〈悠久の旅人〉




 ダンジョンの一層が石畳に囲まれた場所だとは。

 それぞれの景色が違うのは知っていたけど、ドキドキするな。


 探索者になって初めての自主的なダンジョンアタック。

 碁盤のように道が仕切られていて、大きな柱のような四角い物がたくさん立っている。部屋ではなく太い柱、で良さそうだな。

 かなり広いから、方向感覚が駄目だとグルグルするかも。


 一層で見かけたのは小さな蝙蝠とか小さな兎とか。

 落ちるのも小さな魔石で、稼ぎにはならない気がする。階段を探して二層へ降りる。そこも景色は変わらず、出て来るのも鼠とか鼬とか、あまり大きさが変わらない。


 石造りなのに、出て来るモンスターが自然過ぎませんか?

 更に降りて三層、四層も変わらず。

 五層に降りた時に、壁の色が変わった。


 今まで白っぽい色だったのに、少しくすんだ灰色になった。

 急にスケルトンとか出て来てびっくりした。魔石も少し大きくなるし。


 僕は結構な数になってきた魔石を、ポケットからカバンに移した。このカバンが無限に入る物だと知られたら、困るかもしれない。

 遠い昔に、ダンジョンで拾ったものだ。それが何処のダンジョンかは知らない。

 ただ、母が僕を連れて行った先だというのは覚えている。


 本当にダンジョンだったかも、今はもう分からないけれど。

 そこで陰陽の練習をしたし、凄惨な事になっていた。

 魔獣も魔物も妖怪も人間も。ありとあらゆる生命体が相手だった。

 まあ、ポンコツなんですけどね、一度も良いと言われなかったから。僕の陰陽は駄目なんだろうと思っている。


 使えない訳じゃないんだけど。

 魔法を使うよりは一般的に見えるだろうけれど。


 うーん。

 陰陽を使うのって目立つよなあ。

 探索者になって武器を使うのが普通で、魔法とかはダンジョンの中でだけ使う物で。だから如月さんとか、小鳥遊さんとか、元々能力を持っている者が探索者になると妬まれやすいし注目されやすい。らしい。


 僕は出来れば穏便に過ごしたい。注目とかされたくないし。

 日々の生活が出来て、ちょっと貯金が出来ればいいんです。

 だから昨日みたいな、急に高額な頼まれごとは避けたいと思っている。


 どっちが良いんだろうなあ。

 陰陽って派手だよね?


 考えて歩きながら、指を鳴らしているんだけど。

 徐々に相手が大きくなって来る。ぬっと一つ目の魔物が出て来た。これはどっちだろう、一つ目小僧か、サイクロプスか。


 なまじミックスとか、扱いが難しいだろうな。

 僕にとっては、何でも一緒なんだけど。

 パチンと指を慣らして倒し、魔石を拾い、また下の階層に進む。


 六層、七層と下る。十層までは、もしかしたら死霊系列のモンスターが多いのかな?幽鬼みたいなものも出現し始めているから。

 ゴーストでも、消せますけどね。



 どうやって八層に行こうか考えながら歩いている時に、随分離れた区画から女性の悲鳴が聞こえた。

 耳をすますけど、一回だけで次の悲鳴が聞こえない。

 耐えているのか、言えなくなってしまったのか。けれど、ガシャガシャと数多くの何かが動いている音が聞こえる方向に近付いてみる。


 僕が四角い柱の影を覗いてみると、女性に幽鬼が群がっていた。

 女性は服を脱がされて、何かを、されようとして。


 パチンと指を鳴らした。

 魔力が少し多かったのか、数体いた幽鬼が一気に掻き消えた。

 女性、いや少女だろうか。呆然と近づく僕を見ている。

「あ、なた、が」

「そう。喋らなくていいから」

 僕は自分が着ていた大きめのパーカーを、少女の肩にかけてジッパーを上げる。少女はそれをぼうっと見ていた。それから。


「わああああああああ!!」

 大きな声で泣き出した。

「怖かった、もう駄目だと、わたし、あんなこと」

 大きな眼からボロボロと涙が零れる。頬に殴られた跡もあった。足にも指先にも傷がある。僕の魔法に治療はなく、陰陽にも回復術式が無い。


 触らないで傍で少女を見ている。少女が手を握ってきたから、握り返した。

 今日はこのまま外に出よう。彼女が落ち着いたら。

 そう思っていたら。


「お前!芽久に何しやがる!」

 背中からいきなり殴られた。彼女にぶつからないように、ダンジョンの壁に向きを変えた。そのまま背中が壁にぶつかって、息が詰まる。


「けほ」

「止めてお兄ちゃん!この人が助けてくれたのに!」

 僕を殴った青年が、少女に怒られて僕を見ている。

「芽久、そいつに騙されていないか?」

「助けに来なかった人が、文句を言わないで!」

 そう言ってから僕の方を見た少女が、心配そうな顔で見ている。


「ごめんなさい、兄が」

「…平気。妹が大事なら仕方ないよ」

「でも、あなたがいなかったら、私」

 思い出したのか、ぶるりと震える。今はあまり会話をしない方が良いのだけれど。


 兄と言われた青年は、混乱したような顔で妹さんを見ている。

「何があった?」

 無言で首を振る妹に、更に聞き出そうとするのを、さすがに止めた。

「いまは、その話はしない方が良い。後で聞けばいいと思う」

「お前には、聞いていな」

 妹さんが僕の手を再び握ったので、言葉が止まる。


「め、芽久」

 僕は少し青年が可哀想になったので。

「今日はもう、家に帰った方が良いと思う。ここに留まるのは良くないから」

 少女が頷く。

「分かった。芽久、家に帰ろう」

 そう言って屈んで差し出した兄の手を、少女は掴まない。


 僕の手をぎゅっと握っている。

 いや、般若みたいな顔をされても。


「家まで、送ってください」

「え、僕が?」

 ここに兄がいるのに?

