願い箱
あまり眠れなかった。
今日の邪神ちゃんは、大人しく枕の横にいる。
僕がやたらと寝返りを打っていたせいだろうか?溜め息を吐いて起き上がる。目覚ましは鳴る前だったので止めた。
昨日やり残した事があったので、気になって仕方ない。
怒り過ぎだと思った、僕自身が。あんな事は些細だとやり過ごしても良かったのだけど。
一階に降りて、台所に行く。
料理をしている静の背に声を掛ける。
「おはよう、静」
「はい、おはようございます、有架さま…?」
弱者のふりは嫌だと思う。そういう事はしたく無いと強く思い過ぎだろうか?もっと世の中に迎合した方が良いのだろうか?
テレビのリモコンを持つ。これはまだ楽しい。
画面に映るキャスターを見ながら、椅子に座る。静が僕の額を触った。
「どうしたの、静?」
「有架さまが、具合が悪いのかと」
「ああ、うん。具合は悪くないけど、あんまり眠れなかったから」
「それは良くないです。ソファで眠りますか?」
静が僕の手を引いて、ソファに座る。それから自分の膝をポンポンと叩いた。
いや待って、それは、膝枕はちょっと高難易度すぎるでしょ!?
「いや、もう起きちゃったから」
「それでも睡眠は大事だと思います」
そう言って僕の腕を握っている静を見て、僕の中が何となく解ける。
「気になる事があって、それを今日解消して来れば夜には寝られると思うから。ありがと」
「はい、では、朝食にしますね」
「うん」
静が並べるご飯は何時も美味しい。
今日は茄子の煮浸しと蒸し鶏。ご飯とお味噌汁。頑張って食べますとも。
食事が終わって出かけようと思ったら水筒を手渡された。
「あ、これ」
「はい。昨日これを洗っていられたので、今日は麦茶を入れてみました」
静の察する能力が高すぎる。妖怪だからかな?
「ありがとう」
「はい」
自分の部屋に行って、カバンと邪神ちゃんを持つ。ポケットに勝手に入る邪神ちゃんを眺めた後、いつものスニーカーを履く。
「行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、有架さま」
今日もきちんと帰ってこよう。
電車に乗って探索者協会本部へと向かう。昨日来ないと思っていたけれど、どうしても気になって仕方ないから、やっぱり来てしまった。
駅から協会に向かって歩き、中に入ってから受付に向かう。
「五十嵐さんはいますか?」
「はい。何かご用事ですか?」
「…渡し忘れた物があるので、呼んで貰えると助かります」
「少々お待ちください」
僕はカウンターの傍で待つことにした。
少しして、目の下に熊がある五十嵐さんが現れた。僕を見て驚いている。
「九条君が来るとは思わなかった」
「…僕の方が不誠実になるのは嫌なので。これを渡したかったんです」
カバンから大きめの魔石を出す。
五十嵐さんが怪訝そうな顔で、僕と魔石を交互に見た。
「それは?俺に買い取れという話か?」
「いえ、差し上げます」
「なぜ?」
僕は手に魔石を掴んで、五十嵐さんに手を伸ばす。五十嵐さんは少し悩んだ後で、手を開いた。その上にそっと魔石を置く。
「キメラの魔石です。 さんの魔石です」
名前の所は発音しなかった。此処は公の場所だし。それでも五十嵐さんは僕を見ていたので分かったのだろう。手のひらに乗せた魔石をじっと見た。
「それしか残らなかったので、それをお渡しします。残滓があるとかは僕の分野ではないので、錬金術とか魔導具とか変化の事に詳しい方にでも、頼んでもいいと思います」
五十嵐さんは僕をじっと見た。
その視線が、戸惑う様に僕の顔を何度も彷徨う。
「九条君、君は」
「さっきも言いました。僕の方が不誠実になるのは嫌なので、あなたに渡します、共通の知り合いが五十嵐さんしかいないので」
眉をぎゅっと寄せて、五十嵐さんがそっと魔石を握った。
「ありがとう、九条君」
「いえ、それでは、これで」
僕は受付を離れて、協会本部を出た。
ああ、やっと肩の荷が下りた。
どうしようか悩んでいたのがつらかった。換金なんて出来ないし。
きっと仲が良かったのだろうから、渡せてよかった。
さて何処に行こうかな。
気が楽になったから、もう一度第三十一ダンジョンに行ってもいいけど。どうしようか、川口の第十九ダンジョンに行ってみようか?
