夫と言っている人を、探し当てたいのか。


 上野駅で降りると、探索者らしき人たちが数人歩いていた。

 昔はもっと賑わっていた場所だった横町に行くらしい。僕の行く先もそっちの方面なので、彼らの後ろから歩いていく。


 露店がいくつか出て、お店が幾つか開いている。

 僕は、廃墟になっている店を眺めながら、時折スマホを見て場所を確かめる。この先を曲がるはずで。目的の細い路地は光が射さずに真っ暗だ。


 邪神ちゃんを信じる。

 僕はその道に入り、古い廃墟の横を幾つも通り過ぎる。


 行き止まりの場所に、小さな明かりが灯されている扉があった。

 表札ぐらい小さな木の板には、錬金研究所、と書いてある。

 これがお店の名前なのかな?


 扉を押し開けて中を覗く。薬品の匂いがして、確かに薬を扱っている場所だと分かった。後ろ手に扉を閉めて、沢山の本が並んでいる先のどっしりとした机に座っている人に声を掛ける。

「あのここで、薬を売っていますか?」

「何の薬が欲しいんだ、」

 煙草を咥えた青年が僕を見た。


 その琥珀色の瞳で僕をしみじみと見る。それから後ろの方にいる人に声を掛けた。

「無花果!」

 強い声で呼ばれた人が早足で歩いてくる。なぜかコスプレのように裾の短いナース服を着た、髪を二つに縛っている少女は真っ赤な目をこちらに向けた。


「あの」

 二人があまりにも動かないので、僕の方からもう一度声を掛ける。

 その声で、二人とも動いてくれた。


「…すまないな、ええと、薬が欲しいんだっけ?」

「そうです。毒消しとか痺れが治るやつとか、ありますか?」

「まあ、まずは座ってくれ。いくつか持って来るから」

「はい」


 部屋の奥にソファがあって、無花果という少女に案内してもらって座る。お茶が出て待っているけど、想像していた薬屋とは全然違う。

 邪神ちゃんが間違う訳もないし、こういう感じなのかな。


「いくつかあるけど、どれぐらいの効果が良いのかな?」

 眼鏡を掛けた店主さんが、僕の前に座る。


「ああ、俺の名前は成田 宗典。あの子は無花果。出来ればそう呼んで欲しい」

「え、はい」

 何だろう急に。

「それで君の名前は、今はなんて言うんだろう?」

 …変な聞き方だな。


「僕は九条 有架です。探索者をしています」

「九条君。そうか」

 肯いた成田さんに、目を細めた無花果さんが意見する。


「聞き方が変態っぽいので止めて下さい、宗典さま」

「え、酷くない無花果?」

「全然普通です」

 仲は良さそうだ。


「第八ダンジョンに行きたいのですが、浅い階層で毒持ちがいたので、それの対処にはどれが良いですか?」

「うん、第八か。今までならこれを勧めるけど、嫌な話も出ているしなあ」

 ああ、今朝の話か。


「毒が効かなくなる錬成陣もあるけれど、持っていくかい?」

「おいくらですか?」

 便利そうだけど、値段が怖い。錬成陣って陰陽の符と一緒で手書きのはずだ。

「お金を取るとか信じられない」

「まだ何も言ってないよね!?」

 急に二人の会話が始まってしまう。


 その時、邪神ちゃんがもそりと動いた。僕は胸ポケットを見る。珍しく邪神ちゃんが僕を見上げている。

 それから、二人に目線を戻すと二人とも驚いた顔をしていた。

 人形が動くのは割と、こんな世界では普通のはずだけど。


「…君は、そっちに行ったのか」

 成田さんがゆっくりと呟いた。何の話だろう。


「どちらでも構いません。ただ応援するだけです」

「まあ、そうか。俺もどっちでもいいしな」

「なら重要そうに話さないでください」

「無花果がひどい」


 分かるような分からないような感情が、二人の会話を聞いて湧いてくる。

 僕は、いつかどこかで、同じような会話を聞いていたような。


「ただで貰うのも嫌だろうから、百円でどう?今なら回復の錬成陣も同額で販売しちゃうよ?」

「え、それは、破格ですけど」

「あと、ダンジョンの秘密っていう本も付けてあげよう」


 なにそのインチキ臭い題名の本。凄く欲しいんだけど。

 成田さんが、薄い紙に錬成陣が描いてある物をまとめて持ってきた。無花果さんがお茶のお代りを入れてくれる。


 不思議と嫌ではなく落ち着くような雰囲気で。

 僕は成田さんに見せて貰った効能の錬成陣を二十枚ほど買って、予備の毒消しの薬も買って、本も貰った。それなのに、五千円も払わないっておかしい気がする。


「必ずここに補充においで。俺が何でも作るから」

「成田さんが錬金術師なんですか?」

 優しく笑いながら、成田さんが肯く。

「そうだよ。だからね、頼ってよ九条君」

「お待ちしております、九条さま」


 二人にそう言われて、外に出た。錬金術師に気に入られたって事だろうか?それは非常に幸運だと思う。ダンジョンに必要な物が大体揃うはずだから。


 邪神ちゃんを撫でて上野駅へ向かう。

 電車を待ちながら、僕の口からため息が出た。

 何だか懐かしい気がする人たちだな。まるで、僕の遠い昔を知っているかのような。今日は朝の邪神ちゃんと言い、今のお店と言い、そういう感じの日なのだろうか?


 あまりにも小さい時に見た夢だから、良く思いだせないのだけど、その内容が関係している?…だとしたら申し訳ないな。僕は思い出そうとしても今日みたいに偶然にしか思い出さないから。


 だいたい、今十六歳なのに二歳の時に見た夢ってみんなは覚えているのか?

 覚えている人は絶対記憶の持ち主だと思う。僕は残念だけどうっすらとしか覚えていなくて、明白なのは邪神ちゃんぐらいで。


 電車の到着の風で、パッと髪が逆巻く。

 まあ、悩んでも仕方ないか。毒の対処が出来るなら第八ダンジョンに行こう。



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