 物凄い圧が掛かっていますけど?


「この手じゃないと、立てない」

 そう言われては仕方ない。僕は手を握ったままゆっくりと少女を立たせる。ふらつくだろうと思っていたから、反対の腕で支える。


 今は、少女の兄の気持ちよりも、少女本人の気持ちの方が大事だ。

 少し歩いてから、少女が僕に寄りかかって来た。

「ひ、う、怖かった」

「うん。間に合って良かった」

「あり、がと」

 また泣き出した。何回でも泣いた方が良い。嫌な事を涙で流せるならその方が良いと思う。後ろの怒りの気配が少し収まった。後でまた怒るんだろうけれど、今は少女優先だと思ってくれたみたいだ。


 五層まで戻って、転移装置に三人で乗る。

 少女は顔を上げないまま、震えて僕にしがみついている。

 そこからカードを通して外に出る。兄が車を回してきて、僕と少女は後部座席に乗った。まだ手は離さない。


 多分、横浜市内の家に着いた。車から出て家に入り、リビングのソファに座らせる。まだ手が離れない。

「…お風呂に入れる?」

 僕が聞くと、少女が顔を上げて小さく頷く。

「じゃあ、入ってきた方が良いよ」

 実際、幽鬼にあんなに囲まれていたのだから、身体は冷えていると思う。

 握っている指先はずっと冷たいし。


 少女がフラフラとお風呂場に入っていくと、少女の兄が怒った様な声で話しかけてきた。

「礼は言う。だが、事実が知りたい」

「…本人から聞くとかはしない方が良いから、僕が話します」

「話してくれ」


 僕は短い話をした。僕が見た光景を伝えると、少女の兄は奥歯が割れるんじゃないかっていうぐらい口を噛み締めた。


「ありがとう。心から感謝を」

「いえ、たまたま、同じ階層にいて、声が聞こえる場所だったから」

「下種なら、その後、自分がしただろう」

「…そんな事しませんよ」


 少女の兄が、僕の顔を真面目に見る。

「俺は〈悠久の旅人〉の伊達 悠斗という。妹は相庭 芽久と言うんだ。本当に有難う、芽久を助けてくれて」

 苗字が違うのは事情があるだろうから、聞かないでおこう。


 お風呂から出て来た相庭さんが、僕の近くに寄って来た。

「あの、パーカー後で洗って返します」

「え、いや、そのまま返してもらっていいけど」

「洗って返します。だから、連絡先教えてください」

「うん、いいけど」

 スマホを出して、電話番号を出そうとすると、相庭さんが画面を触って来た。


「これが便利です。電話もメールも出来ます。まだ入れてないんですか?」

「え、これ?そうなんだ。僕、そういうの全然知らないから。じゃあ後でこれを入れて連絡するから相庭さんの番号、メモでもらえる?」


 相庭さんが伊達さんを見た。凄く怖い雰囲気なんだけど。

「お兄ちゃん、勝手に伝えるの止めてよ」

「別に俺が言っても芽久が言っても一緒だろう?」

「全然違う」

 兄って妹には弱い生物なんだろうか。


 なんにせよ少し楽になったみたいで良かった。


「じゃあ僕はこれで、失礼します」

「え、あの、夜ご飯でも」

「僕を待っている人がいるので、帰ります。それでは」

 相庭さんが小さく手を振って、伊達さんが頭を下げていた。


 僕は手を振り返してから、横浜の駅を目指す。ここが何処かは分からないけど、僕は方向音痴じゃないから平気です。

 少しかけ足で、駅を目指す。


 まだスマホに、自分の家の電話番号を入れていない事をさっき思い出したからだ。もうね、静がね、心配していると思う。





 めっちゃ心配してた。

 玄関を開けた途端に、また抱きしめられた。

 ちょ、ふわふわが、ヤバい感じに顔に、当たるのですが。


「連絡下さいって、お願いしました」

「あ、うん、まだ、電話番号入れてなくて」

「まあ、そんな三澄さまのような事を」

 ああ、義父に似ているって、そういうのは似なくていいのに。


「いま、入れて下さい有架さま。いま」

「う、うん、分かった、入れるから待って、静」

 僕が出すスマホを、静が物凄く不審そうに見ていて。


「ほら、入れたから。次から電話するから」

「はい」

 画面を見せて納得してもらった。

 やっと、静が微笑んでくれて、ほっとした。

 心配かけないように気を付けよう。ふわふわの攻撃は僕の心臓に悪い。




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