埼玉って行った事ないから行ってみようかな?
何処で乗り換えればいいのか調べようとスマホを見たら、KOLONに相庭さんからメールが入っていた。パーカーを返したいから会いたいと書いてあった。
ああ、そうか。どうしようかな。
「パーカーを返すってどういう事かしら?」
「うわっ」
後ろから来て耳元で喋られたので、びっくりして振り向いたら小鳥遊さんがいた。
「九条君が驚くのも新鮮だわ」
「今のは、幾らなんでも驚きますよ」
「そう?」
にっこりと微笑まれた。
「報酬を貰う時に会えなかったから、今日も来てみたのよ」
「ああ、そんな話でしたね」
「そうよ?それでパーカーを返すって何?」
「人のメールを見るのは、あまりしない方が良いと思います」
「…見えちゃったのよ、仕方ないわ」
本当かなあ。
「パーカーを貸した子がいて、洗って返すからって言われてて。すっかり忘れていたんですが、連絡が来たのなら行こうかなって思ったところです」
「何処に行くの?」
「…プライベートですが」
「そうだけど、九条君を待っていたんだから、良いでしょ?」
「え、一緒に来る気ですか?」
「だめなの?」
「駄目ですよ、当たり前でしょう?」
確かに両方とも僕の知り合いだけど、それぞれ別の知り合いだし。
「あ、う、そうよね」
「はい。僕は知り合い同士を会わせるとかは考えない方なので」
どうしてもって時なら仕方ないけど、今回は普通だし。
小鳥遊さんがしょんぼりしているのは、ちょっと気になるけど。
「僕に用事でしたか?」
「用事って訳じゃないけど、魔法の箱見たいって言っていたから」
あの魔導具。
そう言えば見せてくれるって言っていた。え、どうしようかな。別にパーカーなんて後でもいいかな。
僕の顔を見た小鳥遊さんが急に嬉しそうになった。
そんなに顔に出ていたかな?
「見る?」
「見たいです」
相庭さんには、メールを打っておく。それで不義理なし。
「じゃあ、私の家に来てくれるかしら。何時も持っている訳じゃないのよ」
「そうなんですか?じゃあ、あの時はどうして」
「…おばあさまがくれたのよ、あの日に。だからそのまま持っていたの」
さすが大魔女。予見は外さないか。
小鳥遊さんの後を付いて行く。何時も自分が使っている路線とは違い、地下鉄だ。あまり乗らないけれど、交通系カードをかざして構内に入る。
「九条君は、何時も山手線使っているわよね?」
「便利ですよ。待ち時間ほとんどないし」
「まあ、確かに」
とはいえ、目の前の地下鉄も昼時間は、十分も待たない。
幾つかの駅を過ぎて下車して地上に出る。
外の景色がガラリと変わっている。此処は高級住宅街だと思う。
大きな屋敷が、等間隔に離れて立っている。
その中でも、小鳥遊さんの家は異色だった。
どう見ても敷地内に塔が立っている。
僕が見上げているのを、面白そうに小鳥遊さんが見ていた。
「大体の人が、あれを見てそんな顔をするのよねえ」
「いやだって、高すぎませんか?」
「かなり高いけど、上り下りは簡単なのよ?」
エレベーターでもあるのだろうか?
「私の部屋はこっちの家よ」
「はい」
大きな家にお邪魔する。お屋敷と言っていい家だけど、中に人がいない気がする。
「今の時間は皆いないわ。皆仕事に行っているの」
「そうですか」
僕は頷いて、小鳥遊さんの部屋の前まで行く。
ガチャリと開けられて、その色彩を見てから、僕はある事に気付いた。
女性の部屋に入っていいのだろうか?
パステルカラーのその部屋は、小鳥遊さんの趣味だろう可愛い物も見えている。いや、不味くないか?それともいいのか?
「何してるの九条君?早く入って」
グイッと手を引かれて、中に入った。
これは不可抗力だろうか?それとも不謹慎かなやっぱり。
もう、入ってるし。
良い匂いがしてるし。諦めた方が良い。挙動不審の方が不味いよな?
「これが、お望みの魔導具、願い箱よ」
座ったソファの前にあるローテーブルに、小さな木製の箱が置かれた。
確かに、あの時に見た箱で。
小さい箱なのに、ギュッと何かが収縮して入っている気がする。
願いをかなえる媒体をこんなに小さくできるなんて。
僕が手を触れずに見ているのを、小鳥遊さんが小さく笑う。
「触ってもいいのよ?」
「そういう事はめったに言っては駄目です。僕が願いを叶えるかも知れないでしょう?」
「叶えられないわ。私専用だもの」
「本当に?それなら触ってもいいかな」
「普通、逆でしょうに」
そう言って小鳥遊さんが苦笑する。
いやいや、人の魔法を取るとか有り得ないから。
指先で、つまんで持って見る。
その魔力が一切外に出ていないのが凄い。実際に持ってみても魔力を感じない。どう見てもただの木の箱だ。
「すごいなあ」
「そうね。おばあさまはすごいと思うわ」
小鳥遊さんがお茶を出してくれた。箱を置いてグラスを持つ。
「伝統的な魔法なのか、それともダンジョン産なのかな」
「どちらかは聞いていないわ。そうね、どちらかしら」
小鳥遊さんも箱を見つめながら考えているようだ。
「うん。満足しました」
僕が言うと、小鳥遊さんが笑う。
「よかったわ。一つぐらい約束守れないと」
「え、気にしていたんですか?」
「当たり前でしょ?一つも約束を守らない奴って思われたらいやだわ」
そんな事は思っていなかったけど。
グラスを干してから、時間を確かめる。もうすぐお昼か。僕がスマホを見たのを、小鳥遊さんが見ていて、提案してくる。
「ご飯食べていかない?」
「あ、いえ、ダンジョンに行きたいんですよ」
「え、今から?第七ダンジョンは閉鎖中だったわね?」
「はい。だから、第三十一か、第十九か悩んでいたのですけど」
「どっちも少し遠いわ」
そうなんだけど。ダンジョンは、ダンジョン内の移動は出来ても、それぞれのダンジョンに飛ぶ技術はまだ開発されていない。
普通に移動するほかないんだよな。
「じゃあ、有難うございました」
「え、あ、うん」
僕は立ちあがって部屋を辞する。
小鳥遊さんが送ると言ったが断った。女性に送ってもらうとか有り得ないから。
地下鉄に乗るために駅に行って改札を通る。さて何処に行こうか。地下鉄の駅の並びを見て、ここからなら、第八ダンジョンが近い事に気付いた。
上級者向けの難易度のダンジョン。
一回だけ、踏破したクランがいるから、階層が三十五階だと言うのは知れているけれど、そのクラン以降、踏破者がいないので、難関と言われている。
行ってみようか。
僕は御茶ノ水までの路線に乗り込む。何処か探索者が多く乗っている気がした。大体強者が多い様な気がする。
東京駅が無謀な者しか行かないダンジョンならば、此処は本当に挑戦者が集っているダンジョンの様だった。
御茶ノ水駅から出て、ダンジョン近くに探索者の支部があるのを見つけた。特に用はないがつい眺めてしまう。
それから、ダンジョンのゲートに向かった。
まずは外のゲートをくぐると、中には武装した人たちが数人ずつ立って何か話している光景があった。昼過ぎの時間だからか、人は少ないが。
その先の内部ゲートに進む。カードをかざして入ろうと思ったら、近くにいる人に怒鳴られた。
「おい、坊主!なに入ろうとしてんだ」
許可制だっただろうか?
僕が首を傾げると、その人がさらに怒鳴る。
「新人が勝手に入るんじゃねえよ。誰かを連れて来い!」
「…此処は許可がいるダンジョンですか?」
その人の隣に居た探索者も会話に入って来た。
「子供が一人で入る場所じゃないから、誰か連れて来なって話だよ」
「大丈夫です」
不意に肩を掴まれそうになったので、避けて中に入る。
「おい!忠告が聞けねえのか!」
五月蠅いな。
追い掛けて来そうだったので、早足で逃げた。
いや、がちで追いかけてくるじゃん。どういう事だ?
目の前に、熊が出て来た。一階層から猛獣系ですか。
「おい、避けろ坊主!それはお前には無理だ!」
何を言ってるんだろう。
パチンと指を鳴らした。熊はふわっと黒い欠片になって消える。
もちろん、魔法と思われないように、最近は陰陽の札を片手に持っています。形だけでも全然違うだろうからね。
「は?」
まだ追ってくるとか、本当に嫌なんだけど。魔石を拾って、早足で離れる。
「おい止めろよ。もう追うな」
「でも、あんな子供が一人で」
「陰陽師なら、大丈夫そうじゃないか」
「でも、よ」
「俺達が追う事で、迷われても事だから」
もう、息が上がってきている。
後ろの気配が遠くなってから、一度立ち止まった。
ああ、面倒くさい輩だな。自分たちの都合だけで善人面する奴らは嫌いだ。僕にはちっとも善人には思えないのに。
僕がいつ助けてくれって言ったんだよ。
やっと迷宮の中を見渡せる。この第八ダンジョンは土壁で出来た四角い通路の、本当に昔のゲームのようなタイプのダンジョンのようだ。
通路が他のダンジョンに比べると狭い感じだな。まだ一階だから、この先の階層で変化するかもしれないけど。
息が整ってきた。水筒から麦茶を少し飲む。
おいしい。
時間が遅いから、五階ぐらいまでで帰ろうと思っているが、どうだろうか。
右手に飾りの札を持ちながら、通路を前に進んだ。
大きな魔獣が結構な数で襲ってくる。
魔法で散らして、先に進む。二階層への階段で、別のグループと出会った。
避けて通り過ぎるのを待っていると、また話しかけられる。
「君一人かい?この先は危ないよ?」
「…ご忠告ありがとうございます」
頷いて数人が通り過ぎていった。階段を降りると後ろでちっと舌打ちが聞こえる。ここのダンジョン、民度が良くないな。
二階を歩いていると、初めてスライムに出会った。
巨大な水の塊。指を弾くと、消え失せて魔石が残る。少し大きなそれをカバンに入れて先に行く。ゲームに出て来るような魔物が多く現れた。
大きな蝶とか、芋虫も出て来た。
毒性が面倒だが、視界に入った途端に消せばいくらか、毒は少ない。
…今日は帰ろうか。毒の対策を考えなければいけないかも。
少し指先が痺れている。
さすがにポーションとか毒消しを持って入った方が良いな。
外に出てゲートをくぐると、何故か入った時に居た人たちがいた。
不愉快だなあと思いながらその場を離れる。
探索者協会の支部に入って、魔石の買取を頼むと、さっきの人達が僕の横に立った。
「おい坊主。俺達のクランに入れ」
「…嫌ですけど」
「何言ってるんだ、坊主みたいな生意気な子供は俺達みたいな大人がいるクランに入った方が良いに決まっている」
くそ面倒だな、こいつら。
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